44話 天使の梯子
天井が落ちたことによりファセスの作り出した偽りの太陽があたりを照らす。
その日差しは強く、それでいて決して熱くない。温かなそれは春を感じさせる程に。
狂王の持つ剣が金色のオーラに包まれる。
それまでの禍々しいような澱んだ魂の色ではなく、全くの澱みを感じない神像の大理石のような色だ。
「……あれ、嫌な予感がぞくぞくするんだが、共感してくれる?」
「冷や水を浴びせられた気分だ。サイガ、まだやれるか?」
「そうなるよなぁ……一分、それだけ稼げ。死ぬ気で再構成する」
「了解した」
ラオは走っていった。
俺が回復する時間を稼ぎに行ったのだ。
今の俺に足の感覚はほぼ無い。太腿や骨盤にもヒビが入っているかもしれない。最悪砕けているだろう。
手の指はぐちゃぐちゃになり蛸の触手のようだ。
腕の骨は縦に裂けていて元々一本の骨が二本になっている。腕の骨が四本になっているという意味の分からない状態だ。
それ以外にも節々に痛みはあるがコレらに比べたら軽いものだろう。
重傷だ。
とてもではないが戦える体ではない。
地球ではそう言っていただろう。爺はそうじゃないかもしれないが。アイツは多分それでも戦えと叱ってくるだろう。クソが。
だがここは異世界だ。ここに来たおかげか俺の体にある魔力はその量を増し、強くなっている。
そして魔力は体を癒すのだ。腕の傷もすぐに手当てをしないと致命傷になりうるほどの傷だが、もうすぐ傷だけは塞がりそうだ。出血も穏やかになってきている。
だがそれでも遅い。
右腕から流れ出ている俺の血液を手で掬う。そして腰に差してあるペネトから貰った杖の先を浸した。本来必要ないインクだが、あると補助になる。血液は肉体のカケラであるから魔力が宿る。ペネトの授業で学んだ事だった。
手がいかれてるとやりにくいったらありゃしない。ぐちゃぐちゃの手でも掴むことくらいはできるが激痛が伴う。だが、死ぬよりもマシだ。ずっとずっとマシだ。
そして地面に丸を描き、その中に五芒星を描き入れた。
俗にいう魔法陣というものだ、この世界の魔法陣はあくまで魔法の補助に使われるもの、能力を最大限に使うためのモノ。
五芒星の五つの角に火、水、木、金、土の魔術文字を書いた。
旅の途中でも練習を忘れずにしておいてよかったぜ。
そして五芒星の中の五角形に肉体の再生と書くのだ。
魔法陣が完成し、魔力を吸い始める。
「ぶっつけ本番だ、気合いを入れろ」
五芒星の中心で、眼を閉じる。
そして体の中の神経全てに意識を張り巡らせる。すると当然痛みが鮮明になって気が狂いそうなほどに大きくなる。
だがそれが正しい。痛みを、傷を、受け入れる。
細胞一つ、血管一つ、傷一つ、不純物一つ、何一つ欠けないほどに全てを認識する。
そして魔力によって塞がりかけているその傷たちがない状態、完全な状態を思い起こした。
言うは簡単だが、意味が分からないほどに難しい。
人は死に直面すればできないこともするしかないのだ。やらねば死ぬのだから。
傷たちがぐちゅぐちゅと蠢く。
傷というものは谷のようなものだ。不純物は石ころのようなものだ。
それを動かし、塞ぎ、粘土をくっつけるように直していく。
痛い。傷を己で弄っているのだから、気絶しそうなほどに痛い。
脂の塊のような汗がたくさん出てくる。
腹を切って介錯もされずに野垂れ死んだ方が楽なのではないかと思うほどに辛い。
だが、やりきった。
俺の骨はがっちりくっ付き、指もまっすぐついている。
指の形を正しい形にこねこねしている時は頭おかしくなりそうだったぜ。
杖を腰に差し、剣を握る。
あぁ、無傷な体ってのは良いなぁこりゃ。
魔力がごっそりと抜けた脱力感に苛まれながらも、前を向いた。
一足飛びに駆け出し、金色の剣を受け止める。
やはり、狂王の力が弱くなっている。つまり獣の刃じゃないそれは、俺と同じ土俵に立っているという事。
「遅刻したか?」
「なぁに、まだまだやれたぞ」
「頼もしい事で」
「調子は」
「万全!」
虚勢を張りながら狂王と斬り合う。
悪夢的な膂力で齎される澱んだ石剣とは違い、人間の範疇に収まった膂力だ。だが、英雄の剣が帰ってきている。
一挙手一投足、何か一つ間違えれば首が飛んでそうな死線。
俺がひとたび狂王の一撃を弾けば、ラオが空いた狂王の腹に拳を叩きこむ。
狂王がラオを片付けようと視線を変えれば、俺はその横っ面に剣を差し込む。
それに対応すればラオが攻撃を入れるだろうし、無視すれば奴の眼球はひとつはじけ飛ぶだろう。
「跳べ!」
奴の動きが一瞬止まればそう叫ぶ。死の匂いが奴の大技を教えてくれた。
ラオは俺を信じて上へと飛ぶ。俺はすぐさましゃがむ。
死の一閃は俺の髪の毛をほんの少しだけ短くするだけで、俺らには被害を与えなかった。
俺はそのまま足の甲へ剣を突き刺した。たとえすぐに再生できたとしても、これじゃすぐには踏ん張れない、だろ?
ラオが空中から拳を振り落とした。
大技を出した後は隙が出来るのか、まともにそれを受けた狂王は体が地面に叩きつけられる。
「ラオ……あそこまでコイツ、飛ばせるか」
「時間をくれ」
「相分かった」
俺は空に浮かぶファセスの太陽を指さした。
こいつはこの国の中であってもアンデッドに近いものだ。例え呼び戻された民たちがそうでなくとも。なら陽の究極であるアレに突っ込めば死ぬんじゃないか?
本当はファセスに聞きたいのだが、そうも言ってられない。
トライアンドエラーだ。
「来いよ、死ぬ気で止めてやる」
あの金色の剣はただ当てるだけでは斬られる。剣ごと。
アレは剣を斬れる。ならばこちらもそれだけの技術をぶつけなければならない。そして一度剣を交えて分かった。膂力は負けているが、技術は勝っていると言えれば良かったんだが。
つまり、膂力も技術もあちらが上手という事。
俺の最高の一撃で狂王の攻撃をようやく防げる。そしてこれからの戦闘で失敗は許されない。
足を踏み込む、息を吸う、腕を振る。
殺気と死の予感が混ざり合い、時間が引き延ばされていく。
剣と剣がぶつかる金属音がゆっくりに、低く聞こえる。
俺と狂王は今、戦っているのだ。殺し合いをしているのだ。
幾千もの、いやたった二つ三つほど、それか何百もの、どれでもあってどれでもないその果てしなき剣戟の果てにラオの声が降りてきた。
「動きを止めろ!」
受け止めようとしていた剣を避ける。避けきれなかった為に腕がボトリと落ちた。許容。
剣を狂王の左足に突き刺して地面に固定した。
無手になった。許容。
狂王の剣がまた迫る。片手で剣を掴む。
真剣白刃取りだ。……手汗で、滑る。
あ、これミスったか? ゆっくりと手汗で滑り、動き出そうとしている剣を見ていた。
だが奴の剣は止まった。
狂王の剣は石剣によって止められていた。
「三郎……?」
「おはようございます、才賀。言っておきますが、僕も手一杯ですからね」
いつのまにやら正気を取り戻したのか三郎が俺に迫る剣を止めていた。
何故、そう口からこぼれる。彼が俺を助ける義理なんてあったかと。
「義理ならありますとも。ただ時間も無いので一言で、頭を抱えてでもどうにか理解してください」
そういうと三郎は石剣を、奴の胸に突き刺した。
胸を突き刺されたからか、それとも俺に分からない何かが起こっているのか狂王はフリーズしている。
俺は三郎に助けられた。
「正気をありがとう」
正気など、あげた覚えもない。
そう困惑する間もなく彼は動いた。
三郎は己の腹に石剣が突き刺さるのも厭わずに、狂王を後ろから羽交い絞めにした。
狂王は剣を俺に掴まれ、足は地面に剣で縫い付けられ、三郎に羽交い絞めにされていることから満足に体を動かせない。
「いくぞ」
「いいのか……? 三郎」
「やってください。景気よく」
「だとよ」
「いくぞ!」
ラオの拳が狂王の腹へと刺さる。
何もせずとも見える程に濃い魔力を纏ったその拳は一瞬の虚空を超えた後、轟音と共に狂王たちの体を天高く打ち上げた。
剣によって繋がっていた三郎もそのエネルギーから逃れる事は出来ずに。
二人は飛ばされて行った。
そして彼らの行く先は天に浮かぶ太陽。
ラオの拳は無事アレに届かせたのだ。
「いったか」
そう言葉を口にしてラオは倒れた。
全くの魔力を感じない。呼吸が聞こえる為死んではいまいが、仮死状態かとも思うほどに体から聞こえる音が小さい。
俺ももう立っているのもキツいくらいには辛かった。
だが、それでも立ってあれらを見ていた。
太陽にたどり着いた二人は、太陽の力を吸うかのように光を陰らせる。
それこそ日食のように。
だが太陽を食い尽くす事なんて出来るはずもなく。影は薄れていった。そしてほんの小さな影になったそれは、消えた。
それすなわち彼らの死だ。
狂王の死、三郎の死。
喜ぶには疲れ過ぎたこの体には、ただなんとも言えない悲しさだけが残っていた。
それは一つの疑問と一つの興味の残骸より出でている。
三郎は何故俺と戦って、そして助けてくれたのだろうか。記憶の空白がそれを解決してくれるのならば、もうすぐ解決するのだろうか。
ただ話してみたかった。だがその機会は永遠に失われた。
悲しむには縁が薄い、だが確かに俺は悲しみを覚えていた。
涙は出ない。だが、それでも悲しかった。
そして俺は倒れた。
とっくに限界は超えている。魔力はあるが、気力なんてひっくり返しても出てこない。
迫る地面の痛みも感じないまでに素早く俺は意識を失った。
魔法陣
五芒星に五つの魔術文字を使う事によって一時的に異界を作り出し、この世界との接続を切る事によって魔術の力を十全に引き出すための儀式。
五つの魔術文字は相互関係にあり、高め合っている。
だが、魔術文字は打ち消し合う関係でもある為に、高度な魔力制御能力が無ければ使うことは難しい。
多くの魔術師が憧れる奥義ともいうべき技ではあるが、天才達は陣でしかないこれでは究極と呼ぶには程遠いと自戒の念を持つらしい。




