40話 燃える
暗闇の中に俺はいた。水の中のような不思議な感覚の中に漂っている。
デブリのように真っ暗の中を静かに動いているのかも、止まっているのかもわからないまま俺は意識を取り戻した。俺は驚いた。明晰夢なんて見るのは初めてだったからだ。
足もついていない、どこが地面かもわからないし上がどれかもわからない。
そして俺は太陽を見つけた。いや、太陽というには冷たい光だ。
太陽のような光じゃない、消灯されていない病室のような暗闇に浮かぶ真っ白な光。
その光は次第に強くなっていく。俺が吸い込まれているのか? わからない。
靄のかかった思考の中で俺はその光を眺めていた。
光が俺を包み込む。だが不思議と俺の眼は痛まない。こんなにも光っているというのに。
「才賀、大丈夫。あなたは何も悪くない」
声が聞こえる。女性の声だ。
聞き取りにくい、遠くから話しているのか? それとも壁か何かの向こうなのだろうか。確かにソレはこもっていた。
それにしても懐かしい声だ。記憶の匂いが脳内の鼻を刺激した。喉のところまで記憶が来ているというのに、それは脳まで到達しない。
もどかしい思いに歯噛みしているとまた違う声が聞こえた。
「お爺様がすぐに来る。才賀、君は待っているだけでいいんだよ」
爺さん? なんで爺さんが来るんだよ。
今度は男性の声だった。
あの人の住んでる山はすごく遠かった気がするんだが。
男性の声にそう不思議に思っていると、急にブレーカーが落ちたかのように俺を包んでいた光が消え去った。
けれど何もかもが消えたわけじゃない。赤だけが残っていた。燃えている、これは……炎?
光が消え去った後に真っ赤な炎が残った。
気付けば俺はそれを体操座りをして眺めている。キャンプファイアーみたいだ。
遥か昔、もう遠くなってしまった記憶が脳の奥底から頭を出した。顔も覚えていないクラスメイト達。友達の声。
だが今、俺の隣には誰もいない。俺だけが炎の前で座っている。
残ったその炎は先ほどまでの光と違って、熱を持っていた。
近くで見ている俺はじっくりと火を通されているように、熱くなっていく。
温かかったそれにゆっくりと身が焦がされていく。
「ごめん」
うん。
聞こえた声にそう答えた。
「ごめん」
謝らないで。大丈夫だから。
何に対して謝っているのか、何が大丈夫なのか。分からないのにそう答えていた。
首に手が回されて、抱擁される。背中に誰かがいるのが分かる。ただそれに熱がないことが泣きそうなほどに寂しかった。
そして後ろから押されるように俺は炎にその身を飛び込ませた。
俺は勢いに逆らう事はなく、猛々しい炎が俺の身体を包んでいくのを見ていた。
そして燃え盛る体表よりも、遥かに熱いものが俺の中に存在している事に気が付いた。
「才賀」
声の方向を見ると、爺さんだった。爺さんが俺のことを無表情でただ、見ていた。
爺さんは刀を持っていて、眼に僅かであるが殺気を感じた。
「お前はどうしたい。望むなら」
爺さんの言葉にノイズが走る。うまく最後が聞こえなかった。
何を選択させるのだろうかと、燃え盛るこの喉では何も聞くことすら出来ない。
選択肢がわからないよ、爺さん。もう一回言ってよ。その言葉さえも焼き尽くされた。
数秒、爺さんはピクリとも動かなかったのだが、一回瞬きをした時にはもう動いていた。
気が付いた時には爺さんは刀を振り終えていて、刃を鞘に収めた。
「才賀、覚悟をしな。手前の運命は、結局手前で決着をつけなきゃならねぇんだ」
そう言うと爺さんは闇の中に歩いていき、その体を闇に溶かした。
最後、最後の爺さんの眼が、魂をも貫きそうな視線が心に残った。きっと忘れてはいけないものだと感じていた。
そして俺につけられていた切り傷が開き、腹から血が噴き出す。
炎すらもかき消して、視界が赤で染められていく。
目が覚めると土を頬につけ、体に石が食い込んでいた。
いたたた、立ち上がり土や石を払う。立ち上がると死臭がした。
その匂いが鼻から脳に伝わると共に一気に冷静になる。
辺りを見渡すと、なんとあの狂王がいるじゃねぇか。
そして今にもラオに攻撃を仕掛けようとしている。驚く暇もねぇ。
もう抜いていた剣を上段に構える。
たった一歩、されど一跳。
距離を詰める間に血の匂い、土煙の匂い、腐り始めた人間の匂い、色々な物が臭う。
うん。思考はもう晴れ渡っている。状況は何となく把握した。
まず石剣を斬った、そのまま二歩目で肩を斬る。剣はすぐに修復されるだろうが、一瞬でも稼げるのならば。
そして勢いがついた剣を止めずに体を引っ張らせて、体の向きを調整した。
キリンや馬のごとく後ろ蹴りを食らわせてやる。斬っただけじゃ止められないんだ。
狂王は俺の攻撃自体が予想外だったのだろう。俺に反応することも無く飛ばされた。
「えらく喧しいから文句の一つでも言いたくなって……起きてみればしつこい奴がいるじゃねぇか」
ラオの方を見ると安堵したような顔をしていて、そしてその傍らには女の子が一人いた。
失礼かもしれないが、奇怪な姿をしている。なんだあのオッドアイ。
彼女を見て少し記憶がよみがえった。そうだ、彼女を見て異変が起こったのだった。どうやらその体の異変は収まっているようでもう気絶する必要はないだろう。
「遅かったな」
「いやいや、すまんかった。ちぃとばかし昔を偲んでいたら寝過ごしちまってさ」
ラオは汗をかき、土ぼこりに塗れている。
目に見えて疲弊しているな。少女も武闘派には見えないため、狂王の攻撃を一人で受け止めていたのだろう。もしかしてあばら骨か何か折れてるか? 呼吸が変だ。
少女はこちらを見ている。
その目には二つの星がある。多分、両方とも本物だ。
一体全体何でこんな化物が生まれるんだ?
確証を得るためにアバドンの眼で見てみると驚きの情報が流れ込んでくる。
彼女は星という概念に愛されていると言っても過言ではない、らしい。
その右目に浮かぶブラックホールを使えばこの星ごと塵と化す事だって可能だろう。
つまり驚く事にこの状況において一番危険なのは彼女らしい。
「生まれつき? それ」
「ええ。そうでなければ今でも生きていましたとも。貴方は?」
「そんなこと聞かれても心当たりがねぇな」
忌み子か。ま、そりゃ怖いわな。
彼女の眼は宇宙だ。つながっているともいえるし、そのものであるともいえる。俺でもびっくりするんだ。そらこの子を取り上げた人はびっくり仰天したに違いない。
こんな赤ん坊を取り上げた時、見た時、それは怖かろう。親子の情がそれを乗り越えたとしても、この世は多くの他人で構成されている。他者から隔絶して生きるのは普通では無理に近い。
想像に難くない。
「サイガ。交友を深めているところ悪いが、奴が立ち上がったぞ」
「あいよ。おっとその前に。嬢ちゃん、名前は?」
「ファセスです。サイガ」
いきなり呼び捨てかい。
俺の唯一の友達である二人の事を思い出して少し笑ってしまう。
距離の詰め方に驚きながら彼女を見ると静かに笑っていた。
「気に障りました?」
「別に、どうだっていいかな。……あぁ、そうだ。敬語は止めろ。どうにも慣れん」
「わかりま……善処するよ」
土ぼこりの中で狂王は立ち上がろうとしていた。
斬った時には気づかなかったが、どうも奴はもうボロボロだ。酷く傷ついたソレは、もうすぐ倒せるかもしれないと希望が芽生えるほどに。ラオと彼女がそこまで追い詰めたのだろう。
奴は立ちあがり、石の剣を高く掲げた。
ゲームで言うなら大技が来るんだが、何をする気だ?
大きな隙ではあるが、これに突っ込むような危険は犯せない。そう思ったのだが狂王は何か技を繰り出すでも大きく切りかかってくるでも無く、そのまま剣を地面へと突き刺した。
力強く振られたそれが大きく地面を砕く。
「煙幕?」
土が巻き上げられて俺らのことを包む。墓場であった事がまずい。柔らかい土が多かったのだろう、全く前が見えなくなった。
目を閉じて、耳に精神を集中させる。
不意打ちを防ぐためだ。本当は飛び退いたり転がったりして位置を変えるのが最適解かもしれないが、今俺だけが助かっても意味がない。それに今動けば二人にぶつかる可能性があった。
だがどう耳を澄ましてもどうにも近寄ってきている風には思えない。
宙でも浮いているのならわかるが、剣を振るい空気を切り裂く音も聞こえず、足音なんて欠片も無い。
何がしたかったんだ?
「げほっ、ぺっ……おもいっきり口の中に入ってしまったぞ」
「息を止めるのはどうです? 僕元々息してないので全然口に入らなかったよ」
「おい二人とも。アイツ、どこ行った?」
土煙が晴れた先には狂王の姿は何処にも無かった。
周りを見渡すがどこにもいない。馬に乗って逃げたとしても視線の通るここでは見えない場所まで行けないはず。
墓場を出て道に出ても奴がどこに行ったのかわからなかった。
「サイガ、上だ!」
ファセスが俺に向かってそう叫んだ。
言われた通りに上を向くと、狂王は宙を馬で駆けている。
は!?
「何がどうなってんだありゃ」
「サイガ、まずいぞ。あの方向は城へ向かうつもりだろう」
「城? あいつが? ……なんで」
「わからん。王族はすぐに避難するはずだ。平等教の襲撃に怯えていたんだから間違いない。今の城には殿でサブロウが残っているはず」
「……俺から標的が移った?」
何故? 奴は何をしようとしている? そう思考を巡らせていると、ファセスが叫んだ。
怒りをにじませ、狂王を睨んでいる。
「魂を、足蹴にするんじゃない。我が左目よ、闇を照らせ」
ファセスの左目から極光が放たれた。
太陽の一撃、それが狂王に伸びていく。
彼女が叫んだ通りなら狂王は魂を足場にして空を駆けていたのだろう。
それが彼女は許せなかったらしい。
極光が放たれる瞬間わずかに何かが軋む音がした。
だが狂王はそれに当たらなかった。
極光は奴の馬を焼いた。だが奴は落ちなかった。
焼かれて倒れようとする馬の体を奴は足場にして跳んだ。
一際大きく跳んだ奴は城に到達した。窓を打ち破り、中へと飛び込んでいく。
「とにかく走るぞ。それしかねぇ」
「おう」
「わかった」
狂王が何をしようとしているのかはわからない。だからこそ急がなければならない。
少なくとも顔見知りであるあの男が死ぬのは少しばかり夢見が悪そうだ。
それだけで俺にとって走る理由に充分なりえるのだから。
囚われた魂たち
狂王に囚われ、道具のように使われている哀れな魂。
肉体を修復するのも、道具を強化するのも、空中で跳ぶために足蹴にさえされた。
苦しみ、怒り、恨み、悲しみ。
感情の入り混じるソレはどす黒い色をしている。もしくはそれこそが人の魂の本質なのだろうか。




