第一幕 瓶長 【二】
春先。
桜の蕾が膨らみ始めるころ、主人公・世羅は週に一度の城への出仕へ向かっていた。
そこで怪異の仕事を受けることになる。
聞けば、他の領地から怪異対応の応援要請があったという。
珍しく領地を離れ、同じ寺で育って既に独り立ちをしている兄貴分であり、『怪異監視官』という職に就いている符術師・狩弥と共に向かうと、そこは水の怪異が起きていた……。
【二】
明け方、まだ空に星が瞬いているが、薄っすらと白んできた頃。
――怪異相談所『不可思議』。
そう達筆に書かれた看板を軒先に掛けた店があった。
店と言っても、看板だけで、小さな古い家だ。
家主の名は檜皮世羅という。
道を挟んだ向かい側には寺があり、そこが彼女の育った場所だ。
まだ十四歳の子供のため、一人暮らしの練習がてらに、ずっと空き家だった向かい側に店を開いて住んでいて、食事や手伝いで寺と往復する暮らしを送っている。
そんな家主が就寝しているため、家の中は静まり返っていた。
だが太陽が山から顔を出した途端に、廊下の何の無い空間から少年がにじみ出て来た。
歳は十歳かそこらに見える。
服は灰色の水干で、細かい紐などは鮮やかな赤。
瞳はくりっとして大きく黒檀のように黒い。雪を被ったような長い白髪を首筋できつく結んでいて、その髪の間から覗く耳は濃い灰色の毛に覆われた丸くて小さな獣耳。そして尻からは鼠特有の細長い尻尾が揺れていた。
彼の名は〝火鼠〟。
炎の中に住み、火を身に纏い、火を吐く化け物。火の力以外にも鼠の王として『暴食』の力を持つ。食物はもちろんのこと、あらゆるモノ……紙でも服でも岩でも人でも、そして呪いであろうとも食べ尽くし、消化してしまう。この力を眷属・鉄鼠の『無限増殖』と併用して使い、かつては作物を食い荒らして大飢饉を引き起こしたこともある。
そして、神器【火鼠の皮衣】を核としているツクモであり、今は世羅が所有者となっている。
本来は神器の状態では肉体であるツクモは出てこないのが一般常識だが、実は神器を維持したまま姿を現す条件があった。
それは持ち主が神器を使いこなし、ツクモ自身も『神器の真の主』と認めた時。
本当の神器の使い手は、神器を使いこなすのではなく、『ツクモを服従させること』こそ、真の神器使いと言えるのだ。
そもそも神器とツクモは一心同体だが、別々に能力があり、神器に変化するとツクモの有する能力は使えない。
だからまず初めに神器の能力を理解し、能力を使いこなす鍛錬をする。その過程で神器になっても意思を残すツクモに「使いこなした」と認めさせなければならない。
『神器の真の主』と認められれば、ツクモの能力のみならず、ツクモが創り出した眷属の貸与や助言など、とても従順に付き従う。
この事を知るのは神器使い本人や、国の政府機関、神器を特殊な術で人から人へ受け継がせている武家やその親族などの限られた一部の者だけだ。
世羅もまた、その域に達しており、火鼠が忠誠を誓った主従関係にある。
もっと正確に言うと、神器の能力が基本的に弱すぎるため、神器を得た時点で火鼠は顕現していた。しかも火鼠の方は『主従』ではなく『保護者』気分でいて、甲斐甲斐しく世話を焼いているのだ。
他の神器使いが彼を見て、この関係を知ったら、度肝を抜くことだろう。
当然ながら、火鼠顕現に関して、知っているのは片手で数える程しかいない。
彼は慣れた様子で縁側へ周り、小さな庭に続く戸を開け放って、まだ冷たい夜気を家の中に入れる。
庭には、左側に小さな井戸。その逆側の片隅に以前の家主が植えたらしい椿があるが、既に見頃は終えて、ほとんどの花が落ちて地面をまばらに赤くしていた。他にも季節の草花や薬草を植えているため、その季節になれば芽を出し始めることだろう。
「よし」
新鮮な空気が入れ替えられ始めたことを確認し、火鼠は主人の自室へと向かう。
「起きろ! 朝だぞー!」
すぱーん!
障子を勢いよく開け、声を張り上げた。
「うぇ!?」
急な大声に部屋の主が跳び起きた。
部屋の中は酷い有様だった。
広さは五畳ほどだが、もっと狭く感じられる。向かって左側は押し入れがあり、奥には小さな箪笥と本棚。本棚には本と巻物が雑多に置かれていた。
小さな文机より少し上の壁に複雑な模様が施された、白と黒の二種類の狐の半面が掛けられている。
そして養父である住職の蔵書と自身で集めた書物や巻物、怪異で預かったよく分からない骨やら置物などが畳の上に散らばっていて、さらに何かの研究が記された紙やら、書きかけの長方形の紙――霊符も放置され、ほぼ畳が見えなくなっていた。
そのど真ん中に布団が敷かれ、その上に白い寝間着の世羅が寝ぼけ眼でのそのそと起き上がるが、そのまま座って動かない。
火鼠が枕元を一瞥すると、開きっぱなしの本が置かれている。どうやら寝ころんだまま読んでいて、途中で力尽きたらしい。
世羅は数秒ぼんやりし、それからやっと廊下にいる彼へ顔を向ける。その顔の左側……額から頬の途中まで、引き攣れた痛々しい火傷の痕がある。
だが火鼠に嫌悪感はない。そんなもの鬼人の文化であって、彼には何の関係もないのだ。
「なぁに、まだ早くなぁい?」
絶対に人には見せない間抜けな顔と寝ぼけた声で嫌そうにしている。
火鼠は溜め息を吐く。
「違うっつーの。今日は出仕の日だろうが」
「……そうだっけ……」
「そうだよ! 本当は毎日行かなきゃならないのに、ものすごーく優遇されて週に一回だけ出仕すればいいって許可までしてもらえてるんだぞ! それなのに遅刻するわけにはいかないだろ! 顔洗って支度しろ! 白露が食事の準備を済ませてるぞ!」
「……家臣、辞めたい」
「家臣になるために文字通りに血で血を洗う争いをして命を懸けて目指している人たちに謝れ、馬鹿たれ」
「あんな怪異大好きお殿様に仕えたい人の気が知れない」
「いや、あいつ限定じゃなくてだな、まともなお殿様っていっぱいいるんだぞ。……つーか、それ絶対本人の前で言うなよ」
若干他人に聞かれると危険な会話をしていると、目が覚めて来たのか、世羅がその場で立ち上がった。そして足場のない部屋へ向けて二本立てた指を真横に一閃した。
その瞬間、部屋に変化が起きた。何か部屋に術を掛けているのか、床の乱雑に散らかった紙や本、巻物が風も無いのに浮遊した。
それらが文机や本棚に綺麗に重ねられ、よく分からない物品も棚や壁際に鎮座する。
その浮遊と収納の合間に、世羅は障子へと歩き出した。布団が畳まれ、押し入れに収納され、全て整理整頓されたのは彼女が障子に辿り着いた時だった。
「ふぁ~……」
世羅は間抜けなあくびをしながら火鼠の横を通り抜けていく。
そして片手を軽く上げると、壁にかかっていた白い狐の半面がその動きに反応するように壁から離れ、一直線に彼女の手に収まった。
「……便利というか、ズルいというか……」
なんとも言えない顔で火鼠が呟き、小さな背中を追って歩き出す。
「お前なぁ、霊符を家中に張って掃除とかするのやめろよ。式神に炊事や洗濯もさせてるし。自分でやれって。じゃないと何もできない大人になっちまうぞ」
そもそも符術というのは鬼人にとっても特殊な術だ。
まず、使う墨から違う。
霊力の源である霊気を含んだ特殊な墨が作られているのだ。その墨に術者の血を混ぜて使う。血を混ぜるのは、その血の術者以外が使用できなくなる作用があり、さらに術を使う時に己の霊力がより馴染むためだ。他人に霊符を使われないための防衛策にもなり、使いやすくなるから一石二鳥なのだ。
そうやって作った墨で術式を書き記し、力を付与したものが霊符だ。これをより強い術にするため、力を持つ言霊を含ませた「詠唱」で術式を追加し、己の霊力を起爆剤として術を発動させる。この時、詠唱を放棄して霊力だけで発動させることも出来るが、詠唱抜きだと威力が出ないため、符術師は基礎を遵守している。
さらに符術には、攻撃、防御、祈祷、使役、呪詛の五つの系統からなる。
攻撃、防御の二系統に関しては、火・水・風・土などの各属性を組み合わせた術が無数に存在し、誰も正確な数は知らないとされ、系統にも属性にも、術者によって得手不得手がある。
世羅に関して言えば、得意な系統は『攻撃』、『防御』、『使役』の三つ。
そして操る属性は、鬼人が忌避する水を操る『水術』。
鬼人は火の霊力を宿し、火を操り、火と共に生きる種族だからこそ、対極である水を使うのは、卑怯者のすることと嫌うのだ。
しかも彼女は特殊な体質で、霊力がなく、火傷は弱者の象徴として迫害の対象であり、顔の火傷の所為で水術と同じく嫌悪されていた。
だが迫害されようと、彼女にとっては命に係わるため、水の術は必要だった。
そんな符術を、詠唱を破棄した簡単な術で日常生活ですら応用して使う世羅は、振り返りもせずに反論する。
「お父さんもやってんじゃん」
「アレの駄目な部分を真似するのはよせ。本当によせ」
火鼠が顔を顰める。
「お父さん」とは住職・白露のことだ。一般人が見ていないところでは、彼女は他の親子と同様に父と呼ぶ。しかし、人の目があれば他人行儀に「住職様」で通していた。
理由は単純に、恥ずかしいという子供らしいものだ。
世羅が半面を懐に入れると、服装が変化していく。一瞬だけ白い寝間着が帯のように解けたかと思うと、生き物のように彼女の体に纏わりつき、赤茶色の着物に、黒い袴を穿いたいつもの出で立ちへ変わっていた。
これは神器【火鼠の皮衣】の力の一つだ。
そもそも、神器は神が創ったとされるだけあって、性能も反則級のもので、本来の能力の他にも細かい力が備わっている。【火鼠の皮衣】の場合はそれが服の変化というわけだ。
触れた着物、または思い描いた衣服に好きに変化出来、大きさも変わるためどんな体形の者でも着続けられ、清潔さも保ち続ける。
火鼠がまだ幼さがある主の背を見上げる。
(俺っちの能力を使うのはいいが、着物の着付け方すら忘れるんじゃないか、こいつ)
これからは神器を羽織や帯の形にして、普通の着物を着せて練習させようか。
火鼠がそんな事を思案しているとも知らず、世羅は先ほど彼が開けた戸から庭へ出て井戸に向かう。
そこには、先ほど火鼠が見た時にはなかったタライが井戸の傍に置かれていて、水が入っていた。よくいると、井戸に設置されている桶が濡れていて、彼が起こしている間に水を誰かが汲んだことが分かる。
世羅は何食わぬ顔でタライの水で顔を洗うと、横からスッと手拭いが差し出された。
「ん……」
平然とそれを受け取った世羅が顔を拭くと、櫛と髪紐が差し出される。
「ん」
手拭いと交換するように貰った世羅は、その人物が持つ丸い鏡で髪を整え始めた。
無言で身支度を手伝っていたのは、異形の絶世の美女だった。
顔の造作は作り物めいて整い過ぎている。髪と瞳は闇を塗り固めたように黒く、腰に届くほどの髪は毛先で結んである。鼻から口に掛けて、黒く尖った鳥の嘴の「面貌」をつけている。
服装は修験僧のそれで、異様だったのはその背中に漆黒の大きな翼が畳まれていることだった。
彼女は世羅から「宵闇」の名を与えられた式神で、〝烏天狗〟という眷属だ。
必要に応じて鴉の姿にもなるが、今は世羅の世話をするために本性の人型の姿に戻っていた。
火鼠が見ていると後ろでは服から髪まで白く、狐の耳と尻尾を持つ青年が洗い物を持ち、洗い場へ持って行く。
彼は「白銀」と呼ばれている式神で、〝白狐〟という眷属だ。本来は白い狐の姿だ。
どちらもツクモが生み出した化け物だが、世羅が符術で従わせている。
一般人には世羅が最も得意なのは水術と思われているが、実は一番得意なのは使役だ。
使役した存在は『式神』と呼び、大きく分けて二種類いる。
一つは己の霊力と術を練り上げて作り出した存在と、もう一つは眷属をツクモの霊力から断ち切って、奪い取るもの。
見分け方は簡単で、前者は意思がなく、命令に従うだけで喋らない。後者は眷属のため、話すことが出来て己の意思で動き、特殊な能力も有しているのが特徴だ。
世羅の式神達はほぼ後者で、符術の師匠である白露によると、一体の眷属を従えるだけでも達人級なのだそうだ。
世羅は今のように身の回りの世話や護衛をさせている他、仕事の時も式神からツクモと眷属の知識を得て、問題を解決している。
彼女が幼くして膨大な知識を持っている真相はここにあるのだが、一般人からしてみれば、どちらにしても奇妙は事には変わりない。
おまけに式神がいるからと、危険な物も多い家なのに、戸締りすら疎かだ。
まぁ、盗みに入ろうものなら、死すら生温い目に遭うし、自業自得と思って火鼠はその辺の注意はしない。
命令されずとも世話を焼き始めた式神を一瞥し、火鼠は世羅に話しかける。
「それじゃあ、先に戻ってるぞ」
「はいはーい」
髪を梳き、いつもの三つ編みにしながら、暢気な声をあげる。さすがに顔を洗って目は覚めたらしい。
火鼠が玄関へ向かうと、世羅の指示する声がくぐもって聞こえた。
「それじゃあ帰り遅くなるから、留守番よろしくねー」
「「「「承知しました」」」」
どこからともなく……いや、家全体からなのか、老若男女の不気味な声が重なった。
玄関から外へ出た火鼠は我知らず肩から力が抜けるほど息を吐いた。
一人暮らしの練習。
そういう名目で住んでいるのに、全く意味がない。これじゃあ大きな一人部屋を貰った程度のものじゃないか。
「やれやれ……先が思いやられる……」
独り言を呟きながら火鼠は道を渡って寺に入るのだった。
お待たせしました。
まだ前書きの二行目にも行ってないという……(遠い目)
符術に関するお話でした。もしかしたら設定を変える可能性が高いですが、基本的にはコレでやっていこうと思います。
次回は「国の法律」と「組織」について。……これまた設定が細かすぎたのか、凄く文章が長い(遠い目)。




