21話 師匠との再会
「何だこりゃ。瞑想してたってのに何処なんだここは」
気が付くと俺はどこまでも真っ白な世界にぼうっと立っていた。足に土の感触も無く、平衡感覚がおかしくなってしまいそうな景色だが、不思議としっかりと立てている。
アニメで見るような、現実感が無い世界だな。
「気にするな。それより、何をしている? 才賀」
かまいたちが頬を切り裂いたのかと思った。だが風すら吹いていない。ただ睨まれただけだった。
その声を発していたのは爺。
俺の師匠の爺だった。だが俺の記憶と違う事がある。
左目の処に傷がない。見えない訳じゃないが、大きな傷跡があった筈だ。俺が爺の弟子じゃなくなったとはいえたまに彼は俺の様子を見に来ていた。最近の爺の姿は覚えている。
これは間違いない。
そして俺はこの爺を見たことがある。
これは……昔の爺だ。確か俺が鍛えられていた頃は、傷がなかった。
「くだらん思案はもう終わったか? 今すぐ瞑想を止めて布団にでも帰るんだな。二度は言わん」
「その先、何があるんだ」
爺が立ちふさがる先には一つの扉があった。
真っ白な空間の中に木の扉が浮いている。何処かの不思議道具のような見た目だが、はっきりとその扉をくぐった先に何かがあるのだと思った。奇妙な確信すらある。
そして爺に忠告されているものの、俺はその先に行かなければならないと感じていた。
「記憶」
「随分と……あっさり教えてくれるんだな」
「隠して何になる。好奇心は満たせたか? 疑問は解消したか? ならば帰れ」
「そうも、いかないんだよね。ただでさえこちとら色々抱えてるってのに、自分の事まで謎って言われちゃおちおちぐっすり眠る事ができねぇ」
「クソガキ。これ以上進むなと言っているのが分からんか」
爺の眼が鈍く光る。
彼の体は確かに老いている。枯れ木のように潤いを失い張り付いた皮膚に、皴の増えた体。
だが目は衰えておらず、乾ききった皮膚の中に隠されているのは針金のような筋肉だ。あれ以上強い生き物をいままで見たことが無い。
仕留めた熊を引きずって帰ってきた時は乾いた笑いが出たものだ。
「拾え。この先に行くというのなら力を示せ。俺の教えを、覚えているか?」
爺が刀を投げた。受け止めてその刀を見ると、俺が爺に鍛えられていた時代に使っていた刀だった。
確かに使い慣れたものだ。手にも馴染む。
俺はその刀を抜いて構えた。いつも使っている剣よりも握り心地も、重さも違う。だがこっちが先だ。
爺の教え。それは強くあれ。
簡単で短い言葉だが、それのみを見据える流派が爺の教えだ。
爺は武器を持つどころか、構えてすらいない。
自然体だ。
まっすぐ立って脱力して俺のことを見ている。
「くたばれ爺ッ」
「遅い。予備動作が大きすぎる。案山子でも斬ろうとしているのか?」
全く届かない。まるで俺がわざと当てないように刀を振るっているかのように、当たらないのがさも当然かのように。
我ながら贔屓目に見ても悪くない一撃だと思っていたが、何の危なげもなく避けられる。
「うっるせぇ! こちとら平和な学生生活送ってたんだ。刀なんぞ久しく握ってねぇんだぞ」
「弱者である事を誇るならば、今すぐに目を閉じろ。俺は別にソレで良い。……ほれ、力の入れ方が拙いぞ」
俺の振りについて指摘しながらも俺の刀は爺の髪一本、服すらも斬る事はできない。
そして爺は俺の腕を絡めとり、関節が固まる。そして手首を叩かれ指が痺れた。刀が握れな……いってぇ!
そう思った瞬間には足を蹴られていた。くるりと視点が回る。
俺の体は地面に伏し、爺の体重を持って縛り付けられた。
「何故今になってここから先に進もうとする? お前は何が欲しい」
「力」
「……変わらんな。クソガキ」
「んだよ。別に爺に頼んだ覚えはねぇぞ。急に家に来たんだろうが。感謝してるけどよ」
そして爺は俺の拘束を解いた。解放というよりも投げ捨てるように押されたのだが。
あっさりと拘束を解いたことに驚いたが、それよりも体勢を整えることが最優先だ。
そして俺が刀を拾い、爺のほうを見る。爺は構えようともせず静かにこちらを見ていた。
いつのまにか爺は見たこともない一本の刀を手にしていた。決して豪華なものじゃない。古びてボロボロにすらなっている。だが、その機能は少しも損なわれていない。柄はぼろ布で補強され、鞘はもはやゴミのようだ。
けれど美しいとすら思えた。それは、斬ること以外何もかもを捨てていた。
落ちることのない血肉の幻影が見えるようだ。
その輝きに果てはなく、俺を映し出している。
「安心するがいい。ここで幾度死のうと現実で死ぬことはない」
「上等だ。やってや」
「少しは本気でやってやろうと言っておるのだ。お前は力を求めた、手加減は不要だろう?」
俺の頸がゆっくりと落下する。痛みすらなく、体が動かないと感じた時には地面を噛んでいた。
だが瞬き一回した瞬間に俺の身体には傷一つすらなくなっている。
時間が戻ったのかと思ったが、下から香るおびただしい量の血が現実だったという事を指し示していた。
もう一度構えて爺のことを見る。
刀を握り、こちらを見ている。指一つ動かせば次の瞬間には地面に沈んでいそうな恐怖。
海相手に相撲を取るような絶望。
だがこれで引く事なんか出来ない。
「ふむ、やはり体は覚えているようだな。だが心が追い付いておらん。それに負けるほど耄碌した覚えはない」
「ああアアア!」
二度打ち合った。老体の爺に負けるほど力が弱いとは思えない。だが手が痺れる。
その次、指に力を入れようとした瞬間に俺は五体を失った。投げられた人形のように崩れ落ちる。
そしてゴミのように落ちている胴体に刀を刺され、俺は死んだ。
「はっ……はっ……はっ……ごほっ」
「本当に死んでいないとはいえ、その感覚はきついだろう。慣れるものじゃない」
二度の死。今俺は生きている、が疑似的な死であろうと死は、死だ。
命の灯が消えていく感覚は、自分の体から温かみが薄れ、冷たい物になる感覚はとても記憶していたいものじゃない。
「さて才賀。どうする。諦めるか?」
「あきら、めない!」
「友か」
「あん? ……ああ。友達がやばいかもしれねぇんだ。今の俺にはそれだけで手一杯なんだよ」
「……わかった。その覚悟があるのなら。だが全ては許さん」
「は?」
そう言うと爺は刀を鞘に収めた。
そして無警戒にすたすたと俺のほうに近づいてくる。
いきなり俺の髪を掴んだ。それを振り払おうとして気が付いた。
腕が、いや全てが動かない。体と、脳が繋がっていない。
「一瞬だけ、死ぬまでの一瞬だけだ。それだけ見て帰れ」
俺の頭は扉へ向かって蹴られた。まるでボールのように。
抗議の言葉も肺に繋がっていないのだから口から出るはずもなかった。
バウンドせず面白いように飛び扉にぶつかるかと思ったが、扉は俺を歓迎するかのように自動で開いた。
扉の先は真っ暗で俺の頭はその暗闇に飛び込んでいく。
「これも定め、か」
闇の中を俺という生首が飛んでいる。
少しずつ死というものが近づいてきている。もう数瞬で俺は死を迎える事だろう。
薄れゆく思考が、死神の足音を捉えている。
「あぁ、あああ。ああああああああ」
暗闇から叫び声が聞こえている事に気が付いた。
何処から聞こえているのか、誰が叫んでいるのかは分からない。
後悔、苦痛、悲しみに満ちている。
地獄から聞こえているのかとすら思えるソレに、俺は覚えがあった。どこで聞いたものだったか。聞き馴染みがある声。
少しずつ暗闇に光が差し、明るくなっていく。けれど、明け方のようにどこか気味の悪い薄暗さ。
「ごめ、ごめんなさい。どうか、どうか……許して」
懺悔の声だ。涙で何も見えず、鼻水と後悔に溺れている。
感情が溢れ、吐瀉する。
全ての望みが絶えたような声。ほんのささやかな望みでさえも。
話しているのか、それとも必死に呼吸しようとしてあるのか分からないその声は続く。
「産まれてきて、ごめんなさい」
あ、この声。
俺だ。
才賀の刀
ひどく手に馴染む刀。業物でありよく手入れされたそれは触れただけで深く食い込む。
大とだけ刻まれたそれを持つ資格を、才賀は未だ持たない。
故にそれは、借り与えられた一時の牙である。




