第二幕 ノツゴ 【二】
病弱で幽体離脱までしてしまう青年がいた。
彼は庭にいるクマほどもある巨大な赤子がいることにいつも不思議に思っていたのだが、ある晩に幼い子供に変化した赤子に連れられ、異形の市場へと連れ出された。
一方、世羅は帝都の城へ到着してみると、『二日間目が覚めない者がいる』と分かり、さっそく怪異解決に乗り出すこととなる。
【二】
屋台の並ぶ道の端を歩きながら、店を見ていたが、ふと青年はあることを思い出して立ち止まってしまった。
そういえば、何をするにもお金という物が必要だったのでは。
実際に兄にお金という物を見せて貰ったが、城にいて、好きな時に好きな物がもらえていたため、勉学で一般知識として知っているだけだ。
「どうしよう……お金がなくて何もできないよ」
幼児を見下ろすと、彼も理解できていないようで首を傾げている。
困り果てて、来た道を戻ろうかと振り返ろうとした時、声を掛けられた。
「お兄さん、お兄さん。そこの、緑の着物のお兄さん」
首を巡らせると、屋台の一つで妙な格好の男が手招きしている。様々な布切れを縫い合わせたような服を着ていて、その布の間からは枯れ枝のような細い手をした、顔は皺だらけの老人のようでもあり、猿のようでもある。
「ちょいと見てってくれよ」
誘われるままに近づくと、彼の屋台の屋根からは大小、色とりどりで形も様々な提灯が吊るされている。目の前の台には円柱の硝子が無数に置かれ、その中にどういう仕掛けか炎がふわふわと浮いていた。
「おお、やっぱりそうだ。お兄さん、随分と清らかな魂をしているね。若くして亡くなったんだね」
「え」
死んだ。と言われ、青年が声を失う。
いや、絶望というよりは、しっくりきたというべきだった。
――そうか、ついに死んだんだ。だからこそ、遠くまで来ることができたのか。
妙に納得していると、店主が話を続ける。
「あ、そうか、君は『死にたて』でここがどこだか分からないんだね」
一人で合点した店主は一つ頷いて親切に彼の疑念を解いていく。
「ココはあの世とこの世の間にある、とあるツクモが作った市場さ」
「あの世とこの世の間……?」
「そう。『幽世』というんだけどね。死んだ生物はみーんなこの道を通って、次の人生で欲しいモノを買って、あの世へ行って記憶を消して、新しく転生するんだ」
「かくりよ……?」
次々にもたらされる情報に彼が目を白黒させた。
「鬼人の目から見たら不気味だろうけど、なぜか進んで来ただろう? それも術がかかってて、恐怖を覚えないようになってるんだよ。次の良い人生のための買い物を楽しくしてもらうための工夫なんだ」
すると店主が横へ真っ直ぐ腕を伸ばして大きな門を指で示した。
「ほら、あの門があの世へ続く門だよ。あそこまでまだまだ道は続いているから、ゆっくり品物を選ぶと良い」
「そ、そうなの? あ、でも僕、お金が……」
「ああ、ここは物々交換だよ。早く走れる足が欲しいなら、今ある足を。幸せな運命が欲しければ、生前の運命を。そうやって生前に持ってたモノと交換して、新しい人生を手に入れるんだ。ココは何でも揃ってるよ」
「新しい人生……」
ようやく詳細を知った彼の瞳に希望の光が灯る。
ということは、この病弱な体も、周りに振り回される窮屈な運命も変えて、健康でなんでもやっていい自由な人生を手に入れられるのでは。
彼の様子を目敏く気付いた店主の男は、台の円柱の硝子を突く。
「かくいう私は君らが使う『鬼火』を売ってるよ。気に入らない形になることってあるだろう? それをここで気に入ったものと交換してる。もちろん『ただの鬼火』だけじゃないよ。別属性の霊力が混ざることで特殊能力がある稀少な鬼火が欲しいと思わないかい?」
「え……」
「特殊能力なら、物を焼き尽くすまで消えない『黒い炎』、瘴気や邪悪に絶大な効果と浄化能力を持つ『白い炎』とかどうだい。人気な鬼火の形なら『狼』や『獅子』、武器なら『薙刀』や『大鎌』の長柄武器が売れてるよ。さぁ、君は何が好きかな? 好きなの選んでごらんよ」
商品紹介に熱が入りはじめ、彼も好奇心に駆られて聞き入る。
「そうだな……だったら……」
一つの硝子へ手を伸ばそうとした刹那、視界の片隅に黒い人影が横切り、椿の精油の香りが鼻腔を掠め、柔らかな細い手が彼の手を押さえた。
「待った」
隣に立っていたのは、頭一つ低い小柄な少女だった。
赤茶色の着物に、黒い袴、顔には目元を覆う白い狐の半面。長い黒髪を三つ編みにして左肩から前に垂らしていて、身長差のおかげか、額から二本の白い角が生えているのが見て取れる。
少女は彼の手を引っ込めさせると、店主の男が彼女を見て仰天して文字通り体を跳び上がらせ、すぐさま細長い手で揉み手をしながら頭を下げた。
「こ、こりゃあ、那由他様じゃあないですか。今日は何用で……」
「ちょっと、何してんの? 彼がまだ生きてるのを知ってて騙そうとしたでしょ?」
那由他と呼ばれた少女の糾弾に、媚びを売り始めた店主の男がぴたりと動きを止める。
「え……」
生きてる、と言われて青年の方が驚いた。
そんな青年を余所に、那由他の話は続いていた。
「そもそもここは鬼人が通る道でもないでしょ。生者だと気付いたら現世に返してやる。死者でも本来の道へ案内をしてやる。『元締め』が取り決めた掟を忘れたわけ?」
「め、めめ、滅相も無い……気付かなかっただけで……」
「鬼人に商品見せてる時点で違法だっつってんの!」
「うぅ……」
巨体を縮めるように竦み上がると、那由他が姿勢を戻してフッと不敵に口の端を上げた。
「いいわ。今回は見逃してあげる」
「え……ほ、本当ですか?」
「ええ。こっちも急ぎなんでね。その代わり、一つ貸しにしとくから、私が頼んだことは何でも言うこと聞くこと。分かった?」
「は、はいぃぃ!」
完全に怯えて頭を台にこすりつけるように頭を下げる。
異形だろうに、こんなに恐怖するとは思いもよらず、少女を見つめる。
この那由他という少女は、この恐ろし気な異形よりも立場が上なのだろうか。
少女は鼻を鳴らしてから、掴んだままの彼の手を無理矢理引っ張って歩き出す。
その小さな手は彼や幼児とは違い、なぜか人肌の温かさがあった。
今まで、魂でいる時は温度など感じたことがなかったのに。
「あれ、君、温かいんだね」
思わず声に出してしまうと、彼女が苦笑する。
「そりゃあ、私は生身で来てますから」
「え」
魂が来る場所だと聞いた上に、魂の存在に触れていること自体にも驚いてしまう。いや、そう言われてしまうと、彼女は『視えている』ということでもあった。
しかもこんなに多くの異形がいるのに、誰にもぶつからずに、するすると進んでいく。
行き先は、彼らが来た草原ではなく、大きな門がある方角だと分かった。
屋台の店主によれば、あの門があの世へ逝くための場所だという話のはずだ。
それで青年は、この那由他と呼ばれていた少女こそあの世への水先案内人なのかもしれないと予想を立てると、辿り着いたのは、門の傍にあった立派な屋敷だった。
屋敷の周囲をぐるりと囲む塀は黒く、固く閉ざされた門は白抜きの『ムカデ』の装飾がされている。
「あの、ここって……?」
思わず青年が問いかけると、那由他は首を巡らせる。
「ここは〝大百足〟の屋敷です」
「え? 大百足って、あの帝都の守護者って言われてるツクモの?」
「そうです。帝都の山の一つを縄張りにされているそうですが、縄張りはそこだけでなく、この幽世の市場の『元締め』もされておられるんですよ」
那由他は説明してからその門の端にある戸を何度か叩いた。中から出て来たのは頭から細長い触角を生やした女性だ。黒い着物に赤い帯の女性は白い部分のない赤い瞳で三人を見下ろした。
「あら、那由他様ではありませんか。火鼠様がお越しになってお話はもう通っておりますよ? 生身で来られるのはお体に障りましょうに……」
「緊急事態だったもので。ちょっとお部屋を一つ貸してもらえませんか?」
「ええ、どうぞ」
女性に招き入れられ、屋敷へ入る。
中の庭は彼が住む城ほどではないが、手入れが行き届いていたが、奇妙なことに桜や梅、椿が咲き、紅葉が赤く色づいて季節感が全くない。
屋敷の中も掃除が行き届き、城と同じく柱の装飾や欄間にムカデがあしらわれている。
廊下を進んでとある一室へ通されると、他の女中らしき女性が入って来て那由他に話しかける。
「ご要望の物が準備に手間取っておられるとのことです。火鼠様が待機しておられますので、那由他様は一足先に戻っておけと。現世へ戻るための牛車をご用意いたします。しばしお待ちくださいませ」
「分かりました」
二人の女性が恭しく平伏してから退室する。
青年は用意された座布団に座り幼児はその隣で裾を掴んで座って成り行きを見守る事しかできない。
那由他は彼らの向かい側に座ると、庭の先にある獅子落としのカコン、という子気味良い音が聞こえてきた。
「さて。ちょっと話をしましょうか」
口火を切った那由他が二人を見る。
それで思わず青年が背筋を伸ばした。
明らかに年下のようなのだが、艶のある黒髪と白い狐の半面も相まって、まさしく『面妖』という雰囲気がぴったりだった。
「危ないところでしたよ」
「え? 危なかったの?」
「はい。さっきの店でも言いましたが、ここは鬼人の魂が通っていい場所ではありません。この場所はツクモ達異形が鬼人や同じ異形から奪った物を交換する場所。迷い込んだ魂から奪ったりもするんです。危うくとんでもない鬼火と交換させられるか、騙されて奪い取られるところでしたよ」
「え……能力とか体とか、欲しい物を自分の体から交換するって……」
「それこそ騙されてますよ。そんな簡単に願った体に変えられるわけないでしょう。交換しようものなら、対価が足りないとか言い出して、元の体……魂がズタズタに引き裂かれて売り物にされます」
「そ、そうなんだ」
青年が意気消沈して眉を下げる。
しかし、落ち込んでいるのは騙されかけたからではなく、彼女が敬語で話していたからだ。
彼の周りによくいる女性と言えば、教養の行き届いた女官たち。お淑やか華やかに着飾って、虫を見て悲鳴を上げるような、危険とは無縁の女性達。敬語で愛想よく上品に笑いかけてくれるが、腫れ物のように扱われているのが感じられて苦手だった。
だが目の前の子は全く違っていた。
先ほどの化け物を怯えさせた威圧感も、不敵に笑うさまも、颯爽と手を引いて人混みを抜けていく様子も、なんとも頼もしく新鮮だった。
だから、店主の時のように少し乱暴だが、気兼ねなく、同じように話してくれるのではと心のどこかで期待していたところもある。
すると彼の思いも露知らず、彼女が丁寧に頭を下げる。
「私は符術師をしておりまして、貴方様を助けるよう依頼を受けて来ました。この狭間の世界では名前を知られるのは危険でございますので、私の事は今は『那由他』とお呼びください。色々な偽名を使っておりますが……現世に戻った時に現世で使っている名を申し上げます。どうかご容赦を」
「符術師……」
聞いたことはあった。
確かに国民を守るためにツクモや眷属と戦う宿命にある武家にとっては名前を知られることは命に係わると口酸っぱく言われていた。
そのため、姓と名前の間に、親に付けて貰った『字』をつけ、隠す決まりがある。例え姓と名を知られても、隠した字で呪いを防ぐことができるという仕組みだ。教えるのは、真に忠誠を誓った者や、信頼した者だけ。
どうやらこの世界ではその『名』が一等大事なようだ。
那由他は彼を見据える。
「符術師やツクモ達にとって、名前は最も簡単に操ることができる『呪詛』のようなもの。知られれば良いように操られるし、物々交換の対価にもなってしまいます。だからこちらでは名前も名乗らぬように気を付けてください」
「そ、そうなの……?」
「はい。強い存在が多い場所ですからとても危険です」
「そっか……じゃあ、偽名を考えた方がいいかな」
「私が呼ぶだけですので気にしなくてもよろしいですが……付けたいのでしたら、どうぞ」
「うーん」
しばし考えていた青年は、ここへ来るまでの事を思い出した。
美しい月と、彼が見たことがなかった草原。一般人ならなんとも思わないだろうが、美しいと思っていた。
「じゃあ、〝月草〟にしようかな」
「分かりました、月草様」
那由他が頷くと、月草はさっそく一番気になっていた質問をする。
「さっきの話……本当に僕、生きてるの?」
「はい。今、貴方様は生霊という状態で、体は眠り続けて、城では騒動になってますよ。あちらでは二日経っております」
「二日!? ここに来るまでだいたい一刻(約二時間)ぐらいだと……」
「現世とこちらは時間の流れが違うのです。私は四半刻(約三十分)ぐらいの感覚ですが、現世では半日経ってるはずです」
驚愕の事実に彼が仰天すると、那由他は首を傾げた。
「私視点になりますが、詳しくお聞きになりますか?」
「あ、う、うん。お願いします……」
月草が頷くと、那由他が少し上へ視線を向け、思い出しながら話し始めた。
第二幕、二話目でございます。
一話目で書いてませんが、実は怖くないホラーなんですよねぇ……怖い話って難しい。
ちょっと修正しました。投稿予約してたら最終チェックで読み返してなかったです……。




