33話 襲来する事、雷の如し
俺たちは旅を続けていた。
ロルの国を発ち、何日ほどたっただろうか。俺が何日かと認識しているのだから、恐らく数週間は立っていると思う。
俺はその間深く眠るわけにもいかず、長くて二日、短くて普通の人間の睡眠時間つまりは七時間ほどしか眠ることが出来ていなかった。先を急ぎたいというのに俺の眠りはどうしても蓄積してしまう。
つまりは、だ。
何が言いたいかというとすこぶる眠い。
「おい、サイガ。しっかりしろ。まだ日は高いぞ」
「あぁ……ぼおーっとしてたよ。そうはいっても……だな。もうそろそろ限界なんだよ」
「そうだなぁ……あの国までいったら寝るといい。俺の言った事のない国だが、宿くらいはあるだろう。たまには昼から寝たって罰は当たらんさ」
「恩に着るよ」
迷惑をかけている自覚はある。
だがどうにも、力強い眠気は俺の瞼を落としてしまうのだ。
ラオの見つけたらしい町に向かうまでも、俺はとぼとぼと倒れようとしているのか歩いているのかわからないような歩き方をしていると思う。
前も後ろも分からないほどに眠たいのだが、ラオが歩く速さを少し緩めてくれているから彼を目印に進んでいる。
頭の働きも少しずつであるが、とまってきた。
速くあの国に行かなければ。
だが眠たいものは仕方がないと思うだ。
いや、あそこまでの辛抱だ。早く歩こう。
でもねむたい。
「困ったものだな。毎度のことではあるのだが」
ラオはゆっくりと、綿が落ちていくように倒れていった才賀のことを見てそう言った。
苦言を言ってはいるものの、彼もこれはこれまでの旅の中で何度か見たものだった。
彼はもはや慣れてはいる、だがそれはそれとして愚痴を言う権利はあるだろうと彼は思っていた。
「さて、このままでは獣に食われかねん。……いや、コイツならその心配は薄いだろうが、な」
ラオは才賀を背負った。
彼は未だ地球基準では成人していない。そして特段筋肉に覆われているというわけでもない彼の体はすぐに持ち上がる。軽々とはいかないが、荷物の少ない才賀を持ち上げるのはラオにとって少しずつ慣れてきていた。
ラオは彼の体を持ち上げるたびに、その軽さに驚いていた。
「さっさと行ってしまおう。携帯食の保存はまだあるが雲行きが怪しい」
すっかり才賀と話しながら旅をする上で身についてしまった独り言を垂れ流しながら彼は歩き始めた。
一人の旅ではろくに話さず、町に着くまで一言二言しかその喉から発せられない事もラオにとっては特段珍しくも無かったのだが、二人で旅をするとなるとそうもいかない。
思ったことや気付いたことはすぐに口に出した方が情報の伝達が出来る。
そして会話が弾むというのも悪いことではない、彼はそう感じていた。
人との会話というものが嫌いではないラオは、すっかりと一人になると独り言を話す癖がついてしまった。
最初こそ直そうとした彼であったが、特に困るものでもないと気づいた彼はもう気にするのさえもやめた。
「だが……こんな所に国なんてあっただろうか?」
彼が呟いたそんな言葉は曇り空に消えていった。
「門番がいない?」
見えていた国の門にたどり着いたラオは違和感を覚えた。
立派な城があり、そして居住区の規模も大きかった。
そんな国であるのに、門番がいないという事があるのか、と。
「人気も無いな。怪しい……が、ここをでてどうする?」
雲行きがおかしく、もしかしたら激しい雨が降るかもしれない。
そんな考えがからラオはここから去ることを躊躇った。
周りに森はなく、雨宿りすることも出来ないだろう。
体を冷やすのはこの異世界でも危険行為だ。
火をたやすく生み出すことのできる魔法使いでも豪雨の中で火を作り出すことは至難の業だった。
「仕方ない。進むとしよう」
ここで踵を返すべきであったのだ。
才賀ならばここですぐさまこの国を迂回していた。
だが才賀は眠り、ラオは進んでしまった。
そして彼はもう一つの致命的な違和感に気付くことはなかった。
彼は此処を通ったことがあった。だが、地図を見ず長い旅を続けていた彼はそれに気づくことが出来なかった。
何故この国を知らないのだろうか。
その疑問が彼の頭によぎることはなかった。
ラオが町の中を進む最中も人を見ることはなかった。
その痕跡さえも。町の中に何もなかった。ただ町というものが続いていた。
バグってしまったゲームのような空間にラオの精神が削られていく。
入ることを決断したのは彼だが、後悔が心に生まれ始めていた。
「平等教の仕業か……?」
彼にとって心当たりは平等教しかなかった。
宗教的に、または教皇の気まぐれのような何か。それによって子供一人残さず皆殺しにされた町や村を彼は数件見てきた。
だからこそ今回も平等教が絡んでいるのではないかと疑っていた。
そしてそれが彼の歩を進める理由ともなっていた。
平等教の枢機卿二人までならば才賀と協力することで倒す自信はなくとも撃退する自信があったからだ。
この冬眠のような状態であっても、才賀は殺気や身の危険を感じるとすぐさま起きる。その事を彼は知っていた。
旅の途中才賀が深く眠っている時、つまりは今回のような冬眠状態の時に魔物や盗賊などに襲われることは多々あった。
彼が眠っている期間は長い、だから避けようのない事だった。
その時一瞬の時も無く目を覚ました才賀は盗賊や魔物と交戦し、その命を散らした瞬間糸が切れたように眠りに落ちた。
反射のようなものだった。実際その事をラオが才賀に聞くとほとんど覚えていなかった。
獣のような男だ、というのはラオの言葉だ。
「廃墟なのならば、そこらの家を貸してもらうとするか」
空が暗くなり始め、遠くから雷鳴が聞こえた。直に雨が降り出すだろう。
そう考えたラオは家を借りようとした。
だがその判断はほんの少し遅かった。
ぽつりぽつりと液体が空からこぼれ始め、彼らの体を濡らし始める。
「なんだ……これは!」
それは雨ではなかった。
透明ではなく、色があった。
それはどろりとしていて、臭いがした。
匂いは鼻腔を激しく刺激し、彼の身の毛がよだつ。
激しく顔を歪める。
脳みそを鉄パイプで殴られたかのような衝撃に彼はこの液体の正体を看破した。
彼が瞬時にこの液体の正体が分かった理由、それは至極単純な一つの事実があった。
それはなんてことのない情報で、液体は赤かった。ただそれだけだった。
どことなく懐かしいような気持にしてくれる雨の匂いは、悍ましく吐き気を催す鉄の匂いとなり二人を包み込む。
「なんだこれはッ……サイガ!」
「懐かしい」
「なに?」
「んあ……俺なんか言ってた? 大丈夫今起きた。非常事態にちっとは目ぇ覚めた。……まだねみぃけど」
ラオは才賀を下ろす。
この異常事態に意識も回復しているようだ。だが彼は未だ眠気に苦しめられている。彼の眼は半目で、瞳孔が少しぼやけていた。
反射のような本能的な動きは出来るだろうが、百パーセントの力を出せるかと言われると難しいと言わざるを得ないだろう。
「なにか、来るな」
「何か聞こえるのか」
「んーん、音じゃない。けど呼ばれてる」
未だ眠気に苛まれている才賀の口調が緩んでいる。詳しく説明するには眠気に縛られすぎていた。
だが思考は緩んでいないのだろう。
事実、彼の言う通り何かが来た。
獣のような、気を違えたような、雄たけびが上がり始める。
一つ、二つ、四つ、八つと増えていく。それはまるで援軍に気付いた軍の士気のよう。
けれどもその大地を響かせる声に喜びの感情は込められていない。
それは怨嗟の声。全くの喜びも、笑顔も無い。暗く涙を流しながら死んでしまえと言う怨嗟の叫び。
国中から染み出るように轟き始めた。
「おっと、流石にこりゃ目も覚める」
「な、なんなのだ……!」
「あぁ、そっか。ラオは憤怒だもんな。気持ちもわかるが、正気に戻ってくれ。本命が来るぜ」
才賀がラオの背中を叩く。
ラオは憤怒の大罪人。この世の不条理に怒る彼にとってこの声は常人よりも利くものだった。
憤怒である彼は浮かばれぬ魂に同調してしまう。
足音が聞こえ始めた。
それは大きく、そして人のものではない。
馬のもので、徐々に大きくなるそれに才賀たちは恐怖にも似た焦燥感を抱いた。
石畳が砕かれる音と共にやってきたそれはとても人間とは思えぬ姿をしていた。
朽ち始めた人の皮のような皮膚に包まれた大きな馬を乗りこなし、手には黒いへどろのようなものを纏わせた石の剣。
その石の剣も普通のサイズではなかった。人間を軽々超える大きさの剣を振り回し、とても斬るために作られたとは思えぬ厚さの刃で石畳や建物を破壊していた。
そしてラオの背筋を凍らせたのはその顔だった。顔が歪んでいるのに蝋人形のように変わらない。表情というのは筋肉によって作られるのに、少しも変わらないそれが彼は恐ろしかった。
想像を絶する悦楽を感じたような顔でソレは固まっている。
皮膚が引き裂かれているかのような深い笑いで二人を見つめている。
獲物を見つけたこの者はいかにも楽しそうに咆哮した。
だがその口から吐き出したのは風を切るような、金属を削るような不快な音だった。
ラオも才賀もそれに知性を感じることが出来ない。二人は知的生命体が口から出した音に思えないその声に圧倒されている。
「はは、コイツか。ロルの言っていたのは」
「本当に、実在したんだな」
二人はそう言いながら己の得物を抜いた。
目の前の存在に汗を流しながらも二人とも今死ねぬ身。彼らは覚悟を決めた。
狂いし王は屍の上でただ一人。
全ての民を引き裂きし彼は王足りえぬ。故に狂王。
狂王はここに君臨した。
血の雨
狂王が其処に訪れるとともに降り始めた真っ赤な雨。濃い血の臭いと不吉な予感を人に与える。
雨雲に異常があるわけでもなく、ただその場所に降り続いているソレはあの男が其処にいる証。
酷く冷たいソレは、遠い昔の犠牲者たちが今も囚われている事を叫んでいる。




