第五話 悪夢と水ようかん
浜田にも護符を授け、早々に追い払うと、茜は隣室に置いてあった敷布団を抱えてくる。
もう一人の侍女が薬湯を煎じている間、夢喰みは浜田が持ってきた金平糖をガリガリとかみ砕きながらぼんやりしていた。
やがて準備が整うと、もう一人の侍女が小松子爵令嬢を呼びに行った。
御簾をくぐって入って来たのは、ばあやに付き添われた、洋装の令嬢だった。
顔色は青白く、目の下にはくっきりと隈が落ち、口元をハンケチで覆って、時折えづいている。
「夢喰みさま、お願いします。お嬢様を助けてくださいませ。」
布団の前に腰を下ろすなり、ばあやが額を床に擦り付ける。
令嬢も、前へつんのめるように倒れ込む形で、頭を下げた。
「悪夢にうなされるようになったのは半年ほど前――女学院へ行くようになってからでございます。
ここ一ヶ月はろくに眠ることもできず、食も細り、やつれるばかりでございました。
このままでは……そう遠くないうちに……うぅぅ……」
ばあやの声が涙で滲む。
しかし、夢喰みは眉をピクリとも動かさない。
「うむ、禍々しく、美味そうな悪夢じゃ。
安心せい、すぐに喰ろうてやる。」
言い放った夢喰みの瞳は、まるで得物を定めた猛獣のようで、妖しく底光りしている。
「こちらの薬湯をお飲みください。眠り薬にございます。」
侍女が先ほどまで煎じていた薬を、碗に注いで差し出すと、令嬢は恐る恐る手に取り、
やがて口を付け、一気にあおった。
「さあ、こちらへ横になって。はい、頭はこちらへどうぞ――」
茜も令嬢を介添えして、先ほど敷いた布団へと横たえる。
令嬢が目をつむったのと同時に、夢喰みは、聞き取れるか聞き取れないかの小さな声で、何やら呪文を唱え始めた。
『眠り、眠れ、彼の波間に、波の下に、帆を立て、櫛を納め――』
部屋の隅でじっと聞き耳を立てていた真広の目が、キュッと細められ、瞳孔が縦長に収縮した。
やがて、令嬢は深く息を吐き、規則正しくその胸が上下し始める。
茜は、令嬢が眠りに落ちたことを確かめ、もう一人の侍女とうなづき合って、脇にあった白布を令嬢の上に広げると、しっかりと端を二人がかりで押さえつける。
白布が令嬢の輪郭を形取った。
「――っ」
ばあやは思わず身を乗り出すが、茜は首を横に振って制す。
『さあ、悪夢よ。その姿を表せ。
喰らおうぞ、喰らおうぞ――』
夢喰みの声が、幾重にも重なって妙に響く。
彼女のまわりに、もやもやと影が集まってゆく。
「ぎぁあぁぁぁ――」
突然、白布の下で令嬢が暴れ始める。
茜と侍女は、振り切られないよう力いっぱい白布の端を押さえた。
令嬢からも影が煙のように立ちのぼり、やがてもだえ苦しむ女の形になった。
『思うた通り、醜いのぅ』
夢喰みがにんまりと笑い、糸を手繰るような仕草をする。
女の影は、顔を背け、のけぞり、必死に抵抗する。
が――
少しずつ、少しずつ……夢喰みの方へと手繰り寄せられてゆく。
そして――
夢喰みが、そして、彼女を包む影が、大きく口を開いた。
ばくん。
影が影を呑み込んで、闇が濃くなる。
白布の下で令嬢の身体が弓なりに強張り、長く長く悲鳴が響いた。
「妬み、嫉み、憎しみ――くっくっくっ……たまらないのぅ」
ふと気が付けば影は去り、夢喰みが上機嫌で舌なめずりしている。
茜と侍女はホッと一息ついて、白布を一気に取り払った。
「お嬢様っ!」
ばあやが令嬢へと駆け寄る。
令嬢は規則正しく寝息を立てながら、何事もなかったかのように眠り続けていた。
「控えの間までお運びいたします。」
茜はばあやに断り、侍女と二人で布団の頭の方と足の方を持ち、布団ごと令嬢を運び出していった。
「――お前……他の者の――“言の葉の力”を盗んだだろう?」
茜たちの足音が遠ざかったのを見計らって、部屋の隅から真広が声をあげた。
夢喰みは、ニタニタと上機嫌で笑いながら目だけ真広へと向ける。
「だから? 奪われる方が間抜けなのだし、私の方が、有効に使ってやっているんだからね。
余計なことを言わないでよね、言ったらお前の心も喰らってやる。」
「――なるほど……」
真広はにらみつけるように、夢喰みを見つめたまま呟いた。
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「小松さまは、もう少し休まれてから出立されるそうです。」
茜が戻ると、夢喰みは片膝を立てて、爪を噛んでいる。
けだるげにため息をつくと、茜の方をちらりとも見ないで、一言言った。
「三浦屋の水ようかん。」
「はい?」
茜が文箱を片付ける手を止め振り返ると、夢喰みは縮緬の小銭入れを懐から取り出し、茜へと投げつける。
硬貨や札がぎっしり詰まったそれは、茜の帯に当たって、鈍い音を立てて床へと落ちた。
「三浦屋の水ようかん。」
茜は瞬時に記憶を巡らせ、それが隣町の老舗の菓子屋だと思い当たる。
――そういえば、この前もご所望だったわね……
隣町までは二里強、しかも峠越えがある。
「お嬢様……今からですと、夕方になってしまいます。
明日でよろしければ、茂助があちらに用事がございますので――」
「……三浦屋の水ようかん。」
「……」
茜はそっと溜息をついて、落ちていた小銭入れを拾い上げる。
「……少し時季外れでございます。夕刻も近いですので、店先にないかもしれませんよ?」
「水ようかんがいいの。手に入るまで帰ってこなくていいわ。」
「……」
茜は千々の思いを呑み込んで、小銭入れを懐に収める。
「茜さん、私が行きましょうか?」
やかんやら、薬研やら、まとめ終わったもう一人の侍女が心配そうに声をかけてくる。
しかし、茜は首を横に振った。
「私が行くわ。あなたの足だと夜更けになるもの。
重くて申し訳ないけど、この文箱もお願いね。」
茜が部屋を出ると、真広もむくりと起き上がり、軽い足音を立てて彼女の後を追った。
「僕も付いてゆくよ。」
背後から声をかけられ、茜は立ち止まり振り返る。
「松の木峠を越えるんだろう?
最近あそこは、狼どもと大熊が縄張り争いをしていて複雑なんだ。」
肩をすくめた真広に、茜は首をかしげてたずねる。
「――天狐さまは? せめて一言お断りしないと、急に真広さまが居なくなると驚かれますよ?」
「うーん、それは大丈夫。
今日は一日村を見て回るって言ってあるから。」
「……それならようございますが……、町場の者はそのお姿を目にしたら、驚いて鉄砲を持ち出すやもしれません。」
茜が真広の耳と尻尾に視線をやると、真広はぶるりと身を震わせてその場で一回転する。
すると、狐のものだった耳も、豊かな尻尾も即座に消えて、すっかり人間の少年の姿になった。
「これならどう? 問題ないでしょ?」
「……そうですね。では急ぎましょう。」
――真広さまは、町場が見たいのだろうか……
茜は内心疑問に思いつつも、踵を返した。
太陽は天頂からやや傾いて、暑さは一段落したとはいえじりじりと背中を焼く。
白く照り返す玉砂利を踏みしめ、門をくぐり、茜は松の木峠の方角を仰いだ。
「おぶってこうか?」
真広が茜の少し先に出て、ニヤニヤと振り返る。
「……真広さま、背、私と同じくらいじゃないですか。
こう見えて健脚ですし……目方も重いです。」
「そうなのかい? 遠慮しなくていいんだけどなぁ」
真広は意に介さず答えると、道端に生えていた笹の葉を二枚むしり、両手で挟んで揉み始める。
すると、それは見る間にむくむくと膨れて、やがて新品の脚絆に変わった。
「でもさ、せめてこれ使って? 二里強も歩くんでしょ?」
差し出された脚絆を、恐る恐る受け取って広げてみる。
少し強くこすってみても、何の変哲もない、上等の綿地の脚絆だった。
「真広さま、すごい……ありがとうございます。」
「ふふん、僕はこういうのが得意だからね。茜が欲しいなら、何だって作ってあげる。
宝石だって、大判小判だって――」
「……でも、葉っぱでできているのでしょう?」
茜は脚絆を足に巻き付け、紐を結びながら笑う。
「まあ、そうなんだけどさぁ――、別にそれでよくない?」
「脚絆ならいいですけどね……お金は良くないです。
お店の人が困りますから。」
茜は立ち上がると、脚の具合を確かめてにこりと笑った。
「――僕が生きてる間は、葉っぱには戻らないんだけどなぁ……」
「? 何か言いました?」
真広のつぶやきは、茜の耳には届かなかった。
「何でもない。さあ、急ごうか。」
真広は茜の少し先を歩き始めた。




