49話 いただきます
暗い洞窟の先、進むたびにどうにも足を止めたくなるような気持がふつふつと成長しているのがわかった。
一歩一歩の度に己が死に近づいているような、ゆっくりと谷底に落ちて行っているような。
……思い出すなぁ。足を縛られて森に放置すると言われて担がれたあの時。
一秒が限りなく長く感じるんだよな。
先導するグラドさんの松明のみが明かりの為、周囲は真っ暗だった。
「こりゃまた、凄いな」
「どうしたの才賀。顔が青いけど」
「いやぁ、すっげぇ嫌な予感がするだけだ。よし行こう」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫さ。明確な死のヴィジョンじゃない。俺ぁ占い師でもないしな。厄介な事になりそうだからって足を止めるわけでもないだろう?」
「勘が良いな坊主」
歩きながらラオと話していると俺たちは前から話しかけられた。
それは今俺たちが向かっている方向から聞こえてきて、ゆっくりと男が姿を現す。闇の中から聞こえたその声に一瞬体が強張るも、よくよく考えれば俺たちが向かっている場所には一人の悪魔がいると聞かされていた事を思い出し力を抜いた。
「怠惰か。それに嫉妬もいる。何しに来た」
「お前と話をしに。ついでに因縁を消化してくれるんだと」
「ハ……ラオ、お前と会った時も思ったが、つくづく運命というのは奇怪なものだな。知っているかもしれないが、俺の名はサタン。憤怒の悪魔だ」
闇から出てきた男はとても人間には見えなかった。
簡単に言うなれば炎の化身のようだ。炎のようにすら見える体に鋭く黒い眼が浮かんでいる。
赤い肌に青い髪、だが人間のように鼻や口が付いているわけではない。精霊のようなその容姿はまさしく悪魔のそれだった。
「随分と、人間離れしているな?」
「ベルフェゴールの奴と比べればな。見る所レヴィアタンの奴もいない。……面倒だが俺が説明しなければならないようだな。悪魔にとって姿形に意味はない。どうにでもなれる。俺は憤怒を司っている、故に怒りの象徴とされるものになる。口も鼻も、本来は目も必要ないモノだ。ソイツに言われて目を作り出したが」
「だって目も無いんじゃどこ見てるかもわからないじゃない? 一緒に暮らすなら目くらい作ってって言ったんだよ」
グラドさんが言わなければそれこそ炎のような姿をしていたのかもしれない。
口が無いからと言って発声に支障はないようで、腹から出しているような張りのある声をしていた。
「そういや、アスモデウスも容姿は弄れるとか言ってたな」
「ほお、アイツにも会ったのか。それで、因縁を消化するとか言っていたが、この先に何がいるのかわかってるのか?」
「いや?」
「知らん」
俺は知らん。
ラオの方を向くと彼も知らないようだった。
俺も嫌な予感はゴリゴリしているが、予想は出来ていない。
何かがいる事は妙な気配がすることで分かっていた。
「集中しろ、封印はされているがなんとなくだがわかるはずだ」
目を閉じる。
すると何かを感じた。
つまり、俺が察知できる何かが此処を進んだところにいるのだ。
成程成程、くっそ面倒だな。
「つまり?」
グラドさんがサタンに問うた。
ラオもファセスも大罪人だ。グラドさんはこの中で唯一大罪人ではない、故にわからないのだろう。
「暴食だ。三人に証明は要らないだろう? 大罪を持っているならわかるはず」
「一つ、質問良いか? どういう経緯でこうなってんだ」
「知らん。俺達が大罪人の誕生までココには来れんのは知っているだろう。コレはラオが生まれた時からここにあった。故に俺はコレを知らん、全くな。予想になるが、倒しもせずただ封印している所を見るに平等の奴だろう」
また平等教の連中か。
面倒な連中だ。
「多分だけど、暴走しているんだと思う。どうしてそうなったかはわからない、けど」
「分かるのか?」
「うん。ここら辺の星のエネルギーが荒らされてる。暴食だからやれるのは分かるけど、とても知性を感じないというか……手当たり次第に食いちぎったみたいな」
ファセスは星に愛されている。その星、というのは今俺たちが立っているこの星もその例外ではない。
彼女は自然のエネルギーを見ることが出来るのだろう。暴食が暴れたのだから噛み跡のようなものが見えるのかもしれない。
「暴走ねぇ。最近、といってもここ数百年だがベルゼブブを見ないと思ったら……そうか食われていたか」
「食われてんの?」
思わず大きな声が出た。
悪魔が食われているらしい、という情報はなかなかに大きな衝撃を俺に与えた。
俺だけなのかと思ったら、ラオも声を出さないなりに目を見開いて固まっているのを見て安心した。
てっきり俺は悪魔が暴走でもしているのかと思っていた。ラオが産まれた頃からあるというのもあるし、ひび割れた封印から感じる力はとても人間が持てるようなものではないと思っていたからだ。
「成程ね。この痕跡はそう言う事か」
「この話を聞いて、どうする? 危険だぞ」
「あん? そんなもんやるしかないだろ。どうせ命懸けの旅だ」
「良いなぁ。嫌いじゃないぞ、そういうのは。歩きながらだがベルゼブブの力を教えてやろう」
サタンは歩き始めた。
ベルゼブブの話をする前に自己紹介を軽くしたのだが、俺のことをすぐに異世界人だと彼は見抜いた。
魂でも見えているのか、それとも一目見て分かるほど何かがあるのか。
「ベルゼブブの能力、つまり暴食の力だ。暴食の魔法は何かを摂り込むことに特化している。ほとんどの攻撃は吸収されると思え」
「待て、それは勝てるのか?」
「そう焦るな、ラオ。ダメージは負う。熱いスープを呑めば舌は火傷するだろう。それに全てのエネルギーを得られるわけじゃない」
「ちょっと……嫌な予想が頭に浮かんじまったんだが、良いか?」
「良いだろう。なんだ?」
「空中に飛ばさねぇととんでもねぇことにならないか?」
「とんでもねぇことになるだろうな。ここの土を触ってみろ。塵に近い」
地面を触ってみると、確かに土から命の息吹を感じなかった。
カラカラというよりは。大事なものが無くなったようだ。きっとこういった痕跡をファセスは感じていたのだろう。
もしも土に命があるとすれば、魂が抜けて存在そのものに罅が入ったような感触だ。
ダンを思い出すのは気のせいではないだろう。
「ひどいな、こりゃ」
「眷属を召喚する能力もある。これが一番厄介と言っても良いな」
「ちなみに聞いておいていいか?」
「蝿などの虫だ。奴は腐肉を食らうものを好んでいた。大罪人の好みまでは知らんがな」
ま、獣は食という点では極めているとは言えない。だからだろう。
獣にとって食というものは生きるために一つだ。全てを食らう必要も無ければ、殺した生命を食らう責任も持たない。逆に全てを食わないからこそ自然は命が氾濫する。
まぁ、それは蝿も綺麗に全てを食うかと言われるとそうではないかもしれないが。
何もかもを食らうベルゼブブからすれば、一切合切を食らおうとする蝿を好むのは確かに道理かもしれない。
「見えてきた。この扉の先に祠がある。さて、俺は此処から先に行けん。そしてラオ、お前もだ」
洞窟の先、扉の前でサタンが立ち止まった。
黒い岩肌と暗闇が相まって怖気が立つ印象を受ける。
サタンの持っている松明のみが輝いている。てらてらと揺れ動く光が一層恐怖を掻き立てる。
「何を言っている」
「言っただろう。奴は眷属を召喚する。アレを逃せば辺りの生命を食い尽くし、倒すことは不可能になる」
「お前ならば、出ようとする眷属を燃やせるだろう」
「ラオ。我が大罪人であるお前なら分かっているはずだ。俺だけでも燃やせはするだろうが、外に出ようとするものだけだ。勝つならお前の炎が必要になる事を」
「俺に……サイガごと燃やせと言うのかッ?」
ラオが叫んだ。洞窟の中を虚しく声は反響していく。
サタンの言葉は全て事実であり、本当に勝つためにはラオの炎が必要なのだろう。
長く旅をしていて気づいてはいた。ラオは敵を燃やすことはない。己の体を燃やして強化することはあれど、敵を怒りの炎で焼き尽くすところは一度だって見たことが無かった。
今ならばわかる。グラドさんを燃やした経験が鎖となっていたのだ。
「ファセス、お前なら眷属を閉じ込められるだろう。頼んでいいか? 万が一逃げ出さないように」
「良いけど……大丈夫?」
「聞いてる感じ相性悪いだろ? 俺に任せとけって」
ファセスの力は星と嫉妬の二つだ。
星の力は自然のエネルギーを使う都合上暴食と相性が悪い。それに、奴を倒せるほどの高火力のモノを使う場合洞窟なのだから崩落は免れない。
嫉妬の力は彼女の感情次第なところもあるため不安定だ。
つまりは、俺が適任なのだ。
「グラドさん俺の杖と剣持っててくれないっすか? 大事な物なんですよ」
「それは良いけど……大丈夫かい? 君は」
「良いんですって。いつか来る災害ならさっさと片づけた方が良いでしょう?」
杖と剣をグラドさんに預けた。重たいかと思ったが、彼のスキルで軽々持っていた。我ながら慣れたとはいえ杖は重たいだろうと心配していたのだが、無用だったようだ。
久しぶりに杖と剣の重さから解放され、少し体を伸ばしていると、心配になるほど深刻な顔をしたラオが話しかけてきた。
「さ、サイガ。俺は」
「別に燃やさなくてもいいぜ? 俺がサッと倒してきてやるよ。安心して待ってろって」
別に、トラウマを乗り越えろなんて言わない。
俺が言えた話でもないからだ。
「俺は、俺を信じられない。お前を燃やしてしまうと思うと」
「なーに言ってんだ。お前に燃やされたところで俺が死ぬかよ」
「……サイガ」
「もしも。もしもお前がそれを乗り越えたいと思うなら。俺を信じろ。俺はお前を信じてるし、お前も知ってるだろ? 俺が簡単に死なないって事をさ。お前に俺は殺せねぇよ」
ラオがトラウマを乗り越える前に倒しちまうかもしれないけどな。
今が彼の運命なのかもしれないし、別に俺は今じゃなくてもいいと思っている。
「じゃ、行ってくる」
「気を付けて」
ファセスの心配そうな声を背に俺は扉を開けた。
扉を開けた先にはだだっ広い空間の真ん中に一つの社、そしてその中に見える井戸があった。
壁や社に松明がある所を見るに、管理されていたのだろう。
真っ暗でない事は幸いだった。最悪指に火を灯しながら先に進まなければならないかと思っていた。
後ろの扉は閉まっている。きっとサタンやファセスが眷属を一匹たりとも逃がさないために魔法を行使している事だろうな。
「起きろ、怠惰」
俺たちが励起するための呪文を言い終わった瞬間、井戸から黒い滝が上に落ちた。コイツ……御馳走が運ばれてきてテンション上がってんな。サタンが此処に入ってなかったのもそういう事か。
それは祠を吹き飛ばし、呑みこんだ。
その黒いモノは井戸すらも呑みこんで、空間一杯に広がっていく。
動きが落ち着いたことでその正体が明らかになる。
このうごめく黒い物全て蝿の塊だという事が。
祠も井戸も食いつくし、そして壁や地面を齧らんとした所で、ようやくその狂おしいほどの空腹から思考がほんの少し解放されたのだろう。
ゆっくりと俺に向かって来ようとしている。
悪魔をも食った暴食の大罪人。
命を、土を、空気を、何もかもを口の中に放り込まんとするソレとの戦いが始まった。
鎮めの祠
井戸の上に建てられた祠。蚕食されているが、どうにか形を保っている。
日光が入らない洞窟の中にあるというのに黴一つついていないそれは、封印されているソレの凶悪さを物語っている。
信仰とはどれだけ悲惨なものだろうと理由があるものだ。例えそれが最適解ではなかったとしても。




