32話 予感
色欲の国を旅立つ前にやっておかなければならないことがある。
なんてことはない。挨拶だ。
俺は寝床を、ラオは……恐らく滞在しているうちに世話になっていることだろう。
ならば出て行く前に挨拶の一つでもするというのが道理だ。
と言っても俺はロルとアスモデウスの二人だけであるし、ラオにも聞いてみれば話し相手はいるが懇意になったものは特にいないらしい。
故に最低限の礼儀として俺らは二人に挨拶に行かなければならないのだ。
「つーことで、俺らまた旅に出ることになったから」
「……本来であれば文脈がつながっていないだの、言い方があるだろうだの、言いたいことはあるが妾は寛大だ。許そう。故に行き先くらいは教えよ」
我ながらどうかと思う言葉であったし、ラオから肘でわき腹をつつかれもしたがどうやらロルは許してくれたようだった。寛大な女王に感謝である。
呆れているともいえるが。
「西の小さな国らしい」
「なに? ……お主ら、あの平原を抜けようと?」
「ありゃただの伝説だろう」
「馬鹿者、あれは事実よ。久しく聞かぬが、存在している。アレの心なぞ妾にはわからぬ故忠告は出来ぬが、用心せよ」
さっぱりわからん。
伝説だの、平原だの言われたって俺はここの住人じゃない。
伝承なのか、それとも土着の何かなのかはわからんが。確かにわかるのは雲行きが悪くなってきたことだった。
さて、話をぶった切ることになるが聞いてみるか。
大事だからな。幼馴染二人にアニメの途中わからないことがあったらすぐに聞けと怒鳴られたモノよ。
眠い目擦ってるというのに説明されながらの二周目に突入した苦い思い出が蘇る。
「ちょっと待ってくれ。俺だけ置いてけぼりってーのは酷いじゃねぇの」
「あぁ、そういえばサイガには分からんか。伝説と言ってもアレだよ。子供に言って聞かせるような化け物のことだ」
「ほう、それがいる……と?」
「泣く子には狂王が来るぞと脅かす御伽噺。狂王伝説、遥か昔にいた愚かな男の末路よ」
子供を脅かすような話は何処にでもあるものだな。確かにソレが昔いた人物の伝説によって作られるという話も聞いたことがある。
「時にサイガよ。狂気というものを人はその生涯抑えきることが出来ると思うか」
「難しいことを聞くなぁ。無理だろ。その人間の一部なんだから、抑えたって消えることはないだろう。受け入れて調伏するならまだしも。抑えたところでいつか限界が来るだろう」
「それよ」
「ん?」
「その昔狂気を生まれつき持った男がおった。その男、狂気を抑え込もうとするあまり自分自身が壊れてしまっただけの事。厄介なのはその男自身が生まれつき強さを持っていた事と、強き精神を持っていた事だった。幼き日に狂気を封じ込めた男はその精神の導きの通りに王になった。強き王だった。人望も厚く、その剣の一振りで数多の魔物が千切れ去ったものよ」
「だが壊れ果てた」
強く良き王だったからこそ、その忌み名は轟いたのだろう。
ロルの語る狂王の話は伝説のようでいて、何処か薄ら寒いような血の歴史のようでもあった。
「うむ。自らの子供の柔らかき喉を裂き、愛した女の心の臓を食らった。果てには自らを讃えた臣民全ての血を浴び、屍を踏み荒らした。最期の命を散らし、王足りえなくなった時彼の体に変化が訪れたという。そうして悍ましい姿になった王は未だ屍の山の玉座に座っている。商人や吟遊詩人がそう伝えるのを聞いた。奴はたまに商人や吟遊詩人に、自らの人生を語るのだと」
「俺が聞いた伝説はこうだ。偉大な王は狂気に侵され、国を滅ぼしつくした。国を殺した王はその罪によってもはや人ではなくなった。悪い子の処には恐ろしい狂王が来るぞ、なんてのはよく聞く脅し文句だったよ」
「アレは確かにいる。未だ生きている。今でこそ動いたというのをとんと聞かんが、昔は暴れまわっていた。妾も何度か殺されそうになっておるしな。故にサイガ、気を付けろ。強者は狙われやすい」
「おっそろしい狂王ねぇ」
その物語を聞いて思った。ただ……哀れ。
それは下に見ているのではない。決して。同情したわけでも、可哀そうに思ったわけでもない。
息の根を止めてやりたい。ただ切にそう思ったのだ。
「ラオよ。妾はこやつに話がある。アスモデウスの処へ先に行くと良い。お主は奴とよく訓練をしていたろう。奴は悪魔の癖にさみしがりだ。少しくらい長めに話してやってくれ」
「骨抜きにはしてくれるなよ?」
「安心せよ。こやつに性欲というものがあるのか妾にもわからん」
「急にサイガのほうが怖くなってきたな」
全く失礼な事だ。
びっくりしたような、それでいてからかうような眼で俺のことを見ながらラオは部屋から出ていった。
確かに性欲が薄い自覚はあるが。
「で、話って?」
「狂王が強者を狙うという話、嘘じゃ」
「は!? なんだってそんな嘘を」
「狂王は狂気を持ったものを狙う。王としての矜持か、それとも奴はそれを喰らっているのか。妾にはわからぬがいつも襲われるのはどこか壊れているものや、狂気により芸を極めるもの。妾の言っている意味が分かるな?」
ロルの眼差しが鋭くなる。獣のような獰猛さと女傑のような冷たい視線が俺を貫いている。
「あの鬼がわかっているのかは知らぬが。妾はお主と二人で話してみたくなった」
「……」
「お主は何だ? 狂王のような狂人か。それよりも悍ましきものか」
「安心しろよ。俺は良い師匠に恵まれてね。ちゃーんと人間だよ。これが狂人の眼に見えるかよ」
ロルと俺の眼が交わされる。言葉を尽くしても良いが、今はそうではないと思った。
時間が長いようにも短いようにも感じる。鉛のような空気が流れ、そして弛緩した。
「その言葉、嘘ではない、か。良い。今はそれを信じようぞ」
「それでいいさ。本当の事なんだからな」
「全く。お主にもうちっと性欲があれば喰ろうてやるところを」
「はは、そりゃ勘弁。夜はぐっすりと寝る派でね」
「ほれさっさと行かんか。時間も無いのだろう」
「あんたが引き留めたくせに……まぁいいや。じゃあな! また会おうぜ」
「ふん。さらばだ。良き男であるが、面白いというにはいささか奇怪すぎる男よ」
「お、アスモデウス。待たせたか?」
「そうでもありません。ラオと話していましたから」
アスモデウスを探しているとすぐに見つかった。
ロルの城の前で二人は談笑していた。
城で歩いている給仕にラオが出ていったか聞いて正解だったよ。
城の中を探していたらと思うとゾッとする。
「俺らが出ていくことはもう言ったのか」
「あぁ。世話になった礼を言っていた」
「訓練に付き合ってもらってたんだって?」
「ふふ、彼の動きは洗練されていますが、どこか物足りないものでしたので。老婆心で声を掛けたら頼み込まれまして。少しだけだけど教えていたのです」
「ほえー良かったな」
実際師匠の存在は大事である。
一般男子学生だった俺がここまで戦い抜けたのも師匠が良かったというのもある。この世界でも、悔しいが元の世界でも。
「うむ、アスモデウスの教えは役に立った。俺自身最初こそ教わっていたものの我流が主だったからな。やはり人に教わるのは大事な事だな」
「年の功というものです」
確かに俺が戦った時一撃は重く、動きは厄介だった。斧の戦い方は専門ではないが、アスモデウスが強いというのは分かる。
速いじゃなく、厄介。彼自身手加減しているのか俺が捉えきれない程に速い一撃というのはなかった。
だが避けにくい。避けても二撃目を避けるのに足運びが悪くなる。
それに初動がわかりにくくなっていた。動きを見て避けようとすると、気がつけば一撃目によって胴を分断されそうになる。
それが二人になって襲ってくるのだから悪夢でしかなかった。
俺は決して達人じゃない。
爺に教わっただけだ。
だがそれでも打ち合っただけで分かる。殺意の練りこまれた動き。
敵にすると厄介でしかないが、味方になるのならば安心する技術だ。
「あーそういえば気になってたんだが質問していいか? アスモデウス」
「はて、どういたしました?」
「アスモデウスって男じゃん。それも中性的って訳でもないし、ロルとかは匂いで無力化してたし。そういうのって面倒じゃないか」
「うーん、好い男には男だって惚れるのさ! という回答では、ご満足いただけないようで」
「まぁうん」
「少々見苦しい為、失礼いたしますね?」
指を鳴らして黒い布を作り出したアスモデウスはそれをかぶった。
そして数秒もしないうちにそれから彼は顔を出したのだが、全く容姿が違った。
髪は長く、そして顔はロルにも勝るとも劣らない整った顔立ち。体格も全く違う。力強い筋が通っている肉体から溌溂とした若々しい女性の体に。
枯れかけた男から予想もしない美女になった彼は驚きを隠せない俺らを見て笑った。
「はは、その様子じゃ聞かされてないな? 僕たちにとって性別や姿かたちなんてあってないようなものさ。僕は特別変えられるけど他の皆も変えようと思えばどうにでもなれる」
そう言ってまた黒い布をかぶると、年老いた男の姿に戻った。数瞬にして体格から容姿が全く変わってしまうのだから驚いた。ラオも横で絶句している。ベルフェゴールやルシファーが容姿を変えていなかったようにサタンもそう容姿を変えていないのだろう。
凄まじいな。変身能力か。
なんというか……SAN値が無くなりそうな体験だった。
目の前で似ても似つかぬ姿に変わられるのは面白いというには中々にショッキングな体験だ。
それがマジックでもなんでもなく本当に変わっているというのが特に。
「ふぅ、久方ぶりに容姿を変えるというのは少し疲れてしまいますね。この前のように顔だけ変えるならまだしも、今回は全て変えてしまいますから」
「なんとなく……テンションとか口調が違うのは意識してやってるのか?」
「はい、勿論。プロですから」
「すっげーな、人間からすると驚きなんだが、悪魔からするとなんてことないんだもんな」
「人間からって鬼でも驚くぞこんなん。初めて見たよ」
それからも俺たちは話し続けた。
他愛のない話だった。
例えばこの前の試合の反省点を二人で考えたり、ラオに展開を話して彼ならどうするか聞いたり。
ロルのいない場で盛り上がるというのも申し訳ないが、この国で起こったことをちらほら聞いたり。
アスモデウスが楽しそうに笑うものだからつい話し込んでしまった。ロルの言っていたさみしがりというのは事実なのだろう。
それを僕らに気付かせたのは太陽が真上に来た時に感じた暑さだった。
ずっと立ち話をしているものだから太陽の熱が俺らに蓄積されてたのだろう。
結果的にこれ以上話しこまないですんだのだから助かったのだが。
「ちっとばかり……話過ぎたな。じゃあ、俺らはいくよ」
「ご武運を。でも無理はなさらぬように」
「世話になった。アスモデウス、あなたの教えは忘れません」
「ふふ、肩の力をお抜きなさい。この旅は大変なものになるでしょう。だが、君にはいい機会でもある。悩みなさい。歴代の憤怒の大罪人達も悩み多き人たちだった。それはきっと彼らに必要だったことで、君にもそうなのでしょう」
そうして俺らは見送られた。
アスモデウスの柔らかな笑みは俺らの背中を押し、言葉は肩を叩いた。
色欲とは必ず人間と関わらなければならない。だからなのか、彼はとても人間らしく、でも決して人間ではない。
永い年月がそうさせるのか。
実際はわからない。だが事実として今回の出立はとても良いものとなった。
ロルの協力を得られたというのもあるが、俺たちは此処に来て良かった。そう思った。
「そういえばサイガ、ロルとは何を話していたのだ?」
「うーん。秘密、かな」
「小癪な……まぁ深入りはせん。よしんば色恋の話何ぞされても俺にはわからんからな」
「別にそんなんじゃないけどさ」
狂王伝説
多くの子供に悪夢を見せ、夜を眠れなくさせた御伽噺。その恐怖は昔の大人が語り継いだ恐怖。
長く生きた者たちはそれが確かに存在していた事を知っている。
だが、狂い果てたモノの言葉に真実など在るのだろうか。
例えそれが狂気の作り出した虚像だったとしても、狙われた者たちには関係が無いだろう。




