53話 運命は待たず、慮らず、迎えに来る
車輪の回る音、それで目が覚めた。
地面が整備されていない場所を走る馬車の音など聞くに堪えない。
小石でも踏んだのか飛び跳ねたように床が激しく揺れて、それは俺の背中に鈍い痛みを張り付けた。
「馬車?」
「おいおい、寝坊助がようやくお目覚めのようだぜ」
「へび?」
目を開き己の置かれているを状況を確認しようとした瞬間、目の前に蛇がドアップで出てきたものだから呆けてしまった。人語を喋り、大きな口で笑うそれは俺の事を見ている。
人間は思いもよらぬ出来事にぶち当たると驚いて何も出来ない物なのだろうな。
それが戦場でもないのであれば尚更。別に常在戦場というものを気取る気も無い俺はポカンと口を開けて驚いた。
「レヴィアタンだ。目で覚えんなよ? 耳で覚えろ」
「それが徒労で終わる可能性は?」
「意識的にやってるからよほどのことが無けりゃない」
「あっそ」
俺の腹の上でそう話す蛇は美しい白き鱗を持っていた。何処の蛇がこれなのか聞いてみたいくらいには。
男のような口調でしゃべるその声は常に笑みを携えて、こちらを見上げている。
「おはよう、サイガ」
「状況を説明するが……目は覚めているか」
俺の覚醒を声で知ったファセスが馬車を操っているラオを呼ぶ。まだちょっとぼんやりとしていた俺は彼女の声がどうにも頭に入ってこなかった。
俺はその声に首を振って霧のようなその眠気を晴らすと、手綱を握っているのだからこちらを見ていないのに動作で起きていると返事しても意味が無いという事を悟った。
俺の脳みそがポンコツに成り下がっているという事を知る。
寝起きってのは怖いもんだ。
「あー。……おう、一体全体これはどういうことだ?」
鼻から空気を取り込む。肺一杯に吸い込まれた冷たい空気は俺の頭を駆け抜けて眠気を取り去っていった。
劇的に変わるというものでもないのだが、寝起きとはいえ馬車から文字通り叩き起こされたのだ。
目が覚めるには十分の出来事だった。
「最初に言っておく。深く君に感謝を。ありがとう、サイガ」
「そりゃお前の力で返してくれたらいいさ。元々そういう旅だろう?」
「サイガ、たとえお前を助けることで俺を怒りの炎が焼くとしても俺はお前を助けるだろう。……兄貴からも、ありがとう、と。礼を受け取ってはくれないか」
「……んな重く考えなくてもいーんだがな。ありがたく貰っておこう」
俺はお前の怒りを優先してくれて全然いいんだがなぁ。ラオらしく、それでいて憤怒らしく不器用で気に入ったよ。
揺れる馬車の上で体を伸ばす。窓を見てみればものすごい速さだ。
そうなればこの揺れも納得がいくというもの。馬車というモノはこの世界に来て少し乗ったくらいだが、そんな俺でも少し無理をして走らせている事が分かった。
「ファセス、説明は頼んだ。俺はこっちに集中する」
「あいさい。あの戦いが終わった後、僕たちは君の怪我にびっくり仰天したんだよ?」
「そりゃ無茶したからな。全然死ぬかと思ったぜ」
「何日ここに留まることになるだろうって頭を抱えてたんだけど……一つの手紙が来てね」
ファセスは俺に紙を差し出した。文字が書いてある。
恐らくは手紙だろう。
だが残念ながら俺には文字は読めん。
「読めんのは知っとるだろう」
「緊急事態だから早く帰ってこいってさ」
若干覚えのある魔力を感じる。恐らくベルフェゴール、それも大罪の魔力だ。
怠惰魔法で送られてきたんだろうなコレ。
「これが送られてきてから何日経った?」
「今日で丁度三日目。そんでグラドさんに相談してこの馬車を貰ったってわけさ」
「ならまだそう時間は経っていないか。ラオ、どのくらいで着く?」
「もうすぐだ」
怠惰魔法を使えばほぼラグなしに手紙を送ることが出来る。
つまりはこの手紙を作るような緊急事態になってから三日という事だ。
ならばまだ希望はあるかもしれない。何が起こったのか予想すら出来んが。
「サタンはどうなったんだ?」
「上で周りを見てもらっているよ」
「呼んだか」
サタンが窓の上から頭を垂らして返事をした。
思わずぎょっとするが、寝起きで蛇をドアップで見ていたのだから少しそんな状況にも慣れていた。
「付いてきてよかったのか? 俺の目的は教えられたんだろう」
「まぁな。元々俺があの場所に留まっていたのはアレの監視を頼まれたからだ。まぁ、同郷のよしみというのもあったが。それに平等に喧嘩を売るのだろう? それなら俺も乗らんわけにはいかんのだ」
ラオの里に行った目的はサタンの力を借りる交渉をするためだった為それは達成していたといえるだろう。
あのアホ程疲れた暴食との戦いも無駄ではなかったという事らしい。
ま、アイツという脅威を取り除けたというのは無駄というには大きすぎる気もするが。
急がば回れ、回るっつか障害物な気もしないでもないが、良かったという事にしておこう。
「で、そこの蛇は?」
「二日ほど前に鳥がここに飛び込んできてね。それがアレになったってわけ」
「成程。一つ聞いていいか?」
レヴィアタンの方を見てそう言えば彼は見定めるような眼差しから疑惑の眼差しに変えて返事をする。
蛇だというのに表情豊かな事だ。嫉妬というくらいには感情が強く出ているのかもしれない。
「俺にか?」
「レヴィアタン、お前は俺に力を貸してくれるのか?」
「俺は別に手を貸してやってもいいぜ。ルシファーやサタンの野郎みてぇに厄介な使命でも持ってるわけでもない。更に俺と平等教はいわば真逆だ。アレがつぶれるってんなら都合が良いってもんだ」
これで大罪は怠惰、憤怒、色欲、嫉妬の力を借りることが出来た。
あとは暴食は倒してしまったため除き、残りは傲慢と強欲という事になる。
傲慢はルシファーの位置は言わずもがな分かっているが、強欲の位置はさっぱりだった。
緊急事態で帰らなければならないために、それ次第では諦めるしかないだろう。
「だが一つ解せねぇことがある」
「なんだ?」
「俺要るか? ファセスがいるだろう」
確かにファセスは強い。
嫉妬の大罪という戦力で言うならファセスだけで充分事足りるかもしれない。
「お前はどんな環境でも人が進歩すりゃいいんだろうが俺は違う。ゆっくり眠れるような環境が良いんだよ。つまり、安心できるくらい準備したいんだ」
「……怠惰らしい言葉だ。良いだろう。大罪が一つ、嫉妬のレヴィアタンはお前に力を貸す。一度言った事は違えない、分かるだろう?」
「あぁ」
レヴィアタンはこの言葉を守るだろう。
彼らの成り立ち的に、己の名に誓ったことを違えるのはありえない。
それは大罪の権限を持った瞬間から知っていた、この世の成り立ちから考えればわかることだった。
「話が終わったようで助かるが、見えてきたぞ」
ラオの声が前から聞こえてきた。
もうすぐ着く、緊急事態というのはどうにも心臓を落ち着かなくさせる。
厭な予感が背筋を通り、背骨を揺らしているようにも感じた。
馬車が止まるその時になっても全く胸騒ぎが落ち着くことはなかった。
ルシファーからの手紙
真っ白な紙に書かれた手紙。
大きな猛禽類によって届けられたそれには綺麗な文が端的に書かれている。
火急の用故早く帰られたし。
残念ながら才賀には読む事が出来ない。




