第二十八話 天狐の里へ
「まさか茜がねぇ、四姫さまの侍女に召し上げられただけだってびっくりしたのに、今度はお狐様へお嫁入りなんて……。」
出立の朝、忌部の姫が神に嫁ぐのを一目見ようと、忌部屋敷の門の前には多くの村人が野次馬に集まっていた。
その中には、茜の母の姿もあった。
「仕送りは今まで通りするし、父ちゃんの治療費も出してくださる。
病院への口利きは、吉彦さまがやってくださるから。私も落ち着いたら従者さまとあいさつに行くわ。」
茜は母の手を握りながら、励ますように微笑んだ。
茜の父は長く臥せっていて、その治療費の捻出のためにも、盆暮れ構わず働いていた節がある。
「あなたが茜の母上……。また後日改めてご挨拶に伺うけど、
もし、吉彦の働きが悪かったら、遠慮なく茜に言ってよね?ガツンと僕が〆るから。」
茜の後ろに立っていた真広も、冗談めかして笑いながら言った。
「何もかもありがたい話だよぅ。でも茜、こんなところで油を売ってていいのかい?
おまえの仕えていた三の姫さまが、天狐さまのご伴侶となられるんだろう?」
母が少し心配そうにたずねる。
「うん、でも、いいんだ。
私も従者さまのところに上ることが決まったから、侍女のままこの屋敷を発つことはできないの。
代わりに小萩がお支度を手伝ったはずよ?」
「小萩さん? ああ、角屋の娘さん。あの子も天狐さまのお里についてゆくの?
まあ、角屋さんもあんなことがあったからねぇ。でも、これであの子も安心。」
そう言って茜の母が胸をなでおろすと、にわかに門の方が騒がしくなった。
まず、空也が従者たちを従えて現れ、用意してあった馬車の前に待機する。
続いて岳彦が、白無垢に身を包んだ夢喰みを従えて現れた。
後ろには吉彦や奉公人も続く。
「では、末永く、よろしくお願いいたしますよ。」
岳彦は夢喰みを空也へ差し出しながら、満面の笑みを浮かべていた。
馬車は三台。
夢喰みは真ん中の馬車へ丁重に案内された。しかし、その馬車には、彼女以外誰も乗り込まなかった。
先頭には空也と小萩、そして従者が乗り込んだ。
岳彦は夢喰み一人を乗せ、閉じられた扉の前で少し怪訝な顔をしたが、
これが天狐の伴侶に対する特別扱いなのだろうと一人合点する。
けれども、一番最後に着けてあった馬車に、真広と茜が二人で乗り込むと、さすがにおかしいと首をひねる。
しかし、もう時すでに遅し――
御者のいないその不思議な馬車は、最後尾の扉が閉まるや否や、静かに走り出してしまう。
馬車は村中の道を軽い音を立ててゆっくりと進み、やがて村はずれの二股の辻まで差し掛かる。
そのまま二股の真ん中をめがけて走り抜け――
馬車は忽然と姿を消した。
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馬車は明るい霧の中をしばらく走る。
「真広さま――、私たちだけ最後尾の馬車に二人きりって、あからさまじゃないですか?」
茜は出立の時から思っていたことを口にすると、
対面に座った真広は、頬杖をついたまま得意げに答える。
「うん、もう偽る必要もないからね。
それに、僕が従者のままじゃ、出迎えた狐たちが納得しないし、君の第一印象も大切だから。」
「……そんなにいっぱい、お狐さまがいらっしゃるのですか?」
「うん、僕んちは結構大所帯だよ。男も女も、年寄りも子供もいっぱいいる。
まあ、僕の血縁はいないんだけどね。」
「ご家族はいらっしゃらない――、ご夫人も、ですか?」
少し寂しそうに言った真広に、茜は恐る恐る聞いてみると、彼はプっと噴き出した。
「いない、いない。僕、千五百年は生きているけど、誰とも結婚していないし、人だろうが狐だろうが、誰とも交わっていない。純然たる純潔だよ?
それで、この先も茜以外の者を妻に迎えることもない。」
「……千五百年の純潔……なんだか、それに私が値するのか、不安になってきました……。
それに、やっぱり不安です。ただの人間が、里のお狐様たちに受け入れていただけるかどうか――」
茜が視線を落とすと、真広は身を乗り出して彼女の手を包み込む。
「大丈夫だよ。力のある者ほど、僕にとって君が特別で、何ものにも代えがたい存在だってわかるはず。文句を言うやつは、それなりだから気にしなくていい。」
「――そうなのですか?」
「うん、だって、僕、天宇根大明神だよ? 千五百年生きた天狐だよ?」
そう言うと、彼は我慢できないとばかりに茜に抱きつき、狐の姿に戻って、身体を擦り付けてくる。
狭い車内の中、茜の視界は、大きな真広の白い毛でいっぱいになった。
そうしてじゃれているうちに、馬車はゆっくりと停まり、扉がひとりでに開いた。
天狐の里に着いたのだ。
一段高い馬車の扉から、初めて天狐の里を見回した茜は、思わず感嘆のため息をつく。
空は青く晴れ渡り、色鮮やかな鳥が、澄んだ声で鳴きながら優雅に舞っている。
大地には四季を問わず花木が咲き乱れ、瑞々しい果実がたわわに実る。
肌を撫でる風は穏やかで、暑くも寒くもない。
ただ、あたりは光で満ちているのに、どこを見渡しても太陽がなかった。
――桃源郷。
茜の脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。
一目見て、ただならぬ場所だとわかった。
一足先に降り立った真広のもとに、白い狐たちが次々に集まってくる。
「真広さま、お帰りなさいませ。無事ご伴侶をお迎えなされたこと、まことにお喜び申し上げます。」
中でも一番大きく、毛並みの良い二本尾の狐が近づいてきて頭を下げた。
「うん、五郎太夫、今帰ったよ。空也たちも労ってくれ。
それから、こちらが僕の伴侶、茜だよ。杏子、桃花――おまえたちを侍女に命ずる。
茜を世話してやってくれ。」
真広が言うと、狐たちの中からしなやかで細身の二匹が進み出て、あっという間に少女の姿に変わった。
「「真広さま、茜さま、おめでとうございます。私たち、誠心誠意お仕えいたしますので、末永くよろしくお願いいたします。」」
二人は声を揃えて、茜に愛想よく頭を下げた。
茜は歓待ぶりに少し戸惑い、真広を見たが、彼はにこりと笑って「さあ」と促す。
おそるおそる茜が馬車から降りると、あっという間に杏子と桃花に屋敷の方へ連れて行かれた。
「さて――、僕の伴侶はひとまずくつろいでもらうとして――問題はあちらだよねぇ。」
真広は茜たちの背を見送りながら、五郎太夫にぼそりとつぶやく。
五郎太夫は今まさに馬車から降り立った空也と小萩を眺めながら、微笑ましげに答えた。
「いやぁ、空也さままで、人間からご伴侶さまをお迎えになるとは想定外でしたが、天狐の位を持つ者がお二人とも伴侶を迎えられたのは誠にめでたいことでございます。」
「んー、そっちは問題ないかな。そうじゃなくて、アレ。」
真広は苦笑気味に真ん中の馬車を顎でしゃくった。
その馬車はまだ扉が開いておらず、衛士の狐が複数取り囲んでいる。
里へは、その馬車に何者が乗っているか、あらかじめ知らせてあり、対処できる者たちが集められていた。
「ああ……、そちらでしたら、万事抜かりなく。
お過ごしいただく離宮も整えてございます。」
「……ふふ、なら安心した。じゃあ、お姫様は、僕が丁重にご案内しなくちゃね……」
真広はくるりと一回転すると、空也の人の姿そっくりに変身する。
ただ、四本の尾の先に灯った炎の色だけは、真広本来の蒼い色だった。
それから、空也と小萩が建物の中へと入り見えなくなるまで見送って、
馬車へとおもむろに近づいた。




