第二十九話 神罰
「まぁ……ここが、天狐さまのお里ですか? なんて美しい……」
真ん中の馬車の扉が一番最後に開いて、夢喰みが身を乗り出し、感嘆のため息をついた。
夢喰みは生まれてこのかた、桧ヶ瀬村を出たことがない。
その桧ヶ瀬村ですら、忌部屋敷と自らの布施宮以外へ出たことは、ほとんどなかった。
外の景色は、他人から喰らった記憶や夢、それから貢がれる書画で知っていて、それで満足していた。
けれども、天狐の里は、そのどれよりも美しい風景だった。
「……気に入ってくれたようで何よりだ。」
空也の姿をした真広がそっけなく答えると、美しい若者の姿をした衛士の狐が二人進み出て、夢喰みに馬車から降りるよう促す。
夢喰みが夢見心地の足取りで天狐の里の土を踏むや否や、並んでいた三台の馬車は忽然と消え失せてしまった。
「おまえには、とっておきの部屋を用意したよ。さあ、ついてきてくれ。」
真広はどこか含みのある笑みを浮かべ、踵を返す。
衛士の二人は、ぴたりと夢喰みを左右から挟んで立ち、夢喰みは微かな居心地の悪さを感じた。
とはいえ、真広は神格を持つ天狐で、夢喰みは強力な神通力を持つとはいえ、ただの人間の少女である。
ここで暴れて印象を悪くするのは良くないと、大人しくついてゆく。
真広が彼女を連れて来たのは、桃の木に囲まれた気持ちの良い丘に建つ、小さな庵だった。
柱は水晶、壁は瑠璃、窓には美しい模様の板ガラスがはめ込まれ、屋根には翡翠が葺いてある。
軒先には垂木のひとつひとつに金の鈴が付いていて、風に吹かれて時折涼しげな音を立てていた。
「まあ、美しい……ここをわたくしにくださるのですか?」
精緻な金の装飾を施した孔雀石の扉をくぐりながら、夢喰みはあたりをきょろきょろと見回す。
床には鏡のような黒漆が塗られ、柱や壁が映り込んでいる。そのため、庵は見た目の広さほどには圧迫感がなかった。
今まで数えきれないほどの宝物を貢がれてきた夢喰みといえど、この庵ほどのものは見たことがない。
先に入っていた真広が、二つ用意されていた円座の一つに腰を下ろすと、対面のもう一つを夢喰みに勧めた。
「さて……、この庵は気に入ってくれたかな?」
真広は相変わらず内心を見せない笑みを浮かべたまま飄々とたずねる。
「はい。このように贅を凝らしたものは見たことがありません。
居室としてはいささか狭いですが、時折来て過ごすには手ごろな広さかと……」
満足げに答えた夢喰みに真広はうなづくと、衛士に合図をする。
「気に入ったなら、何よりだよ。
ここには僕の大切なものをしまっておくんだからね……」
「――ここは、天狐さまの宝物庫も兼ねているのですか?」
いぶかし気に首を傾げた夢喰みに、今度は真広は答えなかった。
やがて衛士の一人が、螺鈿を施した漆の箱をうやうやしく捧げ持ってくる。
二人の間にその箱を置くと、音もなく引き下がった。
「念のためもう一度聞くけど……、君は、鹿奈媛なんだよね?」
真広は、漆の箱の縁をなぞりながら独り言のようにたずねた。
夢喰みは、深くうなづく。
「はい、わたくしには、いにしえの百済の姫、鹿奈媛の記憶がはっきりとございます。
わたくしこそが、天狐さまが探し求めた、鹿奈媛の生まれ変わりにございます。」
「……本当に? 君は他人の記憶を喰らったり、言葉の力で記憶を改ざんしたりできるのに?」
真広が暗い瞳でボソリと言うと、夢喰みはさも傷付いたとばかりに身を乗り出す。
「真広さま、わたくしをお疑いですか? あなたの名付け親であるわたくしを。
千四百年待ち続けた、わたくしを――」
夢喰みの声は室内に妙に響き、真広はスッと目を細めたが、やがて口元に笑みを浮かべる。
「いや、そうではない。ただ、もう一度確認しただけだ。」
そう言うと、真広は箱に手をかけ、音もなく開いた。
「まぁ……」
夢喰みは中を見て、三度目の感嘆のため息を漏らした。
箱の中には、極めて精緻な細工の施された黄金の天冠が納められていた。
その額にあたる部分には、血のような赤い色の透き通った大きな宝石があしらわれている。
薄暗い室内でもその宝石は、ギラリと光を照り返し、異様な存在感を放っていた。
「これを……わたくしに?」
食い入るように見つめる夢喰みは、いつしか真広が冷たい視線を投げかけているのに気が付かないまま、天冠に手を伸ばす。
「もともと鹿奈媛のものだ。そうだろう?」
「え……ええ。そうですわ。これはわたくしがかつて着けていたものですわ。」
そう言うと、天冠を手に取り、自分で頭に乗せてしまう。
夢喰みの額に納まったその刹那、赤い宝石が自ら輝きだして、細い細い鎖のような光の筋が夢喰みの身体にまとわりつく。
「な……なにこれっ!?」
手で払いのけようとしても払うことはできず、身体の内側へと入り込んでゆくものもある。
天冠を外そうとしても、まるで額と一つになってしまったかのように、びくともしない。
痛みはなかったものの、気味の悪さに夢喰みは暴れ始めるが時すでに遅し――
身体は次第に縛り上げられたように動かなくなっていった。
「――君が鹿奈媛の記憶を、茜から盗んだ自覚があるのかないのか……
その一点だけは、僕でもわからなかったんだよねぇ……
だから君を罰するべきなのか――少しだけ迷った。」
向かいに座っていた真広は、ニヤニヤと笑いながら座った姿勢のまま動けなくなった夢喰みを見つめている。
夢喰みは怒鳴ろうと口を開きかけたが、既に声を出す自由も奪われていた。
「だからね。一つ、ひっかけ問題を出してみることにしたんだよ。
その天冠を知っているって、ついこの間、僕が作ったそれを、昔からの自分の物だって言うかなって――
まあ、十割十分、自分の物だって言うと思っていたけど、もし言ったら確実に神に嘘をついたって言えるからね。」
真広は再び衛士を呼ぶ。
「もう動けないから姿勢を整えてやって安置して。」
衛士たちは手早く夢喰みの姿勢を、座した神像のように整えてしまうと、庵の中央に安置する。
全てが整うと、真広は満足げに夢喰みを眺めてから囁いた。
「おまえは器だ。茜はもうその能力も、記憶もいらないって言うから、おまえの中へ納めておく。
その赤い宝石は、鹿奈媛の大切な大切な、記憶だよ。
大切すぎて、自分から切り離したくらい……ふふふ、鹿奈媛になりたかったおまえなら気に入るかな?」
それから立ち上がると、衛士たちを引き連れて、庵を後にしようとする。
扉をくぐる時、真広はもう一度だけ振り返った。
「おまえはこの庵を手狭だって言ったけど、多分ちょうどいいんじゃないかなぁ。
退屈なのも心配ないよ。
君は醜い感情や、人の不幸が大好物だったみたいだけど――自分のことになったら、耐えられないんじゃない?
たぶん、じきに自我も何もかも崩壊しちゃって、そうなれば退屈を感じることもないよ。」
夢喰みは最後まで目だけはぎょろぎょろさせて何かを訴えていたが、
真広はそれきり彼女に振り返ることはなかった。
衛士たちがゆっくりと扉を閉めると、真広はその中央にぺたりと札を貼る。
「これでよし。これで、この中の時間は止まったよ。
あいつはずっとあのまま保存される。大事なものを入れる器は、長持ちしてほしいからね。」
おどけた様子で片目をつむると、真広は身体をぶるりと震わせて、空也の姿から、いつもの自分の姿へ戻った。
「さーて、そろそろ茜の支度も済んだかなぁ。
ふふふ、僕の用意した着物、気に入ってくれてると嬉しいなぁ」
それから、一つ伸びをすると、踊るような足取りで屋敷の方へと戻って行った。




