第10話 格の違い
アレクセイが私の手を取り、騎士の誓いを立ててくれた翌日。
王宮の空気は、にわかに慌ただしくなり始めていた。
事態が動いたのは、まさに王宮の物流管理部門――ウィリアムの息がかかり、我がヴァレンティン伯爵家の商船を不当に差し止めていた事務所だった。
「な、なんだこれは……!? 国王陛下からの直命書だと!?」
物流部門の責任者が、届けられた羊皮紙を見てガタガタと震え出したという噂は、すぐに第一事務方の私の元にも届いた。
そこにしたためられていたのは、他でもない国王陛下の直筆のサイン。
「ヴァレンティン伯爵家に対する不当な物流制限を即刻解除せよ。また、これに関与した者を全くいかなる地位の者であれ、国家反逆の容疑で査察する」
公爵家の権力に怯え、ウィリアムの指示にホイホイと従っていた役人たちは、一瞬にして顔面を蒼白にさせた。
公爵家がどれだけ偉かろうと、この国の絶対君主は国王陛下なのだ。
「エリーゼ、言ったでしょう? 陛下は俺のことを、もの凄くお気に入りだから。」
お昼休憩のオフィスで、アレクセイがいつものように照れくさそうに笑いながら、私に紅茶を淹れてくれた。
「本当にアレクセイが陛下に直訴してくれたの?」
「うん。昨日、士官学校時代の恩師である元帥閣下を通じて、陛下に謁見を申し入れた。我がノードン伯爵家とヴァレンティン伯爵家の窮状、そして近衛隊長が私怨で国家の物流を私物化している証拠を添えて。」
アレクセイは事も無げに言うけれど、新兵がそんな短時間で国王に謁見し、動かすなど普通はあり得ない。
やはり、名門王立士官学校の歴代トップという肩書きは、この国においてそれほどまでに凄まじい価値を持つ国宝の証だったのだ。
アレクセイの碧の瞳が、ふと冷徹な光を帯びる。
「近衛隊長というのは、陛下を最も近くで守る盾であり、誰よりも私心を捨てねばならないポジションだ。それなのに、私生活の腹いせで他家の商売を妨害するなど、盾が自ら錆びにいったようなもの。」
その言葉通り、ウィリアムの破滅は、彼自身の傲慢さが引き金となって急速に加速していった。
その日の午後。
王宮の回廊で、私は数日ぶりにウィリアムと出くわした。
いつも完璧に着飾っていたはずの元夫は、物流部門への国王の介入を知らされた直後なのだろう、ひどく血走り、乱れた様子で私に掴みかかろうとしてきた。
「エリーゼ! お前、一体どんな汚い手を使って陛下を動かした!? 私に逆らうなと言ったはずだ!」
「アスラント隊長。廊下で大声を出すのは見苦しいです。」
静かに割って入ったのは、やはりアレクセイだった。
彼は私の前に一歩踏み出し、ウィリアムの視線を完全に遮る。
「またお前か、ノードン。 新兵の分際で、私の邪魔を――」
「新兵、ですか。確かに俺の階級はまだ下ですが……隊長、あなたは自分の足元がもう崩れ落ちていることに、まだ気づきませんか?」
アレクセイの放つ圧倒的な覇気に、ウィリアムが思わず言葉を詰まらせ、一歩後退りした。
訓練場で木剣を喉元に突きつけられた、あの恐怖がフラッシュバックしたのだろう。
「今回の件で、陛下はあなたに『近衛隊長としての資質なし』と判断されました。私怨で権力を振りかざす男に、王の背中は預けられない、と。」
「な……何を馬鹿なことを。 私はアスラント公爵家の者だぞ!?」
「公爵家だからこそ、です。」
アレクセイは、冷ややかな、憐れみすら含んだ目でウィリアムを見下ろした。
「王家を脅かすほど肥大化した公爵家が、調子に乗って国家の法を犯した。陛下にとって、これほど都合のいい引き締めの機会はありませんよ。あなたがエリーゼ殿を脅そうと動いた瞬間、我が家だけでなく、国中の反・公爵派の貴族たちが一斉に牙を剥いたんです。あなたは、自分で自分の首を絞めたんですよ。」
「あ、あり得ない。私が、失脚するだと……?」
ウィリアムの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
完璧だと思っていた自分の権力が、自分の都合よく従うお人形だと思い込んでいた元妻と、一人の若き天才騎士によって、跡形もなくすり潰されていく。
その現実に、彼はただただ愕然と立ち尽くすしかなかった。
ウィリアムを冷たく一瞥すると、アレクセイは私に向き直り、いつもの優しい笑顔に戻った。
「行こう、エリーゼ。次の職務の時間だ。」
「ええ……!」
私は、もう二度と振り返ることなく、アレクセイと共に歩き出した。
背後で、かつて私を灰色の地獄に閉じ込めていた男が、プライドも地位も失って絶望に崩れ落ちていく気配を感じながら。




