50話 暗雲、立ち込める
黒い奔流が動き始める。アレに呑みこまれると大変な事になりそうだ。
蝿の集合体でできた黒い塊は、通った地面も深く抉っている。土でも何でも食べたいほどにお腹がすいているらしい。
「生成」
口蓋に木の魔術文字を書いて木のドームを作り出した。そのドームが閉じられた瞬間、豪雨が傘に当たるような音が鳴り響いた。
魔力で作り出したものは少しの間なんとなく感覚が繋がっているから分かるのだが、凄い勢いで齧られている。
ふむ。こりゃ焼け石に水だわな。
「とはいえ……このまま出て行ったって食われるだけだなぁ。どうしたものか」
魔力で防ぐ事は出来ない事でもない。だが、あの蝿の大群は今でも吹き出ている事だろう。外に出ようとした奴は焼かれている事だろうが。
がりがりと木を食らっている今でも増え続けている事になる。
流石にあの量に襲われては食われるという事以前に動けん。どれだけ小さな生き物でもあの量に襲われ続ければ深海のように潰されてしまうだろう。
「だが、このままここに閉じこもっていても食われるだけ……か」
火の魔術文字を地面に書いて、その上に立つ。爆発と念じれば飛び出すことが出来るだろう。痛いけど。
目の前の木の壁から伝わってくる音が大きくなっている。もうすぐ蝿たちは壁を貫通し俺へとたどり着く。その瞬間に起爆するのだ。
ボリボリと食らっている。もう少しで見える。
顎が木の壁を突き破った。
「爆ぜろ」
爆発の勢いをそのままに木の壁を蹴り破った。いたた、どうしても体に付いてくる蝿たちが俺の身体に歯を突き立てている。
蝿ってストローみたいに食べるって聞いたことあるけどなぁ! どう考えても牙の感覚があるんだが! 噛まれる痛みとは別に感じる刺されたような痛みがソレって? クソッタレが。
止まるな、止まるな。
走って蝿の群れに呑みこまれないようにするが、どうしても相手は飛んでいるのだから時間の問題だろう。
「燃えちまえ」
火は有効だろう。そう思って魔法で火を放つと、蝿たちは燃えようとも突っ込んできた。
あちちちち。火によって高温になった蝿が死に体ながらも体に引っ付いてくる。噛まれたり刺されたりはしない。俺の身体に当たる頃には力尽きているからだった。だが、熱湯をかけられたようなもので肌が焼けている。
「あっちぃな。火は駄目だ。生存欲求なんてもんはねぇのかてめぇら」
蝿から逃げながら、そう毒づくも彼らには無いのだろう。岩を投げようと少しも怯まないのだから。
主の食欲に従ってこやつらは突っ込んできているのだ。
走りながら祠の方を見ると、未だに黒い噴水が出来ている。後ろに迫る蝿は減らないが、増えてもいない。
一体どこに向かっているのかと思えば壁に張り付いている。恐らく外を目指しているのだろう。
俺という食べ物がいるとはいえ、外にも食べ物があるのは事実だ。それに手を伸ばしているのだ。アレじゃすぐに外に出ちまうんじゃねぇか?
そう思っていると、壁が炎に包まれた。……サタンの炎だ。壁を突破した奴を焼いているのだろう。
二人分の力にしては火力が小さい。だがその炎は壁を食べていた蝿たちを焼いている。
蝿たちは目の前で同族が焼かれ、落ちているにも関わらず壁に飛びついていた。
悍ましい光景だったが、それ以上に狂気を感じた。
命を投げ捨ててでも、食欲を満たそうとしている本末転倒。
「コレでこいつらが外に出る危険性は無くなった……が、どうやってコイツを倒そうか」
走り回って蝿から逃げているが攻撃手段が無かった。だが、追いつかれれば齧られて少しずつ傷を負っていくだろう。
仕方がない。魔力と怠惰の魔力の二層の魔力で体を保護した。これならば、ちょっとやそっと齧られたくらいじゃ見るも無惨なスケルトンになる事はないだろう。
「安全圏かと思ったか? サバイバルと行こうぜ、腹ペコ魔人」
黒い噴水に近づくとそれは拍子抜けするほどピタリと止まり、中には細身の男が立っていた。
カンフーの服のように動きに干渉しないような布の服を着ているが、靴が尖っていない。なんなら履いてすらいない。
骨の形が皮膚の上からうっすらと分かるほどやせ細っている。栄養不足からか、潤いを失ったぼさぼさとした長髪を揺らめかせながら立っている。
男は目を開けた。そこには食欲しか宿っていない。同じ人型をしているというのに俺をちょっと大きめの肉としか見ていないらしい。
男がこちらを見た瞬間に蠅たちは俺を襲うのをやめた。その代わりに男と俺の辺りを囲むように飛んでいる。
耳障りな羽音が響く戦いのリングが作り上げられたという事だろう。……それか食材を逃さない為の檻か。
甘いぜ、俺を舐めるなよ。
「焼き加減はどうするよ。ブルー? ミディアム? レア? それともミディアムレア? 聞いておいてなんだが、お客さん。うちはウェルダン限定なんだ」
火の魔術文字を地面に描いて燃え盛れ、とだけ書いた。
範囲は蠅たちを巻き込むくらい広く。火力は肉を焦がすほどに強く。
そしてよく焼き専門店なのだからじっくりと。例え俺の意識が飛ぼうと魔力さえ注げばこの魔術は止まらない。
ようやく俺のしようとしている事が分かったのか、蠅たちが殺到してくる。魔力で弾いているため体中の穴という穴に入られなくて済んでるが、それでも音を防げるものではない。スッゲェやかましい。
本体も逃げようとしている。良かったよ、逃げるって事はコレを脅威だと感じてるんだな?
「そんなに逃げるなよ。寂しいだろ」
暴食の大罪人の手首をつかんでにっこりと笑った。
手首をつかんだ掌がジクジクと痛んでいる。暴食の力だろう。必ずしも口から食べなければならないという道理もない。だが、少しくらい齧られるくらいは許容するべきだろう。
何故ならば今から燃える火の中を共にしようとしているのだから。
足元の魔術に魔力が吸われていく、そして視界が真っ赤に染められた。
皮膚が焦がれて、筋肉に、内臓に、脳に、火が通っていく。
中華料理も真っ青の火力だ。蝿も俺を止めようとしたところで一齧りが関の山だった。一度齧ってそのまま塩釜のように俺を包んでいく。これはこれで熱が籠って辛いものがあったが。
外に露出している粘膜である眼なんてとっくの昔に見えなくなったが、掴んだ手首の感触から奴がまだ目の前に居ることが分かった。
逃げようとしているが、まんまと逃がす程俺は甘くない。がっちりと掴んで離さない。
本当なら、アドレナリン等の力によってあまり痛みを感じないのだろうが、魔力によって癒しているとソレらは上手く作用しないようで激痛が俺の中を縦横無尽に暴れまわっている。
燃える蝿が皮膚に飛びつき焼ける感覚、肉を噛み千切られる感覚、無理やり魔力で癒しているために焦げた皮膚がべろりと剥がれ落ちる感覚。
熱と痛みと羽音だけが俺の世界を占めていた。
我慢比べだこの野郎。
暴食の眷属
暴食の力を使って作られた蝿に似た生命体。
見た目は蝿に酷似しているのだが、鋭い牙も持っており蝿の捕食器官とはかけ離れている。
なんでも食べることが出来、口に入れたものはエネルギーへと変換し創造主に送られる。
骨一つ、根っこ一欠片たりとも残さないそれはまさしく暴食と言えるだろう。




