43話 最後に残ったイチジクの葉
城を貫き築きあがった狂王の城に入ると、濃い血の匂いが漂っていた。
今までも血の匂いは嫌になるほど嗅いでいたが、コレはそれとは違った。新鮮な血肉によって発生しているものじゃない。
なんといえばいいか、乾いている。
血が酸化し、肉は腐敗した、乾いた臭い。どれだけの時間が大惨事の後に流れたのかわからない程に埃混じりだが、確かにそれは人の臭い。
進んでいっても、中には誰もいない。
外にゾンビのような国民たちが発生したのだから騎士でもいるかもしれないと予想していたのだが、ただ嫌らしい血の匂いだけが続いている。
外の悲鳴と、埃を暴くファセスの作り出した太陽の光が静かに入る中との対比が物悲しい。
長い道を走っているうちに先ほどのダメージのほとんど回復することが出来た。
魔力は未だ余裕があるものの、これ以上致命傷を受ければ治さずに戦う事になるかもしれない。
横のラオは先ほどの先頭の疲れなどどうでも良くなっているようだ。
怒りに満ちた顔でまさに鬼といったところか。口に出すと怒られそうだから言わんが。
彼は俺なんかよりも善性が強く、優しい。殺され、未だに此処に縛り付けられている民たちは彼の心に刺さり、膿んだように痛んでいる事だろう。
そうでなければ憤怒の二文字を背負わなかった。
彼の怒りがどれだけ激しいものか、俺にもわからなかった。
扉を開ける。
一際濃い血の匂いを乗せて風が吹く。爽やかなのに生臭い風だった。
広場の奥に玉座、多くの人が王を見つめていたであろうそこは、何もない寂しい部屋と化していた。
玉座には大きな剣が突き刺さっており、まるで座らせないという意思があったかのようにも見える。
そしてその玉座の前に二人は立っていた。
そして広場の中央に石の剣が突き刺さっている。
俺らが来たことに二人が気付くと、三郎がその石剣を抜いた。
あのドス黒いオーラは消えているが、それでも重く大きいアレは脅威になる事だろう。
そして狂王は玉座に突き刺さっていた剣を引き抜いた。その剣の輝きはこの城から伝わってくる年月を感じさせないものだ。鋭く、硬く、それでいて誇らしげな。きっと英雄の剣だったのだアレは。
ふぅん、最後のプライドだったわけか。
つーかあの石剣って実寸大サイズかよ。
像用に誇張してんのかと思ったらその大きさの剣が出てきちまったぞ。
「ラオ、好きに動け。俺が合わせるから」
「恩に着る」
地の底から響いてくるような声が答えた。
怒りという性質上、あれこれ考えるよりは好きに動いた方が強いだろう。
ラオが踏み込む。流石に速いが何とかついていく。
三郎が石の剣で行く手を阻もうとする。だがその間に滑りこんだ。
その一撃は確かに強くなっていた。早さも重さも二倍と言っても過言ではない程に、その一撃は強くなっていた。
だが俺も命を懸けている。
ラオにその一撃は届かせない。ただそれだけを実現するために。
たった一度、その剣を受け止めただけで骨から異音がし、歯が砕けた。
だが、だが、だが、それでも俺は剣を振りぬいた。
三郎の石剣が弾かれる。
弾かれるのを予期していなかったのか、三郎は大きく剣に引っ張られるように姿勢を崩した。
それを足蹴にして距離を稼ぐ。ほんの一瞬でも時間は時間だ。
どれだけ力があちらに分があると言えど、体勢が崩れてるってのに蹴られりゃ転ぶってもんだ。
「行け!」
俺が言うまでもなく、ラオはほんの少しも動きを変えることなく狂王へと殴り掛かっていた。
ククク……信頼か。嬉しいんだか胃が痛いんだか。
すぐさま帰ってきた三郎の剣の打点をずらし、弾きながらそう笑う。ラオを先に行かせるために無茶をした甲斐があるというものだ。
あんな派手に弾く必要がなければあんな命を削るような思いをしなくても戦える。
ラオの拳と狂王の剣が鋭い音を鳴らす。鋼に大きなハンマーを振り下ろしたようなおっそろしい音だ。
ラオは素手だが、魔力で強化された結果がこの音なのだろう。
三郎の力が強くなっている。ならば狂王も同じことだろう。
だが彼の怒りはそれに並び立つほどらしい。
それどころか押している。
「アンタらどっちが本体なんだよ。それさえわかればもっと楽なんだがな」
答えは返ってこない。俺と相対している三郎の眼には知性を感じなかった。
三郎から帰ってくるのは石剣と、金属を殴りつけ引っ搔くような声だけだった。
意思のない敵ってのはどうもやりにくい。
相手とは話せず、どうやれば倒せるかもわからず、どこまでが底かもわからない。
「クソゲーめ」
そういえば立夏がよく人生はクソゲーだとかほざいていたか。
懐かしい。
一瞬の懐古、その時に受けた一撃は確かに先ほどの一撃よりも強かった。
あまりの力に受け損なった。俺の姿勢が崩れる。
それを好機と見たか、何回も何回も撃ち込まれる。一歩、また一歩と後ろに下がらされていく。
そして抱えていた疑念が……確信となった。
「ラオ、早く殺さねぇと、やべぇ! こいつらどんどん強くなってやがるぞ。その燃料は恐らく、この国の人間だ」
後ろの金属音がまた激しくなる。
俺の忠告は聞き入れられたのだろう。
推測でしかないが、コイツらこの国の人間がゾンビに倒されるごとに強くなってやがる。
そうじゃないと説明が付かない程に手ごたえが一発ごとに変わっていく。
さて、時間がない。
この国の人間は今少しずつ死んでいっている。
ファセスがその速さを遅くしているとしても彼女の体は一つだ。
一人でこの国全てを救えない。
「なら、俺らが終わらせにゃ道理が合わんだろう」
覚悟は決まった。
我が名、
いざ参る。
石剣が右斜めから向かい来る。
それに対し俺は剣を合わせなかった。
瞳はただ三郎へ、足は音もたてずに強力に。
そして石剣を横から抜き手で突いた。
右手の指がへしゃげる。爪は剥がれ、骨は砕ける。
ただ魔力によって強化されたその膂力を生かし、指を突き刺した。
剣というものは刃に当てなければ切れないのだ。摩擦か圧か、どれを主にしているかは剣によって違うが刃に当てずに斬る剣というものを俺は知らない。
少なくとも剣は横には斬れない。
そしてどれだけ強化されようとこの剣は石だ。鉄ほど硬くない。
右手の指は使い物にならなくなったが治るので良い。
涙が出そうなほどに痛いのは歯を食いしばれば良い。
ただ一つ、剣に力が入らないこと、それが問題だった。
利き手の右手を使ったのだから力が上手く入らないのは当然のことだ。
どうせなら左手が使える左からきたらよかったのだが、贅沢も言えなかった。
左手に持っている剣を三郎の頸に突き当てても、どうにも貫けない。
人体はまず刃が入ると厚い筋肉が阻む。その次に骨に当たればどうにも刃が止まる。
しかも首の筋肉はどんな人間でも厚いことが多い。そして首の骨は避けにくいのだ。
普通の人間を殺すのならそう深くまで入れなくとも死ぬ。
手前だけ斬ったとてコイツには効きもしない。
そして時間も無い。
「こんちきしょうが」
猿叫。肺の中の空気をすべて声へと変えた。
頭からリミッターの外れる音が聞こえた。それでも足りない。刃が入らない。
ならば、と三郎の喉元に浅く刺さっている剣の柄を膝で蹴り上げた。
足の力は腕の力の何倍だったか。
剣はあまりにも簡単に三郎の頭を飛ばした。
宙に放り落とされた頭を蹴って遠くに飛ばす。受け止められて、そのままくっつけて治るなんて悪夢はこりごりだ。……無作法に無礼を重ねるが許せ。
そして残念なことに俺に休む時間はない。
指に魔力を集中させて傷を少しでも癒す。致命的に壊れてしまっている為剣は握れないが、左手がまだ残っている。
ラオの方を見ると彼らの勝負は拮抗していた。
彼の力は絶大で一撃一撃を大きく弾き飛ばしている。
だが狂王はただ力で戦うのではなく、技術を用いていた。
体運び、力の入れ方、隙の作り方。それは確かに一級品だった。
柔よく剛を制す。圧倒的な剛に柔で拮抗せしめたのだ。彼の戦いに知性が混じり始めている。
己の体は傷つき、アレに混ざるには少し時間を要する。
だが、時間はないのだ。
「サイガ!?」
そんな顔をするな、ラオ。
俺がしたことを思えばそりゃそんな顔になるのもわかるが、今はそれどころじゃねぇだろう。
簡単に言えば狂王の一撃を止めた。
俺の右腕を犠牲にして。
だが、止まった。
目の前が痛みでちかちかする。
脳の動きが痛みによって阻害されているのだろう。
掌底で受けたその一撃は手のひらから入り、右腕の前腕を中ほどまで斬り、止まった。
ちゃんと……骨で引っかかるようにしたんだがな。骨が縦に割れている。
腕を使い一番防御力の高い受け方と言えば縦だ。骨を横から斬るのと縦に斬るのでは、全くと言っていいほどに違う。
「感謝するぞ、サイガ!」
おう、生き延びれるだけで御の字よ。
狂王の体にラオの拳が突き刺さり、吹き飛ばした。彼の拳に宿る怒りが、そのまま狂王の体を打ち破る。
追い打ちを……しなければ。
「ぐぅ……ラオ、俺のことは良い。とどめを」
「すまん」
痛みで朦朧としている視界の中、狂王を見るとふらふらと剣を杖にして立っていた。
アレほどの一撃をまともに食らったのだ。
あれならば防御するような力も残っていないように思える。
だが、だが、だが!
俺には見えた。俺には嗅げた。俺には聞こえた。俺は味わったことがあった。俺は触られた。
それは死だ。死神の足音が、手が、迫っている。
「愚か者の寝具! 定時即寝!!」
愚か者の寝具の対象は今立っている床全面。
定時即寝の効果はベッドにワープするだけの単純な怠惰魔法。
対象は俺とラオ、行き先はふかふかになった床。
一瞬のうちに寝転んだ俺らの頭の上を風が通り過ぎていった。
その一筋の辻風は、俺の肋を通り、心臓を駆け抜けていったのかと思うほどに、背筋を凍らせた。
そして遅れて天井が落ちてきた。
俺もラオも天井程度で死ぬことはない。の……だが恐怖は身を凍らせた。
「……恩に着る」
「気にすんな」
あの瞬間俺の対処が少しでも遅れれば死んでいただろう。
きっとこれが最大にして、最後の大技だ。
狂王はもはや人間のように呼吸を荒げながら、ふらついている。
確実に、弱っている。仕留めなければ。
ヘラクレス
狂王が狂い果てるより前に使っていた剣。
玉座に刺さっていたそれは狂気に呑まれてもなお、残ったほんの僅かな正気の残り香だったのだろうか。
かの王が王国を築くまでの王道を共に歩いてきたその剣は未だ錆の一つ、刃こぼれ一つ無い。
狂人は追いつめられ、獣と化した。




