25話 男子三日会わざれば
空気が割れるような音をその場全ての人間が聞いた。そして上から殴りつけられたかのような重圧感。
それを間近から放たれた教皇は一瞬意識を手放した。
才賀の手がゆっくりと動く、剣を手放すと空気を握る。そして空間という鞘から抜き放つように一振りの刀を取り出した。
その刀をゆっくりと教皇の胸に才賀は突き刺す。彼がどれだけ頑張ろうと傷一つ付かなかった教皇の体にいとも簡単にその刀は沈んでいった。
全く予想していなかったのだろう。教皇は血が飛び散り、痛みが走っていると言うのに呆けている。
「は……? 僕の皮膚を、貫いた?」
「a……aa」
才賀は人の言葉を口から出さなかった。知性を感じず、ただ敵意だけを滲ませるその声は、獣よりも獰猛だ。そしてその胸に刺さっている刀を振り抜いた。体を切り裂きながら抜かれるその刀を、信じられないような顔で教皇は見つめている。
不可侵を誇る教皇の肌はいとも簡単に切り裂かれ、血が吹き出した。
そして才賀から離れる。血を吹き出しながら、血相を変えて才賀の傍から逃げた。
よろけながら、血に塗れながら。
「あぁ! はっ……はッ……撤退だ。戻ってこい」
慈悲の枢機卿クンシラ。忍耐の枢機卿ドッスル。救恤の枢機卿カトルロット。三人は馬車の近く、つまりは今も血を流している教皇の近くに近寄った。
そして教皇が指を鳴らすと光に包まれる。
「が」
「勤勉ッ!」
才賀が光に反応したかのように刀を振るが、教皇の声に呼ばれて馬車の中から飛び出してきた男がそれを防いだ。
ヤケを起こしたように刀を何度も振る才賀だが、忍耐と呼ばれた男はそれを全て受け止める。肉を斬られ、骨を断たれ、内臓を膾にされどその男は倒れない。
幼子が水たまりで遊ぶが如く、血を弾けさせながら才賀は刀を振るう。
光が落ち着き、教皇と枢機卿、そして馬車が消えてなくなるとようやく男は崩れ落ちた。膝を突いたという意味でなく、感想したそぼろ肉が崩れるが如く肉片へと還ったのだ。
その人だったものが完全にその動きを止めたのを見て才賀はゆっくりと笑った。
ルシファーやペネトはその間教皇を止めるわけでもなく、ただ見つめていた。
何故それを見逃し彼らを逃したのか。
彼らはそんなことよりも目の前の脅威で精一杯であったからだ。
ライオンが闊歩しているスーパーで万引きを取り締まることは出来ない。
「こんな事だったら、ベルフェゴールを避難要員にするんじゃなかった……かな」
「そんな事言ったって仕方ないでしょ。一体何が起こってるっていうんだい」
「と言われてもねぇ。初めての未知に僕も困惑していてね」
明確な獲物を失った才賀は辺りを見渡している。敵を失った今でも彼の殺意は留まる事を知らず、動くものに今にも襲い掛かりそうな気配すらあった。
そして悪魔が何よりも驚き危険視した理由は彼の体から漏れ出している魔力を見たからだった。
ベルフェゴールは才賀の魔力を宇宙色だと認識していたが、それが可視化されるほどに濃く体から漏れ出ている。
この世のほぼ全てを知っているルシファーにも初めての事だった。
魔力が可視化される程に濃い。
「あんな高濃度の魔力、魔法を使っただけでここら一帯が吹っ飛びかねないぞ!」
ペネトはそう解釈した。魔術のスペシャリスト、才賀の教師である彼女がそう言ったのだから間違いはない。
彼女はルシファーがこの場に来た時点で自分では力不足と判断し、気絶しているダンを背負ってこの場から去ろうとしていた。
だがこの魔力を見て絶句し、立ち尽くしたのだ。魔力と生涯を通して向き合った彼女だからこそ、あの悪夢のような魔力に背筋が凍り付くほどの恐怖を感じていた。
「ペネト、ダンと周りの人達を。試せ、傲慢。禁魔の試練」
ルシファーは魔法を制限する傲慢の魔法を使った。あの絶大な魔力を使わせない為だった。
魔法を制限するという絶大な魔法ではあるが、これには一つ欠点がある。
この魔法はルシファー自身にも適用される。つまり他の傲慢の魔法を使うことが出来ない。
そしてこれは防御魔法ではない。あくまで、試練であるために。
「……a?」
「あ、しまった」
だからこそそれは悪手だった。
才賀は己に魔法を使ったルシファーの事を敵だと認定した。
刀を握った彼はそのまま一足飛びにルシファーに近づいていく。
独自の歩法により空間はゆがみ、ルシファーの前に飛び込んだ。
「はは……勇気が出てよかったよ」
才賀の刀はルシファーの胸を貫き、勤勉と呼ばれた男のように滅茶苦茶に切り刻まれる。誰もがそう思っていた。
だが、そうはならなかった。吸血鬼ブライがその間に入り、防いだのだ。
吸血鬼の膂力によって彼の腕をつかみ、刀を止めた。だが才賀は手首の捻りを使い、ブライの腹に刀は突き刺した。
そして掴まれていない方の腕で彼はブライの胸を貫いた。
心臓をもぎ取らんとした左腕は彼の筋肉によって止められている。
「浸食……される……!?」
ブライはそう言った。
吸血鬼の王としていくつもの吸血鬼を吸った彼は数え切れられないほどの命を持っている。
腹を貫いただけでは一つ分減らす程のダメージにしかならない。
だが才賀の腕は彼の腹を貫くだけではなく、浸食し始めた。
バケツに穴を空けたように命が漏れ出ていく。
「良くやった! そのまま抑えてな坊主!」
逃げようとしている人混みをかき分けてきた男がそう叫んだ。走り、跳ぶ。人間の跳躍力を超え、屋根を飛び越さんとする高さまで飛び上がっている。
その男は真紅の髪を風に振りまきながら、この状況をじっと見ていたのだ。
彼の額には角が生えていた。空を突かんとしている一本の青い角が。
「怒れッ憤怒! 心の鍵槍、小僧ッ回せ!」
「わかった!」
その鬼は憤怒の大罪人であった。
そして憤怒の魔法、心の鍵槍。この魔法は心にある怒りなどの感情を開く鍵を作り出す魔法だ。
だが、開ける鍵ならば閉めることもできる。それは当然の理である。
投げ放たれた槍は真っすぐ才賀の胸に突き刺さり、そしてブライは腹に腕を突き刺されながらも、それを握る。
そして左に回された。
「おさま……った?」
才賀は鍵を回されると、力が抜けたように倒れる。
ブライが体を再構成させながらも、彼の呼吸を確認した。
気絶しているようだと気づいたブライはほっとしたように息を吐き、からだの力を抜いて倒れ込んだ。張り詰めていた空気が弛緩する。
「権限行使終了。ともかく市民に被害がなくてよかった。彼と袂を分かれずに済んだよ。……念のため、ベルフェゴールに縛ってもらおうかなぁ」
「ルシファー。……大丈夫なの? サイガ、普通には見えなかったけど」
「さぁ。でも君も知っての通り、彼自身は無暗に暴れるような性格でもない。それに尋常の生命じゃない僕が言えた話じゃあない。ペネト、君たち人間が彼を危険視するというのなら受け入れるけど、ね?」
「嫌な言い方するじゃないか。まぁ、僕は僕の感じたことを信じるさ」
「そうすると良い。それにとりあえずは憤怒の助けで場が収まったのを喜ぼうよ。ブライもお疲れ様」
「はは……うん。数十回ほど……死んだけど。サイガを止めれて、良かった」
彼らはとりあえず訪れた平穏を喜んだ。
平等教の襲来、教皇が行おうとしているもの、才賀の暴走。
そして絶対の一人であるダンの昏睡。
全て一日、ほんのわずかな時間に起きた出来事だった。
けれども事態は未だ収束していない。波乱は未だ収まる様子が無い。
それは代償だ。夜明けは遠い。
だが、この一日をしのぎ切った彼らには少なくともサイガが目を覚ますその時までは、その平穏を享受する資格がある。
心の鍵槍
憤怒の大罪魔法の一つ。
怒りという感情に干渉する鍵を作り出す魔法。それは硬い心の壁を開くことも、溢れ出る怒りの感情を閉じる事も出来る。
だが閉じるというのならば注意しなければならない。閉じ込めたとしても消える事は無いのだから。




