26話 始まり
泥沼から引っ張り上げられるような感覚、奇妙に温いソレに足先から体が解放されると、意識がはっきりとして思考が回り始める。
最初に思考したことは俺はいつ眠りについたか、だった。
確か……教皇に首を絞められて……死んだのか?
妙にぬくいコレも死後の世界と言われれば納得できるような気もする。
だが俺は今思考している。体の感覚はある。何故ならジクジクとした痛みが体から伝わってきていたからだ。
目を開けると薄暗い。一瞬死後の世界にでも行ったのかと思ったが、どうにもそうではないようだ。
そして気付いたことがあった。
俺の体は横になっていない。縦になっている。吊り下げられているのかと思えばそうではなかった。
例えるなら……そうだな。
「へふふぁーははふぇ?」
映画で見たレクター博士の拘束のようだった。
板に括り付けられて、腕とともに体が拘束されている。
頭も固定されていて、今独り言を言った感じ舌も固定されてるな。
動かしてみると口の中になにかがあるのを感じる。薄い板のようなもので舌が挟まれているようだ。
恐らく拘束具だろう。
何があったらこうなるのだ。
「おや、起きたかい」
「ふふぁい」
「待っててくれ、すぐに皆を呼んでくるからさ」
もしかしたら平等教に囚われたのかと思ったがブライがいた。つまりここは未だルシファーの国だという事。
薄暗くて見えなかったが、おそらく近くで眠っていたのだろう。
記憶は吹き飛んでいるが、何かやらかしたのだろうか?
しばらくすると明かりがつけられ、人が入ってくる。薄暗い中で待っていたものだから光に目が慣れずに眩しかった。
そしてルシファーを初めとして数人入ってきた。
ベルフェゴール、ルシファー……俺の知らない角の生えた男。
特にルシファーとベルフェゴールは俺のことを警戒した目で見ている。
そして明かりがつけられて分かった事だが、ここ俺の部屋じゃねぇか。
俺の部屋で拘束されていたようだった。
「うん、暴走はもうしていないみたいだね。ブライ、舌の拘束を解いてあげて」
「あ、あー。すげぇ舌が変な感じする。……質問をしても?」
「良いとも。気分はどうだい?」
「何が何だか。さっぱりわからないんだが説明ってしてもらえるか?」
「勿論、君には知る義務がある」
ルシファーの話をまとめると俺は暴走していたらしい。
様子がおかしくなり、何処からか細い剣を取りだして暴れていたのだとか。
そして鬼の彼は憤怒の大罪人で、その力で俺の感情を封じ込めて鎮圧したのだとか。
俺が振るっていたらしい剣、それをルシファーに絵をかいてもらって確認したのだが俺はこれを知っている。
爺に師事していた時、俺にも真剣が与えられた。本物でないと、恐怖が無いと、意味がない。そう爺は言っていた。
本物の日本刀、それで訓練をしていた。
俺の中から出たそれは、全くそれだった。
だが一つだけ違和感がある。
俺の使っていた刀は手入れもしていたし、少しばかり指を斬り血で汚した事はあっても無暗矢鱈に血を吸わせることは無かった。
だからそんなに血に塗れているはずがないのだ。現に俺の記憶の中、つまりは認識は奇麗なままの刀だ。
なのにその刀は血で染まっていた。刃の輝きに鈍りはなくとも、血の香りがしそうなものだったらしい。
「んで、暴走してないこともわかっただろ? もうそろそろ体の拘束も解いてくれない?」
「それは出来ないな」
鬼の彼が口を挟んだ。切れ長な目が俺を貫く。
「お前、まだ消えてないだろ」
「……憤怒」
「ああ。暴走してた頃ほどじゃねぇが今でもよーく見えるぜ、お前の怒りは」
ばれてしまうか。
今拘束を解かれたらすぐにでも俺は平等教会に行くことだろう。
それだけの怒りが、俺にはあった。
これは拘束が長引くかもしれないと思っていると、ルシファーが口を挟んだ。
「試練の報酬。それなら私は動くことが出来る」
「それが?」
「私の試練を超えて見せろ」
「待てルシファー! 平等教と戦争するつもり?」
「いつか私たちは戦う定めだっただろう? ベルフェゴール。きっと今が目覚めの時なんだ。彼がやるというのなら、それがその時なんだろうさ」
「なんかよくわからんが。つまり?」
「私の試練を突破したら打倒平等教に協力してあげれるよってことさ」
それは……たしかにありがたいが、今の俺の強さでは無理だろう。
一瞬だけ見えたルシファーの翼を出した状態、あれには勝てない。
試練という全力を出せる状態ならどれほど強いのかも予想できない。
だが、逆にいえばソレが味方になるのならば。
「君のこれからについて私から提案があるんだ」
「それは?」
「私たち以外の大罪に協力を願う、または戦う。そんな旅に出るのはどうかな」
「そんな簡単に悪魔や大罪人に会えるのか?」
「色欲は拠点があって、そこから動くことは稀だ。ラオの里にはサタンがいる。それに大罪人は惹かれあう。旅をしていれば会う事は難しくないだろう」
「ラオ?」
「俺の名前さ。鬼で憤怒の大罪人。ラオだ。旅に出るなら監視役兼案内役だ」
監視役……ああ暴走したときに沈められるからか。どうやったのかは知らないが、憤怒の魔法で俺を沈めたらしいからな。
確かに俺が旅をする上で監視するのにこの上ない人材だろう。
それにしても旅か。
つまりは武者修行になるな。
確かに命を危険にさらすことは大事だ。きっと爺もそう言うだろうと思うくらいには、俺に合っていた。
「行くよ。……少し頭が冷えた。今の俺じゃ勝てねぇし、な」
「よろしい。色欲の場所について地図を用意してくるよ」
そしてルシファーは出ていった。なんとも言えない沈黙が部屋に訪れた。
「あの……いい加減拘束といてくれないか……?」
「あ、ごめん。忘れてた」
忘れてるのはさすがにひどいと思うぞベルフェゴール。
舌しか動かない状態でずっと話してたんだぞ俺。暴れたのは悪いと思ってるが、ほぼ死刑囚みたいな扱いは不服極まる。
「いつ出発するんだい?」
ベルフェゴールは俺の拘束を解きながらそう聞いてきた。
今日中に行くという話ではないが、すぐにでも旅に出るつもりではあった。
「すぐ行くさ。……あぁ、そうだ。ベルフェゴールはこの国に残っててくれないか」
別に彼女を頼っていないと言うわけではなかった。
その実逆なのだ。
「ほう、それはなんで?」
「何かあった時怠惰の魔法ですぐに俺に連絡出来るだろう? 大罪魔法を教わってた途中で投げ出すようで悪いけどさ」
「そ。……見えない所で死なないでよね」
「分かってるよ」
約束は出来ないがな。
「行くのかい」
「行くよ。おー、体バッキバキのガッチガチ。地面と垂直で寝るのは流石にきつかったか。……おん? どうしたよブライ」
固まってしまった体を伸ばしながらブライの問いに答えたのだが、どうにも様子がおかしい。見ると妙な顔をしていた。
「いやね、君とはまだ知り合ったばかりだけれど。それでも別れは惜しいものなんだなって思ってさ」
「短命種みたいなこと言ってんな。どうせここに戻ってくるんだから、さ」
「それも、そうか」
「ま、死んだらごめん。だけどお前吸血鬼の長い命でそんなこと言ってたらきつくない?」
「生憎君が初めての友達さ。全く他の生き物はすごいね。こんな感情に向き合っているのか」
「向き合ってないやつもいるさ。そうだな……短いのは惜しいし、別れは怖い。だが理由になる」
常日頃から次はもう会えないかもしれないと意識している人間は……どうだろう。
この世界だと多いのかもしれないな。冒険者なんか明日があるかもわからない職業だろうし。
それに魔物という動物の強化版のようなものが蔓延っているこの世界では死というものが身近であるだろう。
それでも俺はそれをずっと考えながら生活している人間は多くないんじゃねぇかとは思った。
俺の世界で常日頃から死を意識している人間は多くはないと思う。なんなら少ないだろうさ。
それが悪いとも思わないし、良いとも思わない。
意識していない人間はいつか意識したときに目の前の吸血鬼のように動揺するだろうな。
それでいうと無限に近い命を持ち死というものから遠い彼の危機感というのは日本に近いのかもしれないな。死というモノが希薄で日常から変え離れている彼は。
「色々片付いたら俺の世界の話でもしてやるよ。異世界の話って面白そうだろ?」
「興味はあるね」
「だろ? そんときには寝てばっかな俺よりも詳しい俺の友達二人もいることだろうし、な。紹介するぜ」
「そう考えると楽しみになってきたよ」
「未知ってのはわくわくするだろ? ま、頑張るさ」
「せいぜい頑張ってくれよ。人間」
「吸血鬼こそ、太陽に焼かれて灰にならないように気を付けな」
すぐにでも旅に出ようと思っているが、ここで親しくした人とは挨拶をしたかった。
そして最初に彼と話せたのは幸運だった。
窓から差し込む光を遮っていたカーテンを退かしてみると温かい光が入ってきた。
まだ昼のようだ。時間はあるな。
挨拶をして回るとしよう。後悔しないように。
拘束具
魔力を長く保持する材質で出来ており、仕様の時は魔力を通して、拘束された人間の魔力が通りにくいようにしてから使う。
手の指と舌を特に動かせないようにするそれは対魔術師用の拘束具だ。
どれだけ拘束しようと魔術師は警戒せねばならない。例え指の一つも動かせなかったとしても暴れることが出来るのだから。




