第一幕 瓶長 【一】
※週一回のペースで投稿予定です(あくまで予定)。
春先。
桜の蕾が膨らみ始めるころ、主人公・世羅は週に一度の城への出仕へ向かっていた。
そこで怪異の仕事を受けることになる。
聞けば、他の領地から怪異対応の応援要請があったという。
珍しく領地を離れ、同じ寺で育って既に独り立ちをしている兄貴分であり、『怪異監視官』という職に就いている符術師・狩弥と共に向かうと、そこは水の怪異が起きていた……。
【一】
夜の帳が降り、白々とした月が暗闇を淡く照らし、全ての者が寝静まっている。
森に囲まれた小さな町も人通りは一切なく、木製ばかりの家屋にも当然ながら灯りは全くない。
そんな中、月明かりだけを頼りに歩いている者がいた。
一本角の四十代ほどに見える男性だ。この地の町人達よりも高価な布で作った着物と羽織を着用しており、胸には風呂敷に包んだ長方形の箱を大事そうに抱えていた。
この中にはこの周辺では有名で、とても大切な陶器――水瓶が入っていた。
本来なら、夜出歩く時は鬼火を灯して己の傍に浮遊させ、明るくさせるものだ。
しかし彼はそうはせず、視線を常にさ迷わせ、足音も殺して怯えたように、そろそろと進んでいた。
その夜の静寂の中に、進む先から次第に臭気が漂ってくる。
生臭く、何かが腐った臭いだった。
――早くしなければ。
一本角の男は焦りで冷や汗をかきながら、それでも周りに気付かれぬように進んでいた。
「……おいっ」
刹那、後ろからの声を潜ませてはいるが、怒気を含んだ男の声に、緊張していた一本角の男が文字通り跳び上がる。
「ひゃっ……」
慌てて振り返ると、予想通りの男が目を吊り上げて近づいて来た。
薄暗いが、三十代ほどに見える男で頭には三本角。身なりは箱を抱える男より悪い。着流しの着物で、腰には刀を差していた。無精ひげもあり、見すぼらしさが増している。
彼は箱を抱えた一本角の男と手を組んでいる浪人だった。
一本角の男とは違い、足音も立てていて、明らかに殺気立っていた。
「どういうつもりだ!?」
「し、静かに……!」
「ぬ……。裏切るつもりか、ここまでやっておいて」
指摘を受けて若干声を抑えた浪人に、一本角の男――隣町の庄屋が怯えたように答える。
「し、しょうがないじゃないですかっ。計画通りにツクモは出てこないし、暴れもしない。それどころか、私達が起こした怪異騒ぎが、鬼人の仕業だってバレてるんですよ。周りは大騒ぎだし、こ、このままだと来年の作物に問題が出ます。これじゃ『保護』の解除もされるか怪しいじゃないですか」
「もう少し待てば必ずツクモが現れて暴れ出すっ。だから我慢しろっ」
「朝方には監視官が来るんですっ。暴れるツクモにこの怪異を擦り付けるつもりだったのに、このままじゃすぐに見つかります。その前に返さないと……」
「隠し通せば『保護』が解除されるんだっ。あと少しなんだぞ! そうすればツクモを討伐できる! どうして分からん!」
「あ、ちょっと……!」
浪人が箱を強引に奪い取ろうと風呂敷を掴み、庄屋は必死に風呂敷を離すまいと布を握りしめ、引っ張り合いになった。
もみ合いになっていると、声を荒げたのが悪かったのか、ちょうど二人の傍に家に灯りが付き、引き戸が開けられて眠そうな住民が顔を出した。
「なんだぁ? こんな夜中に……」
当然のように鬼火を浮かせて辺りを照らしたため、もみ合う二人が露わになる。
突然の住民に驚いた二人が硬直した刹那、同時に腕の力が緩んだのか、滑ったのか、風呂敷の箱が彼らの足元に落ちた。
ガシャァン!
陶器の割れる、甲高い音が木霊した。
その途端、ぶわりと冷たい風が二人の間を吹き抜けていった。
住民は突然の事に目を点にし、二人は顔面蒼白になる。
当然だろう。彼らはこの水瓶から水が溢れだしていたのも、一瞬で空になったのも、周りの水が消滅したのも目にしているのだ。割れたらどうなるか……。
「あ、ああ……」
庄屋がその場に尻餅を突くと、冷や汗を浮かばせ、額から顎を伝って汗が滴り落ちた。
ぽた……。
ぽたぽたぽた。
「え?」
滴る汗が音を立てて、斑に服を濡らした事に気付き、庄屋が声を上げた。冷や汗が止まらないどころか、眼や鼻、口からも水が溢れ、全身の穴という穴から水が噴き出し、着物をずぶ濡れにし、服から顎から髪から、溢れた水が流れ落ち始めた。
「う、うわぁ!?」
自分の体に起きた事に驚き、両手を思わず見ると、みるみるうちに皺が出来、干からびて、皮と骨だけになって萎んでいく。
「ひ、ひ……ぶぅ……!」
声にならない声が、口から勝手に吐き出される水に遮られる。
それだけでなく、腕や顔や足……体全体が水が溢れるのとは逆に萎んでいく。
まるで、水が抜けきった枯れ枝の様相を呈していた。
庄屋は必死に眼前の浪人を見上げる。
鬼火の炎に照らされた彼の顔も愕然としていて恐怖に彩られていた。
「げぶ……だ、だふげぶぇ……」
庄屋が溺れかけの者が上げるような声で助けを求める。
這いつくばるようにして浪人へ手を伸ばすと、もう片手がばしゃり、と地面のぬかるみに沈んだ。地面にはあっという間に自分から出た水で水がまりが出来上がっていたのだ。
「ひ、ひぃぃぃ!」
恐怖に耐えかねた浪人が背を向けて逃げようとした。
一歩、二歩……三歩目でがくりと膝を突き、浪人自身も驚く。同時に血の気と一緒に、体温が下がって行くのを感じた。
寒い。
まるで極寒の水の中に長時間いたかのように、全身が重く、体の震えが止まらなくなり、肩を抱いてその場に蹲る。
「う、ううぅぅぅぅ」
がちがちと歯が噛み合わないでいると、背後ではパシャリ、とまるで力のない水飛沫の音がした。
肩越しに見てみれば、庄屋が自分の作った水たまりに倒れていた。その間にも水たまりはなおも広がり続けて。
「た、大変だ! おい! 役人様を呼んで来い! 早く!」
目撃していた住民がやっと家の奥に居るらしき家族に声をかけ、隣家へも駆けていく。
程なくして、近隣住民も騒ぎで起き出し、呼び出された役人は、この奇怪な現象に途方に暮れることになるのだった。
ちょっと短かったですね。
序章と思ってください。これからどうなるかお楽しみに。
※庄屋と浪人が言い合ってるところをちょっと修正しました。




