第6話 襲来
あの最悪なお茶会から数日。
ウィリアムからの接触はなかったものの、王宮の空気はどこかピリついていたけれど、私の隣にはいつもアレクセイがいてくれた。
彼は有言実行とばかりに、朝の挨拶から夕方の書類提出まで、私をあのアスラント隊長から守るように、甲斐甲斐しく私の周囲を警戒してくれ少しずつ平穏を取り戻しかけていた、ある日の午後。
私が所属する第一事務方のオフィスに、場違いなほどの高級な香水の香りと、けたたましい靴音が響き渡った。
「失礼するわ。ここに、エリーゼ・ヴァレンティン――いえ、エリーゼ・アスラントは居るかしら?」
静まり返るオフィスに響いた、高飛車で、鼓膜にキリキリと障るような高い声。
書類から顔を上げた私は、その人物の姿を見た瞬間、全身の血がスッと引いていくのを感じた。
艶やかな扇子で口元を隠し、これ見よがしな貴金属を身にまとった気性の激しそうな婦人。
公爵夫人であり、近衛隊長ウィリアムの母――エレノア・アスラント公爵夫人。
「こっ、公爵夫人……!? 一体どのような御用でしょうか!?」
上司である事務官長が、突然のVIPの襲来に椅子を蹴立てて立ち上がり、揉み手で駆け寄る。
王宮内でも有名な、近衛隊長のおうち騒動。
数ヶ月前、完璧超人なウィリアム隊長が、社交界の華と称えられた美しい妻に離婚届を叩きつけられて逃げられたという噂は、当然このオフィスの面々も知っていた。
けれど、誰も気づかなかったのだ。
夜会でいつも豪華絢爛なドレスをまとい、完璧な化粧で微笑んでいた公爵家の令息夫人と、離婚して最低限の薄化粧にひっつめ髪、事務服に身を包んで淡々と書類をめくっている目の前の私が、同一人物だなんて。
ただ一人、アレクセイだけは違った。
本人曰く、彼は社交界の派手な美女には目もくれず、士官学校時代から、この飾らず凛とした清楚な美しさを持つ私に、ずっと一目惚れ(?)してくれていたらしい。
当時の私は、そんな彼の視線にこれっぽっちも気づいていなかったのだけれど。
エレノア夫人は、格下の事務官長など視界に入っていないと言わんばかりに顎を鳴らし、真っ直ぐに私を見据えた。
「エリーゼ、ウィリアムから聞いたわよ。実家に帰っているかと思えば、こんなむさ苦しい男たちに囲まれて、地味な役人の真似事をしているなんて。アスラント公爵家の『籍』に入っていた身でありながら、我が家の面汚しもいいところだわ!」
その言葉が放たれた瞬間、オフィスが水を打ったように静まり返った。
事務官長も、周囲の同僚たちも、一斉に私と夫人を交互に見つめ、信じられないというように目を見開く。
(せき……? 席? 咳? 石?……公爵家の籍……? え、あの社交界の華だったアスラント夫人が、目の前のエリーゼさん……!?)
オフィス中が点と線が繋がった衝撃にフリーズする中、私の斜め後ろの席で、誰よりも激しく脳内をバグらせている男の子がいた。
「え……りーぜ、が……?」
アレクセイが、まるで世界がひっくり返ったかのような、掠れた声を漏らした。
ゆっくりと振り返ると、彼は完全に血の気を失った顔で、信じられないものを見るように私を見つめていた。
「エリーゼが……アスラント隊長の……奥さん……だった? 」
彼の碧の瞳が、これまでにないほど激しく激しく揺れている。
周囲が「あの地味なエリーゼが、まさかあの絶世の美女だったなんて!」と二重の衝撃に包まれる中、アレクセイ一人が、今にも泣き出しそうな絶望の淵に立たされていた。
その表情が、私の胸をズタズタに切り裂いていく。
夫人のヒステリックな声はさらにボルテージを上げていく。
「ほんの少し、ウィリアムが他の女性たちと浮名を流したくらいで、正妻の立場で離婚届を叩きつけて家出するなんて、なんて我が儘で、器の狭い女かしら!」
「――っ、アスラント公爵夫人! 言葉を慎んでください!」
私はガタリと椅子を押し除けて立ち上がり、震える拳を机に叩きつけた。
もう、隠し通すことはできない。
同僚たちの驚愕の目、そして何より、私を純粋に慕ってくれていたアレクセイの、今にも泣き出しそうな表情が、私の胸をズタズタに切り裂いていく。
「私はもう、アスラント家の人間ではありません! 離婚届は正式に受理され、私はヴァレンティン伯爵家の籍に戻っています! 私は、もうウィリアム・アスラントの妻ではございません!!」
自ら叫んだその言葉が、オフィスに残酷に響き渡った。
彼が憧れ、そして私が拒絶したあの完璧超人な近衛隊長ウィリアムの『元妻』。
結婚に、男に、恋愛に冷めきってしまった訳ありの過去が、ついにアレクセイの前に暴かれたのだった。




