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天狐の嫁取り〜千四百年待った伴侶は、虐げられ侍女でした〜  作者: じょーもん


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第九話 天狐の従者と、夢喰みの侍女

「ねーねー、あーかーねー、そんなことしてないで、僕ともっと一緒に遊んでよぉ……」


 天狐たち一行が滞在し始めて早数日。

 朝餉の後、台所の裏手の水場、

 夢喰みの膳を洗っていた茜の周りを、真広はうろうろと歩き回りながら駄々をこねる。


 茜は椀を洗う手を止めずにため息交じりで答える。


「ダメです。見てわかりませんか?

 私、今、仕事の真っ最中なんです。」


 茜の前ではまるで少年か、ともすれば子犬のような真広に、

 最初こそ、天狐の従者だとかしこまっていた茜も、いつしか気安く接するようになっていた。


 真広はその変化を気に入っているようで、とがめるどころかますます茜にまとわりついた。


「仕事って、他人の茶碗を洗うのが君の仕事だって?

 そんなの他の人に任せちゃってさぁ――」


「真広さま、これは私の大事なお役目。侮辱しないでくださいませ。

 この椀に触れることを許されるのは、夢喰みさまがお認めくださった者だけなのです。」


「……茜がしたくてしてるなら仕方ない……かぁ?」


 きっぱりと言った茜に、真広はそれでも納得いかないと首をひねる。


「――従者様は、茜がお気に召したんですねぇ。」


 茜の隣で、言の葉の膳を洗っていた小萩が、笑いをこらえながら真広と茜を見比べた。


「うん、僕は茜が大好きだよ。

 ねぇ、どうしたら僕は茜と遊びに行けるか、何かおまえに知恵がないかい?」


 真広は小萩に振り向いてたずねる。

 茜と行動を共にすることが多かった小萩も、真広とは顔見知りになっていた。


「そうですねぇ、夢喰みさまは、なんやかんやで茜を気に入っていますからね。

 旦那様あたりにお願いすれば、天狐さまの専属に回していただけるやもしれません。」


「ちょっと小萩! 変な入れ知恵しないでよ。

 私が夢喰みさまから外れたら、誰がお世話できるのよっ!」


 茜が慌てて声を荒げると、小萩はツンと胸をそらす。


「あんたはちょっと、夢喰みさまから離れてみたらいいのよ。」


「でも――っ」


「あんただけじゃない、夢喰みさまだって、茜から離れて、

 茜のありがたさに気が付けばいいと思うわ。」


「小萩っ!」


 思わず茜が手を止める。

 真広は嬉々として手を打った。


「旦那さまって、岳彦だよね?

 あいつに言えば、茜を僕のところによこしてくれるんだね?

 よーし、すぐに行ってくる!!」


「真広さまっ!」


 茜が止める声もむなしく、真広は一目散に屋敷の方へと駆けてゆく。

 その背を見送ってから、小萩も洗い物の手を止めて、茜の顔を真面目に見つめる。


「あのさ、私、あんたの夢喰みさまに対する忠誠心は尊敬している。

 でもね、時々、あんたが心配になるの。」


「……心配?」


 茜も小萩の顔を見返した。

 小萩は洗っていた椀をザルに置いて、前掛けで手を拭きながら続ける。


「うん。あんたは一途過ぎて、いつだって自分は二の次三の次――。

 もっと自分の事、大切にしていいはずなのにって、いつも思っていたんだよね……。

 あんたの幸せは、どこにあるのかなーって。」


「私の幸せは、夢喰みさまの――」


「怒らないで聞いてね?

 あなたはよく言えば一途、悪く言えば盲目的。

 六年間、ほとんど毎日、夢喰みさまにべったりで――

 そんな侍女、四姫さまの侍女の中でも、他にいない。だからね……。」


 小萩はザルをもって立ち上がりながらぽつりと言い残す。


「一度距離を置いてみるのも、悪くないって思うのよ。」


「でも、旦那様が真広さまの言うことなんて聞くかどうか――」


「聞かせる、と思うわ。

 従者様、本気だもの。」


 小萩はそのまま屋敷の中へと戻って行ってしまった。


 ――夢喰みさまの御世話から外れる……?

 他の御方のお世話をする?


 茜は呆然と手元の椀に目を落した。

 水場に残っているのは茜一人。

 波立った水面の下で、螺鈿がギラリと照り返した。



 +++++



「――お父様からのご指示よ。

 天狐さまご一行がお帰りなさるまで、おまえは天狐さま付きと。」


 夕餉の片づけが終わって、夢喰みの自室に戻るなり、茜はぴしりと鼻先に指を突きつけられた。


「……まことにございますか? しかし、でも――」


「でも、ではない。部屋付きの侍女の申し出を天狐さまは最初は断っていたというのに、全く、どういう風の吹き回しなのやら……。」


 夢喰みは探るように茜の顔を覗き込んだが、すぐに何かを思いついたように、にやりと笑う。


「まあいいわ、これは好機よ。

 天狐さまのご様子を、逐一報告して、私のすばらしさを天狐さまによくお伝えして。」


「は……はい。でも、私など、天狐さまと言葉を交わすなど畏れ多い――」


 茜がたじろぐと、夢喰みはズイと一歩踏み出してくる。


『言われたことはやりなさい。

 もし、天狐さまに私が選ばれなかったら、全部お前のせいなんだから、その時はタダじゃすまないよ。』


 夢喰みの声に、神威が載った。

 有無を言わさぬ言葉の圧――言の葉の力である。


 茜は頭の芯がぼーっとして、断りがたい気持ちになる。


「――わかりました。御心のままに……」


「わかればいいわ。

 でも、天狐さまに色目を使ったら、その時は八つ裂きにしてやるんだから、肝に銘じておいてね。」


「承知しております。」


 茜は一礼すると、夢喰みの部屋を後にする。



 わき目もふらず、茜は天狐の座敷を目指した。

 薄暗い廊下を通り、目的の襖の前へとたどり着くと、膝をつく。


「――失礼いたします。」


 声をかければ、茜が開ける前に襖は開いた。


「茜! やっと来てくれたね!」


 中から飛び出してきたのは真広で、素早く茜の手を取り立ち上がらせる。

 その勢いのまま彼女の手を引いて、座敷の上座へといざなってゆく。


 部屋にいた天狐の従者たちはぎょっと見つめたまま、微動だにしない。


 真広が上座に腰を下ろすと、茜もその前の畳にすとんと座り込んだ。


「――あ……」


 唇が何か言葉を紡ごうと震えるが、何も出てこない。

 真広はスッと目を細めると笑顔を引っ込めた。


「……(しゅ)をすり抜けて、暗示が掛けられてる?」


 口の中で呟くと、予備動作なしで突然茜の目の前で手を打ち鳴らした。


 ――ぱんっ


「――っっ」


 その瞬間、茜の瞳に光が戻った。


「……私……」


 まじまじと真広の顔を見つめ返す。


「あー、よかった。いつもの茜だ。

 もう――、僕の茜になんてことするんだよ……」


 真広はほっと肩の力を抜くと、へなへなとその場に崩れる。


「――真広さま……私は一体……」


 茜はきょろきょろとあたりを見回し、“天狐”やその従者たちがみんな自分を見つめていることに気が付き身をすくめた。


「あー、何でもない。もう大丈夫だから。」


「……真広さま、本当に旦那様に直談判なさったのですか?

 私、夢喰みさまに、天狐さまの御世話をするように申し付けられたのですが――」


 そこまで言って茜はハッとする。


 “天狐”は真広の左側にいた。

 茜は慌てて“天狐”の方へと向き直ると、深々と畳へ額づいた。


「ご無礼を、申し訳ございません。

 わたくし、本日より皆様方のお世話を仰せ使いました茜と申します。」


 茜の礼を受けた空也は、困ったような焦ったような顔をして、真広へと視線で訴える。

 真広は小さく首を振ると、「おまえが天狐の振りをしろ」と顎でしゃくった。

 空也はため息を音もなくつくと、表情を取り繕った。


「茜どの――」


「茜、その“天狐”は関係ないから。

 茜を呼んだのは僕だよ。君は僕の相手をしてくれればいいんだ。」


 横から真広が口を挟めば、茜は困ったように顔を上げ、“天狐”と真広を見比べる。


「茜どの、あなたを呼んだのは、そこの真広さ――……ゴホンッ、私の従者である。

 なので、我々の世話は良いので、彼の相手をしてほしい。」


 空也も取り繕いながら尊大に言い、真広を指した。


「……真広さまのお相手ですか?」


「ああ、彼にはいろいろと村内の調査を命じてある。

 よって明日より、彼を案内してほしい。明日より、よろしく頼む。」


「はあ、わたくしでよろしければ――」


 不思議そうに首をかしげる茜を、真広はニコニコと見つめていた。

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