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天狐の嫁取り〜千四百年待った伴侶は、虐げられ侍女でした〜  作者: じょーもん


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第十話 極楽浄土の、その後で

「あーかーねー、一緒に寝ようよ? ね? いいだろう?」


 茜が敷いた布団の上で、真広はごろごろと転がりながら、駄々をこねた。

 しかし、動じる茜ではない。

 淡々と他の狐たちのために布団を次々と敷いてゆく。


「良くありません。女中が客室に泊まるなど――

 そういう接待は、私はしておりません。」


「えー、そういう接待、して良いんだよ?」


 真広がキラキラと視線を送ると、茜は布団を敷く手を止めて胡乱に目をすがめた。


「……真広さま、どういう意味かわかっておっしゃってますか?」


「えー、わかんないけど、茜がいてくれるならそれでいい。」


「……」


 茜は咳払いをして再び布団を敷き始める。

 布団は全部で五組。

 天狐とその従者のために急遽おろされた新品だった。


 そう、今日まで新品だったのだ。


「……女中を寄せ付けなかったとは聞いていましたが、まさか布団も敷かず寝ていたとは。

 ゆっくりお休みになれなかったのではありませんか?」


 茜は最後の掛け布団を広げ終わると、真広へと再び振り返る。


「そんな事ないよ。人型だったら確かに布団があるとよく眠れるけど、

 獣型だったら別に布団なんてあってもなくても関係ないからね。」


 真広はごろんと一回転すると、いつか見た狐の姿へと変化した。

 尾は四本のままだったが、柴犬ほどの大きさで、炎は纏っていなかった。


 ふとあたりを見回せば、空也や他の従者たちも、狐の姿へと変化していた。


 空也は真広より一回り大きい四本尾の白狐で、他の従者たちは真広より一回り小さく、一匹は一本尾、残る二匹は二本尾だった。


「――本当に皆さま、お狐さまなんですね……

 真広さまは、天狐さまと同じ四本の尾をお持ちなんですね?」


「ん――あ――……、まあ、長生きすると尾って、自然と増えてくんだよね。

 あ、でも、僕はこれ以上増えない予定。九尾の狐とか、僕はナンパものじゃないから。」


 真広は尾をパタパタとさせながら、茜のそばまで行くと彼女の周りをぐるぐる回りながら身体を擦り付ける。


「……長生きって、真広さまっておいくつなんですか?」


「二千歳は行ってないよ。」


「……二……千…………。」


 茜は真顔になって閉口すると、真広を目だけで追った。


「ねぇ、茜、一緒に寝ようよ――」


 真広は茜のすねに頬ずりしながら必死にねだる。

 茜はそのフワフワの毛並みに誘惑されつつも、何とか誘惑を振り払って襖の方まで後退した。


「ダメったらダメです。

 人間の世界では、そうやって気軽に寝所に誘う男性を“ナンパ者”って言うんですよっ!」


 半ば叫ぶように言い、自棄(やけ)を起こしたようにおざなりに頭を下げると、


「また明朝参りますっ! おやすみなさいませっ」


 と言い捨てて襖を閉めた。




 暗い廊下を速足で女中部屋へと向かいながら、茜の脳裏ではぐるぐると先ほどの真広が回り続けていた。


 ――無邪気な真広さまは、本当に純粋に、文字通り添い寝を望んでいたんだ。

 人間同士のいやらしい意味なんかじゃない……


 布団に転がって、つぶらな瞳でこちらを見つめる真広を思い出すと、

 なぜか、ぞくりと身が震え、頬が熱くなる。


 不快感ではない。

 ただ、無邪気に自分を慕う真広が、かわいく思えてきたのだ。

 許されるなら、膝に乗せて、抱きしめたい……


 ――でも、御年は二千歳に行っていない、と言っていた。

 人間と単位が違い過ぎる……


 あの座敷での姿は、柴犬ほどの大きさだったが、

 ふと、あの山道での炎を纏った、牛ほどの大きさの雄姿を思い出す。


 ――あの大きな狐の姿の真広さまと添い寝したら、ふわふわできっと気持ちいいだろうな。


 歩みを止めると、真広の背に乗せてもらった夜がよみがえった。


 ――背中の毛も柔らかかったけど、おなかはきっともっとモフモフで柔らかいに違いないわ。

 おなかを枕に、尻尾で包んでもらったら――きっとそこは極楽浄土……


 不敬だとわかっていても、想像が止められない。

 緩んだ口元から、よだれが垂れる。


 ――いけないいけない……


 茜はあわてて袖で口元をぬぐうと、再び女中部屋へと歩を進めようと一歩踏み出した。


 くんっ


 突然二の腕を掴まれて、たたらを踏む。


「――っ!」


 目を見開いて、身体をひねり、相手を振り仰ぐ。


 相手は、岳彦の長男、篤彦(あつひこ)だった。


 彼は感情の読めない冷たい表情で、茜を見下ろしている。

 二の腕を掴んだ指は、ますます力が入り、肌へと食い込んだ。


 浮ついていた気持ちが一気に凍り付く。


「……な、なんでございましょう……」


 主家の継嗣に失礼のない、最低限の笑みを浮かべて、手から抜け出そうと身じろいだが、ビクともしない。


「……お前が、狐に見初められたのはまことか?」


 篤彦は茜をグイっと手繰り寄せながら、彼女の目を見つめ、低い声ではっきりと尋ねる。

 ――その目が……その視線が、茜は昔から恐ろしかった。


「そ……そのようなことは、無いと思います……」


 思わず目をそらして答えると、篤彦はカッと目を見開いて茜を突き飛ばす。


「きゃっ」


 茜は短い悲鳴を上げ、大きな音を立てて床へと倒れ込んだ。

 追撃はそれで終わらない。

 束ねてある茜の髪を無造作につかむと、乱暴に顔を上げさせる。


「嘘をつくんじゃない。

 いつから貴様は、この俺を、謀るようになったのだ? なぁ?」


 ――東都に行って、すっかり忘れていたけれど……この人は、こういう人だったわ……


 髪を掴まれたまま頭を揺さぶられるうち、茜の心を諦念が蝕んでゆく。


「――本当に……本当なんです……やめ……て……」


 嵐が過ぎ去るのをただただ耐えていると、やがて篤彦はパッと手を放した。


 手を放された反動で、茜はしこたま頭を床に打ちつける。

 うめき声を漏らすと、篤彦は鼻を鳴らした。


「狐をたぶらかすとは、いい身体に育ったじゃないか。

 よし、ちょいと味見をしてやろう。明晩お前を寝所に呼ぶので、準備して来るように。」


 篤彦は懐に手を入れ、初めてニヤリと笑みを浮かべると、うずくまる茜を一瞥して、自室の方へと去って行った。



 茜はしばらくそこにうずくまったまま、動くことができなかった。


 やがてのろのろと立ち上がると、女中部屋の方へと歩いてゆく。


 先ほどまでの幸せな気持ちも、真広の笑顔も、すっかり霧散してしまっていた。




 +++++



 ――今までだって、嫌なことはいくらでもあったじゃない。

 今回だって、それが一つ増えるだけ。


 翌朝、いつもより早く目覚めた茜は、布団の中で腹を決めた。


 ――年頃になれば、男だろうが女だろうが、大抵の奉公人は慰み者になる。

 相手は旦那様だったり、番頭だったり、奥さまだったり――

 私の場合は若様になった……

 次期当主に目をかけられるのは幸運な方よ……もしかしたら妾になれるかもしれない。


 自分を言い聞かせて、いつも通りの笑顔を作った。


 苛烈な夢喰みで鍛えられた茜にとっては、朝飯前だった。


 朝一番であいさつに行った夢喰みにも、

 同室の小萩にも、気づかれなかった。


 読もうと思えば茜の内心を読める真広には、特に気を使った。


 そして一日の終わり――

 女中部屋に、女中頭が現れた。


 彼女の手には、折りたたまれた半紙と、粉薬が一包。

 茜に差し出されたそれを見て、小萩が顔色を変える。


「ちょ……、茜、それって――」


「若様がご指名です。すぐに準備して。

 こちらは子ができぬ薬です。あらかじめ飲んでゆきなさい。」


 女中頭は言うだけ言って、茜の手の中に押し付けると、早々に立ち去った。


「ねぇっ、茜、どういうことなの? 若様がお呼びって――

 従者様に見初められたんじゃなかったの?」


 小萩が茜の両肩を掴んで問いただすと、茜は諦めきった薄笑いを浮かべて答える。


「――昨夜、天狐さまの御座敷の帰りに、目を付けられちゃった……。」


「目を付けられちゃったって……、茜はそれでいいの?!」


「……良いとか良くないとか――、そういう問題じゃないのは、小萩も分かってるでしょ?

 ここで働いている以上、逃げられない。遅かれ早かれ、こうなるのよ。

 それが今日だった。それだけよ?」


 小萩は一瞬詰まって唇を噛むが、すぐにふるりと首を振って立て直す。


「従者様には言ったの? 天狐さまには?

 彼らの口添えがあれば――」


「――言えない。」


「なんでっ!?」


「巻き込みたくないし、篤彦さまだって、忌部家の大切なご継嗣さまなのよ?

 何かがあったら困るもの。私が我慢すれば済むの。」


 茜はそう言うと、女中頭の持ってきた薬を一気にあおり、卓にあった茶で流し込んだ。


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