23話 燃える炎と剣
「おい」
「はぁ……はぁ……なんです?」
剣術の訓練中、突然ダンが俺にそう呼びかけた。息も絶え絶えという俺とは違い、彼の呼吸は全く乱れていない。
今日の訓練はダンの使う魔術を避けながら、更に彼の剣をを防ぎ続けるというモノだった。俺がまだ魔術を実戦レベルに使えていないというのもあり、どちらかというと対魔術師の訓練だった。
ダンは勿論手加減をしている。それでも達人といえるほどの剣筋であり、それに加えてペネトすらも認める程の天才であるダンが放つ魔術に淀みはなく、剣と魔術が交互に放たれるほど未熟ではなかった。
そして一番つらいのが、彼のトリガーの動作がとても小さい。
歯を鳴らす、というのが彼のトリガーだと教えてもらったのだが……口を閉じられると音も聞こえないし、見ることも出来ない。
顎を見れば一応確認することが出来るが、顎というのは中々戦いの中で注視する場所じゃない為、難しかった。なんならトリガーというのは補助するためのモノであってダンにとっては使わずとも魔術を使えるものだ。必ずしも顎を動かせば魔術が来るというものではなく、動かさないと魔術が飛んでこないというモノでもなかった。
つまりはあまり固執しすぎるとそれを突かれて負けてしまう。
なんなら顎に集中すると視界の外から突きが飛んでくる。
「獣の匂いがする」
ダンの仕事の時間だった。この国に獣が近づいてきた時の防衛をするというのが彼の仕事で、どうやって地下であるこの場所で獣の臭いを察知しているのかは分からないが、しばしば授業を終わりにすることがあった。
「あぁ、じゃあ今日の処は終わりにしておきます?」
「いや、もったいない。お前もあったまってきた所だろうし、始まったばかりだ。……そうだな。たまには俺の仕事でも見に来るか」
「良いんです? 実戦でしょう」
「やれるものなら。小僧に一度見られたところで盗まれるのならそれまでだったって事だ。お前の師匠もそうだったんじゃないか?」
「丸一日見てたって盗めませんよ」
魔法で出していた木剣を消して、彼はそのまま階段を上り始めた。
ついて来い、という事らしい。俺も剣を納めて、すぐに彼を追いかけた。
一声あっても良いんじゃないかと思うが、彼の師事を受けてもう数日。流石に慣れた。
そういう人なのだ。悪気がある訳じゃないのはもう知っている。
「ほー、初めてこの国から出ましたけど意外と開けてるんすね」
「訓練をするにはちっとばかり向かんがな。ほれ、森が見えるだろう。あそこからたまに面倒なのが来る。それを訓練にしても良いが……あんまり血生臭いと更に寄ってくるからな」
城の裏手に回ると、遠くに森が見えた。
地面も平らで、風も冷たく快適だが……確かに少しだけ獣臭がした。居住区も近いことだし、確かにここで戦い続けるのは避けた方が良いかもしれない。
だが森という障害物が大量にあるという環境は魅力的でもある。不確定要素に対応できるようにするのは大事な事だからだ。
「安心しろ。生き物は用意できんが、木くらいならどうにでもなる」
「……忘れてましたよ。魔術の先生だってことを。てっきり凄腕の剣士かと」
「そうか? それくらいペネトなら読書をしながらでもできるぞ」
「そりゃ比較対象がひどいでしょうに」
あの人も普通の人間とは一線を画している側の人間だ。
いつもペネトはダンを天才だと呼んでいる。この僕ですら未だ手が届かない天才だと。だが下の人間からするとペネトも天才なのだ。蟻からすれば小学生も中学生も巨人でしかない。
彼女からすれば未だ目の前に立ちはだかる壁なのだろうが。
そして気になったのだが、ダンは獣の匂いがしたと言っていた。
だが微かに獣臭はするが、獣は見当たらない。熊みたいな大きな獣が近くにいると嫌になるほどの匂いがするのだが。
「獣……います?」
「ふん、もう少し待て。もうすぐだ。もうすぐ、くる」
そう聞いて数秒経つと本当に森の方からイノシシのように足の短い生き物が飛び出てきた。だが大きさが凄い。猪と言えば牙が太ももの高さに近く危険と言われるのだが、アレは心臓を一突きできるほど巨大である。ダンプカーのような凶悪な獣が物凄い速さでこちらに走ってきている。
嘘……だろ?
森はここから見えるとはいえ、走ると数十分くらいの距離だ。つまりその距離は、すぐ近くなんかじゃない。それが、わかった?
「ほんとに……人間?」
「失礼な奴だ。俺はしっかり人だとも。ペネトはまだ魔力が身体能力を強化するってのは教えてないのか」
「あぁ……魔力を使い続けると織り込まれて強化されてくっていう。アレ筋肉だけだと思ってました」
「それペネトに聞かれるとすげぇ怒られんぞ? 確かに多くは筋肉だけだ。だが肉体を魔法で強化しているんだから魔力は筋肉以外の肉体にも染み込んでいく」
「ほあ」
「ま、俺が特に鼻が良いのには理由があるがな。ほれ、体を特に強くしたい理由なんてそう多くないだろう?」
「今度聞かせてもらっても?」
「は、不幸自慢なんてされても楽しいものじゃねぇぞ。そんな事より俺の仕事をするとしよう」
イノシシのような生き物は近くまで走ってきていた。
遠くから見えていたが、近くに来ると驚くほどにデカい。頭ほどの太さの足が地面を激しく震わせる音が聞こえてくる。
こんなのに人が襲われたら死ぬな。当たり前のことだが。
日本のイノシシでも人は死ぬ。こんな大きな異世界のイノシシじゃ何人死ぬことになるのだろうか。きっと数人をひき殺しただけでは止まる事すらないだろう。
それを防ぐためにダンはここに来ているのだが。
「とまぁ、このように獣相手だとまず初撃が大事だ。こいつみたいなタイプにはまず恐怖心はない。国の近くまで近寄ってきてる時点で人に怯えるようなタマじゃねぇ。脅して動きを読めようなんてことは考えるな。人だろうと獣だろうとこの目は覚えておけ、こういう輩は面倒だ」
獣の突進はダンを狙っていた。
だが彼に突進は当たらなかった。避けた、のだと思うのだがあまりにも動きが少なすぎて獣が自分から外れたようにすら見えた。
普通なら獣は止まるか、それともそのまま走り続けて俺をはね飛ばすか、町中を爆走し始めるか。少なくとも避けられたからといって何が起こるという訳でもない。
だがおかしなことに、獣は地面に顔面を突っ込んだ。それまでとてつもない勢いで走っていた慣性と巨大な牙によって地面が抉られていく。
そしてゆっくりとスピードを落としていった。
「サイガ、見えたか?」
「全く」
「そりゃ残念。これが見えたなら俺はもう教えなくても良いかなって思ってたんだが」
つまりは本気の一撃だったのだろう。俺の眼には少しも分からなかった。
イノシシは少し離れていた俺の近くまで来ると完全に止まってしまい、そのままもう一度動き始めることは無かった。
よく見ると獣の頭が綺麗に斬れていた。ここまで激しく慣性に引きずられたというのにその傷はじんわりと血が滲んでいるだけで、激しく出血していなかった。
命を奪っている事から深く斬り込まれているのだろうが、パッと見ただけではそこまで深い傷には見えない。
「剣士つっても自力でここまで綺麗にはまだ斬れんぞ? 魔法も使ってる。……んー、この魔力量は魔力抜きも難しそうだな。燃やすから離れてろ」
少し離れると獣の体に火が付いた。すぐに消えそうなものだが、少しも火に陰りは無い。きっとダンが魔力を注ぎ続けているのだろう。
ぼうぼう燃える獣はその大きさなだけになかなか時間のかかりそうだ。
「この大きさじゃ日が暮れるかもなぁ。帰っても良いぞ?」
「いや、いますよ」
「つってもペネトならまだしも、流石に俺じゃ焼きながら訓練も出来んし……暇つぶしに話せる思い出なんて俺には暗いもんしかねぇぞ」
「それでも良いですよ」
「面白くなくても文句言うなよ」
俺があんたのことを知りたくなった。
それだけなのだから。
ダンは指を鳴らした。燃え盛る猪のような獣の前に二つの椅子が作られ、ダンは座った。
座れと目で促され、俺も彼の横にある椅子に座る。
「昔、俺には嫁さんも子供もいた。アイツの顔も、ガキの小さい手も覚えてるが……どういう声だったかは自信がないくらいには昔の話だ」
そう言うダンの顔は何かを懐かしむように見えた。炎のちらちらとした光がそう見えさせただけかもしれないが。
声というのは一番早く忘れてしまうらしい。記録媒体もないこの世界では、特にそうだろう。
「結婚できたんすね。そういうの興味ないと思ってました」
「馬鹿にしてんのか。俺には分からんが、いい男だったんじゃねぇか? いい女が惚れるくらいだ」
「そうなん……すね」
「ふ……悟るのが早いな。そう暗い顔をするな。こんな話の結末は、分かりきってることだろうに。俺は元々この国の出身じゃねぇ。なんなら田舎だったし、ここら辺の人間に聞いたところで分からねぇ位には遠いところだ」
「まぁ何かを学ぶところであって住むに適したところかって言われると微妙っすからね」
「そりゃそういう国だからな。冬前の事だった。いつも村に来てた商人がいつになっても来なくてな、肉を確保しなきゃいけなかった。だから俺や村の男は少しだけ遠くに行ったのさ。だが……今になって思えば商人も山を通ってくるんだ。そういう事だったんだろうな」
なるほど。確かにそれは重い話で、面白くない。どれだけ話しても救われないし、話しようがない。
自然というのはあまりにも残酷で、あまりにも当然の事なのだから。
「グラッ……あぁ、名前で呼んでも分からんか。クソでかくて二足歩行にもなる獣がいてな。アイツが来てやがったんだ、村に。どうにも腹が減ってたらしい。俺らが血の匂いに気付く頃には村は酷いことになってやがった。勿論俺の家族もな」
「それは」
「気付いてたか? ほれ、良く出来てるだろう」
ダンは左手を外した。外れたそれをよく見ると義手のようだった。
今まで動いていたそれは魔力によって動かされていたのだろう。すぐに彼は左腕に付けなおし、よく見ないと分からないほどに自然に動いている。
「陳腐な話だろう。だが人一人の人生を変えるには十分なのさ。こんな不幸は数え切れないほどに起こってる。そして俺のような人間も」
「だから匂いに」
「なんだろうな。あの時の血の匂いは今でも覚えてる。もう少し先に気付けていたら、獣臭に気付いていたら、そう考えてんのかもな。アイツらの声を忘れちまったっていうのに」
そのまま沈黙が俺らの周りを浮かび始めた。
確かに彼の語った過去は陳腐だ。日本で聞いたことがあるほどに。だがその陳腐さが現実感を痛いくらいに伝えてきた。彼の感じた血の匂い。家族の死体。
それはきっと忘れられない物だろう。
「焼けたな。帰ろう。もうすぐ日も暮れる。お前も眠いだろう、部屋まで送っていくよ」
「ありがとうございます」
「お前なら言わなくてもわかってるだろうが、気にするな。お前はお前のやりたいことをやれ」
「はい」
結局悲劇は溢れていて、思いと信念を持っている人間はいる。
だが失った者としてダンはそれを無視しろと言っている。
何かを守りたいのならば、それを踏みにじることを恐れるな、と。
……なぜだろう。
教えられた覚えはないのに、爺からも教わった気がするのは。
ダンの義手
使い古された義手。ダンの魔力が馴染んで、もはや体のように動かせるそれは遠い昔に彼が腕を失ったという事を伝えている。
よく手入れされたそれは人の肌のように掴んだものを吸いついて離さない。だが、刻まれた傷がソレが決して手の代替品として完璧でない事を示している。
消えぬ傷は強さを求めたあの日をずっと覚えている。




