39話 狂王襲来
稲光が空を走る。
暗雲が凶兆を教えに急ぐが、とても間に合うものではなかった。風が危機を謳えど、彼の王の叫びはそれをかき消した。
力強い馬の足音が地へと響き、動物たちはこれからの惨状へ頭を下げ祈る。
それは行軍であり、侵略であり、ただ一人の殺人鬼の歩み。
彼が通った道は血に塗れている。惨状に泣き、未来を祈る命の頸を切り落とし、脊椎を振り回して彼は来る。
狂王は今、侵略せし。
ラオが未だ気絶している才賀が起きる事を諦めておぶろうとしている時だった。
悍ましき程の殺気というべきか、とてつもない嫌な予感というべきか、とても言い表すことのできない空気がこの国に流れ込んだのを彼は感じた。滝のような汗が髪を濡らし、息を荒くする。
ラオは地面にも何かを感じた。それは声だった。低く、低く、低く、蛇のように這いずる怨嗟の声が地面から聞こえてくる。
彼は隣にいるファセスの事を見た。彼は天体に愛されしアンデッドである。だが彼女と言えど見た目は少女、これほど濃い死の匂いに怯えるのではないかと考えたのだ。
「何か来ますね。とびっきり悍ましいヤツが」
「平気なのか?」
「まぁ。炎は危険で怖いです。でも僕には温いモノにしか見えません。……えーと、分かりますかね。どう例えたら良いか分からなくて」
「なんとなくは、な」
だがラオの考えに反してファセスは全く精神をなびかせていなかった。
それどころか彼よりも落ち着き払っていたのだ。長く生きて経験を付けてきたと自負していたラオは少しショックを受ける。歴戦へと手をかけていると思っていた自分よりも目の前の少女の方が動揺していないという事実に。
彼女は光りながらも暗いその双眸で空を見て、これをまき散らしている下手人のことを考えている。
強大なる星々をその細い体躯に宿す彼女にとってこの程度の狂気的な意識は全くのそよ風であるのだろう。
「どうします? 多分、アレは一直線にここに来ますよ」
「我々がこのまま国の外に出れば大人しくそこで戦ってくれる輩であるといいのだが」
「残念ながらそう性格の良いモノじゃないでしょうね」
「何が来ているのかわかるのか? 俺も心当たりはあるんだが」
「お星さまはすごいんですよ? 何でもお見通しなんです。王様が来ます。もし僕達がここから出ていけばこの国を蹂躙し、魂を糧としてから僕達を追ってくるでしょうね」
そう言う彼女の顔はその人の理解の外にある眼も相まってか、ラオには恐ろしいものに見えた。
彼はブラックホールというものを知らない。この世界では観測できていないのだから当然の話である。
だが彼は穴に吸い込まれるような、底知れない闇に包まれていくような感触を覚えた。
奈落に落ちるような体験をした彼は意外にもすぐに正気を取り戻した。そして早く起きないかと才賀の頬をぺんぺんとしている彼女を見てクスリと笑い、少し恐怖が和らいだ。
「敵に回したくないな。今のうちに少しでも仲良くなっておこう、なんて思ってたんだが……速いな」
ラオの耳に建物をなぎ倒し、少しずつ近づいてくる狂王の音が聞こえた。
そしてその音には悲鳴も混じっていて、多くの命が現在進行形で失われ続けている事を意味していた。
それを聞いた彼はすぐにでも駆け出し狂王を止めたい衝動に駆られるが、狂王の狙いは才賀ではないかと彼は感じていた為に動けなかった。
奴が才賀の何を求めているのかは分からないが、それを奴が得た時何が起こるのか。そんな危惧が彼を未だこの場に縛り付けていた。
そしてラオと狂王の相性の悪さもそれには加味していた。
ラオの武器は拳である。狂王は三メートルほどの石剣を使っている。
つまりは距離の問題なのだ。彼は狂王の体を攻撃できないが、狂王は彼を一方的に攻撃できる距離が非常に長い。
あの異空間での戦いに勝利できたのは才賀なくしてあり得なかったのだ。
「ファセスの戦闘スタイルを聞いてもいいか?」
「僕は魔法です。戦った事あんまり無いので期待しない方が良いかと」
「一応聞いていいか? 君の魔法で何も気にせずアレを倒そうとしたら、どうなる?」
ラオはファセスならやれると確信を持っていた。
才賀とラオ二人がかりで倒し切れなかった狂王をファセスならば完封できると思うほどに、彼は彼女の事を恐ろしい存在だと感じているのだろう。
「この国が残ってるかどうか。僕以外……いや、サイガさんも多分残るか。僕とサイガさん以外の生命体は塵も残りません」
彼女の魔法はこの世界の魔法とは種類が違った。
別物と言っても良いソレだとラオは直観的にわかっていた。この世界の魔法は体に備わっている魔力というエネルギーを使って魔法という超常現象を起こす。
だが彼女の魔法はそうではない。星という巨視的でしか使えないそれは人間には強力すぎた。
「やっぱか。被害が出ないように頑張らねぇと」
ラオの目の前に広がる建物が崩れる。崩れた建物が砂ぼこりとなって二人の視線を防いだ。
そして墓場の門に巨大な馬に乗った男が現れる。
おびただしいほどの血を浴び、今にも腹痛で転がりそうなほどに愉快だと笑っている。その笑い声は金切声のような高さと地から響くような低さを兼ね備えている奇怪なものだ
。
その手にある剣は頭が数個刺さっており、ここに来るまでも刺したままに建物を壊し、振り回したのだろうか、顎が吹き飛んでいたり、目玉の神経が紐のように踊っている。
狂王はそれを剣を振ることによって二人に飛ばした。
それを見て青筋を立てたラオを馬鹿にするように、頭を傾け狂王は笑い見つめる。
「野郎ッ……!!」
「星よ、魂を導いて」
ファセスが呟くと血肉をまき散らしながら飛んでいた頭は青く燃えて、塵になって空気に溶けた。
狂王は変わらぬ嘲笑を張り付けながらもわずかに顔をしかめさせた。
「助かった。俺じゃああんな奇麗に送ってやれなかった」
「僕は、当然のことをしたまで。それより、来ますよ」
「それでも、だ。行くぞ」
馬が走り出す。その一歩一歩は強く長い。
得物を持っていないファセスからラオは離れるように走り出す。
真逆の方向へ走る二人の男はすぐに邂逅した。狂王は馬の上から剣を叩き付ける。石でできたそれは雷鳴のように空気を荒々しく裂く。
それをラオは拳によって弾いて防いだ。
ラオは初めから狂王にダメージを与えようと思っていなかった。狙いは攻撃を防ぎ時間を稼ぐこと。
彼は自分では狂王に勝てないと判断していたのだ。
「後ろに跳んで! 星よ、隆起して」
ラオは後ろへ跳び、その場から立ち去ろうとした。だがそれは成らなかった。
彼は空中で止まり狂王に引き寄せられたのだ。
すると狂王を締め付けようと地面が隆起し、捩じられていく。
だがラオは退避行動の途中で何者かに邪魔をされていた。
つまりはその地面の締め付けにラオも巻き込まれてしまう。
狂王は全身が見えない程に埋まっているが、ラオは退避しようとしていたからか胸の下までしか埋まっていない。
地面に締め付けられ、ラオは苦悶の叫びを放った。彼は己の骨が軋む音を聞いていた。
「ラオさん! 星よ、止まって!」
ファセスが星の締め付けを止めると、盛り上がってできた土の塔が中から爆散してしまった。当然その中にいたラオも吹き飛ばされた。
狂王がその強大な力によって中から土の塔を破壊したのだ。
だが馬は締め付けに耐えられなかったようで肉塊と化していた。
「俺は……大丈夫だ」
土の締め付けと爆散による衝撃で激しくダメージを負ったようで、喉が切れそうなほどに彼は咳き込んでいた。
だがすぐに立ち上がり、構える。息が整いきっていない所から、完全に回復は出来なかったようだ。
「すみません。何があったんです?」
「見えない何かに引っ張られた。そのまま避けられずにあの様だ」
「多分……仕組みはわかりました。次は発動させませんので、必ず退避行動を」
「あいわかった。頼りにしてるぜ」
またラオと狂王は打ち合い始める。
先ほどと違うのは馬が負傷してしまった為に、狂王が上から振り下ろしていないというところか。
だがそれでもなお狂王の一撃は重く強かった。
ラオはその骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる中一撃二撃と防いでいく。
「ラオさん、後ろに跳んで」
「あいよ!」
ラオは振り下ろされる石剣を大きく弾き返すと、そのまま後ろに跳んだ。
彼は先ほどと同じように足首を掴まれるような感触を感じると、そのままその感触は下半身全てに広がっていく。
後ろに動いていた体が止められる。
「我が左目よ、光り輝け!」
ファセスの左目、宇宙に浮かぶ太陽がその光を強くした。
その光は光線のように前を照らしていく。
ラオの眼はそちらに向いていない為失明することはないが、後ろからとても暖かい光が当たっていることはわかるだろう。
それは夏の熱く情熱的で活力を与えてくれるような日差しであると彼は感じた。
夜の墓場に暖かな陽光が満ちる。
そして彼はそのまま下に落ちた。
狂王の元へと引っ張られることなく、そのまま着地したのだ。足首を引っ張られ、勢いこそ死んだものの彼は狂王から距離をとれた。
「怨霊で体を拘束するとは驚きました。ですが僕の左目から出る光は陽の光。アンデッドの類にはよく効きます」
「……任せた!」
「はい!」
陽の光はアンデッドを浄化する。それも愛した少女の願いに応えようと星の力は増しているソレではアンデッドにとって致命傷足りうる。
アンデッドであるファセスが漂う悪霊に気付くことが出来なかったのは平常時でも出ている陽の光に狂王の操る怨霊が彼女の視線を避けていたからだった。
それからというもの狂王はラオに攻撃を防がれ、ファセスから魔法を叩きこまれ続けた。
ファセスの魔法は強大で、地面を操るもの、拳大の隕石を降らすもの、突然発火させるものと多種多様で狂王はそれを避けれない。
「しゃがんで! 星よ、いてつぅ!?」
「ファセス!」
だがその戦況もすぐに崩れた。地面の締め付けにより肉塊と化した馬がいつのまにやらその肉体を再生させ、ファセスの背後に回っていたのだ。
ファセスの事を馬が蹴り飛ばす。巨大な馬の蹴りはそれだけで人間の体を吹き飛ばす力がある。その行く先は当然狂王である。
嫌な笑みを浮かべた狂王はそれに剣を合わせ、くし刺しにした。
下腹部から入ったその剣は、狂王がそのまま斬り上げたことによって心臓の位置まで傷口を広げた。腹へ縦に大きな傷が出来る。
狂王はその傷から降り注いてくるであろう、大量の鮮血に胸を躍らせている。
だがそこから垂れてくるのは半ば乾いた死血のみであった。
「生憎僕は……アンデッドなんでね……我が左目よ……!」
訝しむように目を向けた狂王に極光がぶち当たった。
少し離れていたラオですらも目を閉じなければ目が焼かれそうなほどの光だった。
昼すらも生ぬるい明るさが夜の墓場に訪れる。
「ファセス大丈夫か」
「大丈夫、僕死ねませんから」
「そうじゃなくて、痛くないのか」
「……痛いです。すみません」
「良い。痛みは大事だ」
その極光が晴れて、ラオが見たのは大穴を開けたファセスの姿だった。
肺も大きく裂けているだろうが、彼女は問題なく話した。だがその声は顔は苦痛に満ちていた。
どす黒い血ととても呼吸できない傷であるというのに無事に話している姿は、ラオに彼女が正真正銘アンデッドであることを示していた。
彼はそれがどうにも悲しく思えて、ほんの少し気がそちらにそれた。
「ラオさん!」
狂王は未だ死んでいなかった。
悍ましさを大きく減らした石剣がラオに向けて振り下ろされようとしている。
ラオは気付くのが遅れ、拳が間に合わない。
彼の脳が散乱すると確信し狂王が笑う。
「えらく喧しいから文句の一つでも言いたくなって……起きてみれば、しつこい奴がいるじゃねぇか」
暗黒の右目
暗黒の球体に浮かぶ光すら逃さぬ重力の歪み。
ブラックホールとも呼ばれるそれは生きとし生けるものに恐怖を与える。
例え美しき少女の見た目をしていようとも。
全てを逃さない暗黒は彼女を孤独へと導いた。
光の無い眼を恐れる愚か者など必要ないと、星は考えた。




