第二十五話 僕のお嫁さんになって?
「あの勾玉は、壊されてしまったのですか? 力だけ抜き出して、どこかにしまわれているとかはないのですか?」
茜は鹿奈媛から差し出された、あのほのかな光を宿す勾玉を思い出しながらたずねる。
夢喰みのもとで、数々の宝物を見てきた茜だったが、あれほどの翡翠は後にも先にもお目にかかったことがない。
瑞々しく、新緑を思わせるあの美しい玉が、もうこの世に無いとは受け入れがたいことだった。
しかし、真広は首を横に振る。
「いや、残念だけど、玉は壊されていると思う。
そうでなければ、あんなにきれいに力が分散して代々忌部の血に宿るなんて、ちょっと考えられないんだよ。
三の姫の持ち物で、あれと同等の玉器は無いだろう?」
「……そうですね。お嬢様の持ち物は、すべて私が管理しておりましたが、見たことはありません。」
「まあ壊した玉を、この屋敷か、村のどこかに納めた、という可能性はあるけど……
どっちみち、壊れたものは、二度と元には戻らない。」
真広は、腕を組み押し黙って何やら思案にふける。
やがて、思いつめた暗い瞳で茜を見つめると、両腕を広げて抱擁を求めた。
素直に寄って来た茜を、しっかりと抱きしめて、髪を撫で、顎をすくうと深く口づける。
真広の手のひらは髪から背へ、背から腰へと撫でおろされ、
彼女の輪郭を確かめる手つきは、まるで逃がさない、と言っているようだった。
「茜……僕、ちゃんと君に言っていないことがある。
もしかしたら、もう勘づいてるかもしれないけれど、でも、全部後でちゃんと言う。」
「真広さま?」
顔はごく近くにあるのに、真広は目をそらしたまま、合わせようとしない。
「僕ね、この村に来たのは、茜を迎えるためだったんだけど、
それとは別に、忌部の一族から、鹿奈媛の残したものを全部取り戻すって目的もあったんだ。
それでね……」
真広は、目をそらしたまま、何度も言い淀んで、
それからやっと、茜の目を見た。
「僕は、これから、忌部の奴らにすごく酷いことをする。
鹿奈媛をボロボロにして死なせた天足も、その墓を暴いた成親も、今の忌部家の連中には関係ない遠い昔のことかもしれないけど、鹿奈媛の力で繫栄している時点で、僕はやっぱり許せない。
酷いことだってわかっているけれど、ちゃんと最後の逃げ道も用意するけれど――」
ゆっくりと、茜の頬に指を這わす。
茜は息をつめて、次の言葉を待った。
「こんな僕を、嫌いにならないで。
僕は、どこまでも残忍になれるけど、絶対に茜は裏切らないし、君なしでは生きられない。
千四百年生きたのも、いつか君にまた出会えるって信じていたから、なんだよ……。」
「真広さま……」
真広は唇で茜の口を塞ぎ、言葉を遮る。
「茜、もうすぐ僕たちは嫁選びを終えて、大山へ帰る。だから、おねがい。
僕と一緒に、大山へ……天狐の里に来てくれない?
なにも不自由させないし、ほしいものは何だってあげる。何より大切にするし、僕は君しか伴侶にしない。」
今度は茜がじっと真広の目を見つめる。
真広はそわそわと不安げに何度もまばたきして、首を傾げた。
「これは――、求婚されているのですよね?
私、前世はともかく、今は神通力も何もないただの人間ですけれど――、それで良いのですか?」
「うん。良い。
僕のお嫁さんになって? ずーっと一緒にいてください。」
真広の表情がパッと明るくなる。
その変わり身の早さに、茜は思わず苦笑した。
「……諦める気も、断られる気もないんでしょ?」
「うん、だって、茜、僕の事好きって言ってくれたから、断らないでしょう?」
真広はもう一度茜に口付けると、力いっぱい彼女を抱きしめる。
「ふふふ、そうと決まったら、さっさと片付けちゃおう。
帰ったら、新しい屋敷を用意しよう。朝も夜も、ずっと茜を独り占めして……
ねぇ、子どもは何人欲しい?」
「は? はいぃ?!」
飛躍する真広に、茜は思わず声が裏返った。
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「おめでとうございます、天狐さま。ご伴侶選びの最終段階に入りましたこと、心よりお喜び申し上げます。」
満面の笑みを浮かべ、露骨に揉み手を隠しもせず岳彦は言った。
真広と茜が約束を交わしてから、数日も置かず、
天狐一行がやって来た時の大広間に、一同が集められた。
上座には空也が天狐として座り、真広は他の従者に混じって少し後ろで澄ました顔をしていた。
それと相対するように、
相変わらず蒼い顔をしておびえた様子の天眼、
何やら自信満々の夢喰み、
呆けた顔で明後日の方向を見つめる御座、
そして、ニコニコと上機嫌の吉彦がなぜか並ぶ。
茜は夢喰みの後ろに控え、
主を失った小萩は吉彦の後ろに控えていた。
――真広さまも空也さまも、一体何をするというのかしら……
『何があっても動じず、口を挟まないように。君は何も知らない振りして、見ててほしい。』
真広から固く言われたことを思い出しながら、茜は腹の中で思う。
真広は、自分を信じてほしい、と何度も懇願したが、とうとう核心は最後まで話さなかった。
「うむ。長い滞在期間、ずいぶん世話になった。」
空也は岳彦に鷹揚に頷くと、姫たちの方へ向き直る。
「まずは、小萩殿、茜殿……我が従者たちの伴侶として、里に招きたい。」
空也に呼ばれて、茜は小萩と共に前へ進み出る。
これはあらかじめ申し合わせていたことで、二人とも驚くこともなく、
手順通りに天狐たちへ頭を下げた。
「続いて、忌部吉彦――」
次に呼ばれたのは吉彦だった。
岳彦は少し意外な顔をしたが、吉彦も織り込み済みだった。
「おまえは、我が伴侶の捜索において、協力し、よく働いた。
よって、その尽力に報い、こちらを遣わす。」
空也が合図すると、従者の一人が文箱を捧げ持ち、吉彦の前へと進み出る。
「中を見ても?」
吉彦が待ちきれないとばかりに確認すると、空也は苦笑交じりにうなづいた。
文箱の中に入っていたのは、古びた紙や、竹簡や木簡の断片だった。
「ほうほう、これは――、風土記の断簡に、古事記の草稿……物語の原本に、貴人の手紙――」
ざっと目を通しながら、確認するたび吉彦の目が輝いてゆく。
「我が里に流れ着いた文献の数々、気に入ってくれたかな?
まあ、我々が持っていても、無用の長物なのでな――、好きにするがいい。
里への出入りも許可しよう。」
「ふははははっ、ええ、ええ、大いに使わせていただきます!
って、まだ何か面白いことに、一枚噛ませてくれるんですか?」
「ああ、荷物持ちに呼ぶぞ。」
天狐と吉彦の、気安いやり取りに驚いたのは岳彦であった。
岳彦は、吉彦が何をしていたか、ほとんど把握していない。
欲といえば知識欲ばかりで、権力にも、金にも興味のない次男は、早々に見切りをつけて好きな事をさせておいた。
むしろかわいがって、期待していたのは兄の篤彦の方で――
――もしや、天狐さまは、忌部家の跡取りを吉彦とお決めになったのか?
なるほど、篤彦は詳しくは言わなかったが、天狐さまの不興を買って早々に東京へ帰ってしまった……。
岳彦の中で、確信が膨らんでゆく。
「天狐さま、我が息子・吉彦がお役に立てたようで何よりです――
これからも吉彦は天狐さまのお里へ出入りできるとのこと……これは、吉彦がご加護を得た……ということでよろしいのでしょうなぁ?」
「そうだな。」
「さようでございますか。そうしましたら、吉彦を忌部の跡継ぎに据えましょう。
ぜひ、今後とも、忌部の繁栄にご助力くださいませ。」
「ああ。」
空也が何気ない表情のまま答えると、その背後で真広が思わず、にやりと笑った。
吉彦の厚遇は、もちろん彼の情報収集や、忌み宮での荷物持ちに報いたものだっが、
彼だけを厚遇すれば、先般の篤彦の一件もあり、岳彦が跡継ぎを変えるのは明白だった。
――吉彦は、金にも権力にも興味がない。いや、金があったら、きっとすべて研究に費やすだろう。
もし彼が成功したとしても、岳彦の理想とする忌部家では、もはやいられまい。
――まあ、もちろん、天狐の里に来た際は、面白い課題を与えて、散々焚きつけてやるけどね~。
「そして――、最後に私の伴侶だが――」
空也がやっと姫たちに目を向けた時だった。
「はい」
澄んだ声が大広間に響く。
スッと手を上げたのは、夢喰みだった。




