第四話 夢喰みの布施宮
次の朝、茜が夢喰みの身支度を手伝っていると、部屋に岳彦がやって来た。
手には何通かの書状が握られている。
彼がこうしてやってくるときは、娘に仕事を持ってきたとき――。
「夢喰みや――」
岳彦の猫なで声に、夢喰みの目が、不機嫌に細められるが、
さすがの彼女も自分の父親に物は投げたりしない。
「……嫌です。」
頬を膨らませ、着物の裾をぎゅっと握って、そっぽを向く。
「だって、天狐さまがいらっしゃってるのに、お勤めに出るなど、嫌でございます。」
岳彦は、さて困ったと眉根を下げる。
彼は当主とはいえ、神通力を持つ娘たちに強く出ることができなかった。
「――まあまあ、話しだけでも聞いて――」
「聞いても聞かなくても、やらねばならぬことは変わらないのでしょう?」
「まあ、そうなのだが――……
ほら、こんな美しい珊瑚の髪飾りを持ってきてくださったのだよ?
これを付けたら、天狐さまもお喜びになるに違いないよ?」
岳彦は、依頼人が彼女のために持ってきた、真っ赤な珊瑚細工の髪飾りを懐から取り出し、
彼女の前でこれ見よがしに振って見せる。
横で黙って見ていた茜は、思わず目を見張った。
おそらく、あれ一本で、そこそこの屋敷が立つのではないか――
夢喰みに貢がれる数々の良品で、目が肥えている彼女にも、その品が今までのものとは一線を画す品だとわかった。
夢喰みの目元が欲にピクリと緩む。
「……それ、受け取って。」
夢喰みは、顎でしゃくって茜へ促す。
茜は腰をかがめて岳彦の前まで行くと、その髪飾りをうやうやしく受け取った。
「今日は早速それを付けて行くから、装いを変えて。
で――、こんな御大層なものを持ってきてくれるお大臣様は、一体どこのどなたなのかしら?」
夢喰みの口端が、クイッと持ち上がる。
――機嫌が直った……
茜は内心ほっとして、聞こえないようそっと溜息を吐いた。
用意してあった浅葱色の着物から、薄紅色のものへと取り換えている傍ら、
岳彦は持ってきた書状を一字一句読み上げる。
夢喰みは、字を読むことも書くこともできなかった。
しばらく目をつむって、茜のなすがまま帯を締められていると、やがてゆっくりと目を開ける。
「――浜田さまと、照厳院さまは護符で十分。
小松子爵令嬢は、“夢喰らい”が必要ね。すぐに薬湯を手配して。」
夢喰みの声に、もう一人控えていた侍女が目礼をして薬種方へと走ってゆく。
「しかしなぁ、その髪飾りを下さったのは、照厳院さまなのだよ……。
それを護符一枚で終わらせて、納得していただけるか――」
岳彦が冷や汗をかきながら言うと、夢喰みはフンと鼻を鳴らす。
「じゃあ、目の前で書いてあげる。それでいいでしょ。」
「あ、ああ……助かる。それならば、ご納得いただけるであろう。」
あからさまに胸をなでおろす岳彦にかまわず、夢喰みは机上の文箱を指さした。
「墨は、金、朱、藍を。紙は、青雲と花宵を。」
「承知いたしました。」
茜は主人の髪に、先ほどの髪飾りを指すと、素早く鏡を差し出した。
鏡の中に写った珊瑚の赤は恐ろしく紅く、夢喰みは満足げに笑った。
+++++
すっかり準備が整って、座敷を出たのは昼近くになっていた。
四姫は村内にそれぞれ“布施宮”と呼ばれる社殿を持っていて、外の客とはそこで会う。
夢喰みの宮は村落の西端にあり、忌部の屋敷からは一番遠く、周りに人家もない。
茜ともう一人の侍女は、うやうやしく荷物を捧げ持ち先頭を行く。
夢喰みの後ろからは、また別の侍女が長い柄の天蓋を差しかけて付き従った。
すれ違う村人みな、畑仕事の手を止めて、夢喰みに頭を垂れた。
道程の半分ほど行ったところで、茜はふと足を止めた。
横合いのあぜ道から、見覚えのある白い人影が、ひょこひょことこちらへ歩いてくる。
「あれ? 茜、どこ行くの?」
屈託ない笑顔で尋ねてきたのは、従者姿の真広だった。
場の空気が、一瞬で凍る。
茜の目が泳ぎ、無意識に夢喰みの方へと向いてしまう。
真広が、夢喰みを差し置いて、彼女の侍女である茜に声をかけたことは、この村の道理に反することだった。
だが、そんなもの、真広には関係ない。
「従者さま、今は夢喰みさまの大切なお勤めに向かうところでございます。」
茜が、主人の機嫌を損ねないか、内心びくびくしながら言うが、真広は意に介さない。
「ふーん、僕も行ってもいいかなぁ? 邪魔しないよ。ただ横で見てるだけだから――」
「いえ……お相手のあることですので、お客様はちょっと……」
茜が断ろうとすると、背後から鋭く夢喰みの声が飛ぶ。
「良いわよ。」
「え?」
思わず振り向くと、夢喰みは腕を組んでふんぞり返っていた。
「おまえ、天狐さまの従者よね?
良いわよ。私の仕事ぶり、ちゃんと天狐さまにお伝えしていただけるなら、構わないわ。」
「お嬢様っ――」
思わず茜が声をあげれば、夢喰みはキッと彼女を睨んだ。
「天狐さまに知っていただけるいい機会、私が良いって言ったら良いのっ!」
「……」
こうなってしまっては、主人が一度言い出したら頑として聞かないのは、この六年で嫌というほど分からせられていた。
茜はため息をついて真広へと向き直る。
「……では、従者さま、ご一緒に。
お客様については、他言は無用ですよ。」
「もちろんっ!」
真広は満面の笑みで、茜の隣に並んだ。
やがて辿り着いた布施宮には、上等な馬車が横付けされ、人力車の車夫が道端の石に腰かけてキセルをふかし、馬引きが馬に水をやっていた。
茜たちはそれを横目に、夢喰み専用の門から宮へと入る。
この春建て替えたばかりの夢喰みの宮は、まだ白木がまぶしく、晩夏の陽光を照り返していた。
玉砂利を踏んで室内に入ると、真広はおとなしく部屋の隅に座り込む。
茜も侍女も準備の慌ただしさに、いつしか真広の存在を忘れていった。
茜が書状を三通、夢喰みの前に並べると、彼女は持っていた扇子で迷いなく順番にさしてゆく。
「照厳院さま、浜田さま、小松さまの順でよろしいですね。」
茜の問いかけに、夢喰みはうなづきで返すと、座椅子の背にだらしなく身を預ける。
もう一人の侍女が、控えにいる照厳院を呼びに行く間、茜は素早く紙と筆を主の前に整えてゆく。
しばらくすると衣擦れの音が近づいてきて、御簾をくぐって部屋に入って来たのは照厳院――
白檀の香を焚きしめ、豪奢な衣をまとった初老の尼僧だった。
「夢喰みさま――さっそく、付けていただけたのですね。」
彼女は目を細めて笑い、夢喰みの対面へと座る。
夢喰みは彼女に一瞥もくれず、座り直すと背筋を伸ばし、おもむろに筆を執る。
茜はこの時間が好きだ。
普段はわがままで暴君で、苛烈で子供っぽい主が、
神通力を使うこの瞬間、彼女は確かに最高位の巫女となる。
虚空から力が細い糸となって紡ぎ出され、七色の光を微かに放ちながら筆先へと収束し、
金泥の筆跡に縫い留められてゆく。
幾度か筆を変え、紙の上で踊る金と朱の筆跡は、まるで絵のような神代文字だった。
照厳院はその様子を、目を見開き、一瞬たりとも見逃すまいと、注視していた。
やがて夢喰みはゆっくりと筆を置くと、初めて照厳院を視界にとらえる。
「――そなたは、ずいぶん畏れておるが、そなたが畏れるほど、悪い物ではない。
そなたの畏れが、夢を歪ませているだけ。
この護符を枕の下に入れて眠れば、夢のまことの姿を見られよう。」
「……それは、まことにございますか?
あの悪夢から、解放していただけると――」
照厳院の瞳が揺らぎ、目頭に涙がにじんだ。
「解放ではない。
まことの姿を見れば、おのずと夢の意味も、何をすればよいかも、そなたにならわかるであろう。」
「……さようでございますか。」
照厳院は、深々と頭を下げると、出来上がったばかりの護符を押し頂いた。
「こちらへ入れてお持ちください。」
茜は横合いから白木の桐箱を差し出すと、照厳院は護符を丁重に納める。
蓋をして、風呂敷で包んで差し出すと、彼女の後ろで控えていた従者が深々と礼をして受け取った。
照厳院が退出して、衣擦れの音が遠ざかるや否や、
夢喰みはだらしなくその場に手足を投げ出し寝転んでしまった。
「次の浜田さまをお呼びするまで、少しお休みしますか?」
茜がたずねると、夢喰みは伸びをする。
「ああ、糖蜜水が飲みたい。すだちはまだあったであろう?
あの匂いがする糖蜜水――」
そこまで言いかけて、彼女はハッと口をつぐんだ。
視線の先、部屋の隅では、一部始終を見つめていた真広が、意味深な笑みをニヤニヤと浮かべている。
彼とぱちりと目が合ったのだ。
夢喰みはきまり悪そうに身体を起すと、座椅子に座り直す。
「――天狐さまには、余計なことを言うてくれるなよ。」
ぎろりと睨んで、真広に釘を刺した。




