第二幕 ノツゴ 【一】
病弱で幽体離脱までしてしまう青年がいた。
彼は庭にいるクマほどもある巨大な赤子がいることにいつも不思議に思っていたのだが、ある晩に幼い子供に変化した赤子に連れられ、異形の市場へと連れ出された。
一方、世羅は帝都の城へ到着してみると、『二日間目が覚めない者がいる』と分かり、さっそく怪異解決に乗り出すこととなる。
【一】
――体が軽い。
そう思った途端に、意識が覚醒する。
瞼をゆっくりと開けると、青白い顔をした青年が布団で眠っているのが見えた。
向かい合う形で、自分が天上付近に浮かんでいるのだとすぐに分かった。
同時に、死を覚悟する。……しかし、よく見ると、布団の自分は緩やかだが胸が上下しているのが見て取れた。
生きてる。
ホッと胸を撫でおろすが、重く苦しい体からの解放感もあり、複雑な心境を覚えた。
どうやらコレは『幽体離脱』というらしい。
さり気なく知り合いの符術師に聞いてみると、魂が何かしらの理由で体から一時抜け出す現象だという。
自分の場合は、確実に死にかけているからだ。
「――……このまま」
思わず吐露しそうになった続きに、慌てて口を噤む。
死んでしまいたい、なんて絶対思ってはいけない。
ずっと看病してくれていた家族や家臣、一番忙しいのに一日一度は見舞いを欠かさない祖父。同じく忙しいのに実兄も何かとお土産を持って来ては外の話をしてくれた。一緒によく来てくれる兄の友人達と、兄のじゃれ合いを見て和ませてくれていた。
たくさんの幸せをくれて、励まし続けてくれている周囲の大事な人達に対して、自分が諦めるなんて申し訳が立たないではないか。
誰よりも心配され、恵まれた環境にいるのだ。
ここは帝国の中心。帝都コンゴウ領であり、皇帝が住まう城。
彼はその中の住居として使われている本丸御殿の一室に寝かされていた。
彼の部屋は六畳一間で、必要最低限の調度品しかないが、見る者が見ればそのどれもが材料から装飾までこだわり抜いた高級品だと分かる。
今は薄暗くて見えないが、寝具から向かって右側は壁で、そこに一族が着用する鮮やかな緑が目を引く、飛び立つ鶴が描かれた着物が衣桁に掛けられていた。
正面と左側は襖で仕切られている。彼から見たら足先である正面は女中がいつでも看病できるように待機場所となっていて、左側は庭に面した廊下だ。
障子の上の欄間にはムカデの意匠が彫り込まれていた。
これはかつて帝国の前身である『コクヨウ王国』を初代皇帝が国家転覆した折に、一体のツクモに力を借りたという。
そのツクモの名は〝大百足〟。
山を何巻きにもする巨大なムカデのツクモであり、反乱時には何万もの王国軍を文字通りに薙ぎ払って皇帝達の道を切り開いた。
王族が打倒された後は、大百足はそのまま帝都を縄張りとした。
正確には帝都の北東側の山が棲み処で、禁足地として有名だ。
初代皇帝も大百足を敬い、神器法を作った時に最初の『ツクモ保護法』の対象にし、助力の感謝の印として山の麓に神社を建立した。武神と共に祀られた大百足は、武人もムカデが前にしか進まないことから勇敢さに例えて信仰されている。
だから帝国ではムカデは吉兆の象徴で、高級な装飾品ほどムカデが使われていた。
ムカデの装飾を見て、助けてくれと願ったことなど数えきれない。
青年は疲労の色濃い顔で ちらりと布団で眠る自身の姿を見る。
母譲りの白い角に深緑の長髪は布団に広がっていて、父譲りの緋色の瞳は眠っているため今は固く閉じている。頬はこけ、首筋を見てもやせ細って骨が浮いて見えていた。
十五歳で声変わりして、ようやく鬼人特有の成長速度に入ったが、病で痩せこけている所為で、まだ外見はほぼ変わらず、むしろもっと年若く見られがちだ。
生まれて三十年ほどだが、十歳を過ぎた辺りから症状が出始めた。
腹痛や下痢、発熱は当たり前。痙攣や嘔吐もあり、冷や汗で着物を濡らし、全身から力が抜けていく感覚が襲い、死を覚悟したことなど数えきれない。最近では体のところどころには黒い痣が増えていて、爪も変色している。
それでもなんとか生きながらえているのは、自分の家が帝国一裕福で、最先端の医療技術をいつでも受けられているからだ。
彼は情けない自分の姿に目を逸らし、半透明の両手を見つめた。
こんな状態はこれで何度目だろうか。
幽体離脱してしまうほど弱っているのに、なおも生にしがみ付いている。
ふぅ、とため息を吐き、彼は慣れた様子で空中を移動して、閉められた襖をすり抜けた。
外は白く冷たい半月が夜空を静かに照らし、星が瞬いている。
彼はこの状態になってから、色々と試した。
まず襖をすり抜けられるように、何も触ることはできない。
熱い、冷たいという感触もない。
人に話しかけても聞こえないし、この姿は見えない。
本体からは三部屋ほどしか離れられず、それ以上は見えない壁に阻まれているように移動できなくなる。
そして朝になると気付けば体に戻っている。
その時はまるで夢を見ていたような感覚だ。本当に夢を見ているだけなのかと当初は思っていたが、誰が何を話していたかもはっきりと言い当てられる。
病気で臥せって外の様子が分からなかった所為か、少しだろうと動けるようになって好奇心から無茶をしていると彼は気付いていない。
そんな彼が、幽体離脱している時に最近している事があった。
「あ、いた」
襖の先は廊下であり、さらにその先は庭になっている。彼が臥せってもなるべく外の眺めが見れるようにとの配慮からの間取りだった。
広々とした庭へ降りるための階段が傍にあり、部屋からは見えない左奥に桜の木がある。その下に小さくて真新しい祠があった。
その傍に、赤子が座っている。
と言っても、異形だった。
熊と変わらないほど大きいのだ。生まれたばかりのでっぷりとした赤子らしい体格で、服は着ていない。しかも夜中の月明かりで薄暗い中、赤子の体は淡い光を発していた。
赤子は両足を前に投げ出した状態で座ってじっと祠を見ている。
アレも人には見えないらしかった。
偶然、昼間に人に支えられて廊下に出た時、アレの姿は見えなかった。どうやら今の魂だけの状態でだけ見る事が出来るらしい。
世話役の女中に聞いたが、あの祠は二週間ほど前に作られたという。
名前や素性は一切教えてくれなかったが、どうも祠が作られる一週間前……つまり一か月ほど前にこの城で騒動が起き、流産した者がいたらしい。しかも薄情なことに母親は死んだ赤子を置いて城を出てしまったらしく、赤子を憐れんだ皇帝の命令で供養として庭に祠を設置したという話だった。
なぜ遺影だけでなく、外に祠を作ったのかというと、生まれられなかった赤子に外の世界を少しでも見せたかったからなのだそうだ。
予想でしかないが、アレが祠の赤子なのだろう。
ただ、彼の知識では、アレがなぜ大きいのか、なぜ動かないのか分からない。
祠の上では桜が咲き始めていて、わずかに散った花弁が赤子をすり抜けて舞い落ちていた。
彼は魂が抜けると、アレの様子を見るようになっていた。とはいっても、遠目に見るだけだし、話しかけたこともないのだが。
(可哀想に……)
生まれてこれなかった赤子。病弱だが生まれて来れた自分。一体何が違ったのか。
その時だ。
赤子が、首を巡らせて彼を見た。
「え……」
動いたところを見たことがなかったため、予想外の動きに彼も驚く。
赤子らしいふっくらした顔立ちで、じっと彼を見ていたかと思うと、地面に両手をついてのそのそと四つん這いで近づいて来た。
いつもと違う。
普通ならその巨体と異様さに恐怖を感じるところだろう。
しかし彼に恐怖心はなく、その場に佇んでいた。
すぐ傍まで来た赤子が片手を差し出す。まるでおいで、とでも言うようだった。
「なんだい?」
自分でも驚くほど穏やかな声が出て、そっと手を重ねると、目の前の赤子が姿を変えた。
歳は三歳ほどだろうか。
桃色の短い髪に、愛らしい緑の瞳。服装は白い着流しで、帯も白。まるで、死んだ者が着る死に装束のようだった。
色白な肌をした幼児は屈託なく笑うと、自然な力で彼の手を引っ張った。
されるがままに歩を進めると、手を引いて幼児がいずこかへ進みだす。
庭へ出て、塀の壁をすり抜け、水堀の上を浮遊して、どんどん城から遠ざかる。
「どこへ行くんだい?」
訊ねてみても何も答えてくれない。
城から出たこともなかったため、周囲を見渡すが、いかんせん灯りすらなく暗く、寝静まっている。
人がいないとこんなにも物寂しいものなのか、と心のどこかで思っている間に、なんどか道を折れると、不意に道ですらなくなった。
土を固めて舗装された場所はどこかの草原になり、木製の建物も無くなっている。
どういう原理なのかも分からないが、それを不思議に思うことすらない。
膝ほどの長さの草原をひたすら真っ直ぐ、引っ張られるまま進んでいると、太鼓の音が聞こえて来た。
どれだけ経ったか分からないが、しばし涙にくれていた彼の耳に、微かな音が届いた。賑やかな太鼓や笛の音だ。
「……?」
幼児の進む先……草原の奥に青白い光が灯っている。
「なんだろう……」
やっと怪訝に思うが、恐れも不安もなく、彼の小さな手に引かれ、まるで虫のように音と光に誘われるように歩いていく。
そこで気付いたが、いつも一定の距離で体に戻っているのに、随分と遠くへ来ていた。
もしかしたらこの幼児の力なのかもしれない。
「あれ、そういえば……」
そして彼は自身の服装も違うことにやっと気付く。
いつの間にか草履も履いていて、着物も白い寝間着ではなく、部屋に飾ってある鮮やかな緑に翼を広げた鶴が描かれた着物だった。
母方の一族が代々受け継いでいる染料と模様を、次代の当主として特別に仕立てて貰った大事な着物だ。
いつから着ていたのだろう。
「……うーん……」
考え込みながらも草を足で払いながら進むと、光の正体はすぐに分かった。
草むらにぽっかりと唐突に現れたのは、屋台が軒を連ねる大通りだった。彼が見ていたのは屋台同士の屋根部分に紐が通され、そこに無数に取りつけてある青い提灯の光だった。
幼児が草むらが途切れる寸前で立ち止まった。
屋台の間には多くの『人』が行きかい、にぎやかな喧騒と、どこからともなく香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
「わ……これ、市場……かな?」
病弱な所為で、一度も市場や祭などを見たことがない。話を聞き、本で読んで想像を膨らませるだけだった。
だが、普通とはかけ離れた場所だった。
屋台はおかしなものばかりが置かれている。色とりどりの石が置かれているかと思えば、人の足や腕がぶら下がっていたり、見た事のない虫や軟体生物の瓶詰が置かれていたりする。
そしてその屋台の間の、土を固めただけの道には無数の人が行きかっているが、その誰もが『人』ではなかった。
それは鬼人よりも遥かに大きく瞳が一つだったり、人の背丈ほどの蛙が着物を着て二足歩行で歩いていたり、足が一本だけの狼だったり、背中に虫や鳥の羽根が生えていたりする。
見上げると、薄っすらと空に靄がかかっていて月も霞んでいた。その奥に、屋台より遥かに大きな建物が並んでいるのが微かに見え、さらに奥には見た事も無いような大きな門が聳えていた。
化け物達の市場。
直感的に理解したが、なぜだか恐ろしさは湧かなかった。
絶対に鬼人の市場とはわけが違うと頭では分かっているのに、楽し気な市場に入ってみたい思いの方が強かったのだ。
幼児が振り返って彼を見上げ、笑いかける。
――遊ぼう。
口も動いていない、声も聞こえなかったが、その表情でそう言っていると分かる。
「いいよ。遊ぼう」
頷いた青年は今度は幼児の隣に立って、しっかり小さな手を握り直し、屋台の並ぶ道へ足を踏み出し、彼を見下ろして微笑みかけた。
「何して遊ぼうか?」
お待たせしました。第二幕、開幕です。




