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天狐の嫁取り〜千四百年待った伴侶は、虐げられ侍女でした〜  作者: じょーもん


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第二十四話 いちばんの宝物

 命を失った身体も、周りの景色も、次第に崩れ落ち、辺りは再び暗闇に閉ざされる。


「これで……終わり?」


 暗闇の中真広の肩を抱いたまま茜が囁くと、真広はグイッと手の甲で涙をぬぐった。


「うん……」


 その時、再びぼんやりと明かりが灯った。


 少し離れた中空に、蛍よりは強く、ろうそくよりは柔らかい、薄緑色の明かりが浮かびあがる。

 よく見れば、それは一寸ほどの翡翠の勾玉で、

 まだ美都香比売に仕立てられる前の、美しかった鹿奈媛が両手で捧げ持っているのだった。


 鹿奈媛は、しずしずと二人の前まで来ると、茜の前にひざまずく。

 深々と首を垂れて、その勾玉を差し出した。


「私……に?」


 茜が戸惑いがちにたずねると、鹿奈媛は無表情のまま、勾玉を受け取るようにと、手を微かに動かし促す。


「どうしよう、真広さま……」


 困った茜が真広に振り向くと、真広は少し考えてから、縛ったままつないでいる手に力を籠め、ぎゅっと握りしめる。


「――悪い気配はしない。受け取ってあげて。」


「わかった。」


 そろそろと手を伸ばし、茜の指が勾玉に触れた瞬間――


 一気に新たな光景が広がった。



 +++++



『真広や――』


 あの離れの庭先。

 鹿奈媛は白狐の若い真広を呼んでいた。


 ほどなくして、草陰から白狐が現れる。


『おいで、ほら。』


 鹿奈媛がしゃがみ込んで目線を合わせ、両手を広げると、その腕の中に白狐が飛び込んでくる。


『ああ、かわいい子……』


 鹿奈媛は目を細めて真広を撫でまわし、真広も幸せそうに彼女の胸に顔を擦り付けた。

 しばらくそうして撫でた後、鹿奈媛は真広を地面に降ろして、脇に置いてあったカゴに手を入れる。


『今日はね、おまえに、とても大切なお役目を託そうと思うの。

 “おまえはとても賢いから、きっとやり遂げられる。”』


 鹿奈媛の言葉に、圧が乗ったのが、茜にもわかった。


「真広さま、あの力……」


「ああ。“言の葉”の力だね。本来はああやって暗示をかけて、持っている力を十二分に発揮できるようにするんだよ。」


 目の前で、若い真広の目に青い燐光が灯り、尾の先が青々と燃え出す。

 その様子を満足げに見て、鹿奈媛はカゴから小さな包みを取り出した。


『これを、大和の橿原にいる私の兄王子・斯麻(しま)さまに届けてほしいの。

 母は違うけれど、よく似ているからすぐにわかるわ。

 兄もおまえを見ればすぐに私の使いだとわかるはずよ。』


 そう言うと、その包みを若い真広の背に括り付ける。

 不安そうに見上げる真広に、鹿奈媛はいつものように干し肉を差し出し、儚げに笑った。


『大丈夫。私には、あなたがちゃんと兄に書簡を届けている姿が見えているわ。

 でも、旅は思いがけず長くなって――神津毛に帰るのは……ずいぶん先になると思う。』


 真広は鹿奈媛の膝がしらに顔や身体を擦り付ける。

 それはまるで、離れたくないと言っているようだった。


『ああ……おまえが大好きよ。私だって離れたくない。

 私に身分が無ければ――、ただの女子(おなご)だったなら……。

 だけど、これを託せるのはお前だけなの。だから――さぁ、行って……』


 鹿奈媛はもう一度、わしゃわしゃと真広を撫でまわし、その鼻先に軽く口づけを落とす。

 そして、そっと真広から身を引いた。


 真広はしばらく名残惜しそうにもじもじとその場にいたが、やがて何度も振り返っては立ち止まり、鹿奈媛の前を後にする。


「――結局ね、大和に着くまで三年。それから、斯麻に会うまで一年かかったんだ。

 僕はすぐに帰りたかったんだけどね、鹿奈媛は書簡に僕のことも書いてあって、しばらくはあいつの隠密みたいなことをさせられてた。」


 真広は去ってゆくかつての自分を見送りながら、ぽつぽつと語る。


「『鹿奈は元気だから』なんて言いやがって、十年くらいこき使われていたけど――今思うと、鹿奈媛は最期の姿を僕に見せたくなかったんだろうね。それに、その後、風の噂で神津毛が噴火で滅びたって聞いた。慌てて帰ったけど、館も何もかも、砂に埋まってわからなくなっていたよ。」


「そんな……」


「何とか鹿奈媛の消息を探って、ずっと前に亡くなっていたのを知って……

 斯麻に文句を言おうとしても、奴は百済に帰っちゃったし、天足も百済へ着いて行っちゃった。

 結局、忌部の縁者が神津毛に帰って来たのは、天足の孫の代だったしね。」


 鹿奈媛は白狐の真広が見えなくなった後も、しばらく彼が行った方を見つめていたが、

 やがてため息をついて高床の建物へと戻って行った。


 それと共に、景色も暗転する。



 次に見えてきたのは、室内――

 時刻は夜分で、窓から月明かりが煌々と差し込んでいた。


 文机のような低い机の前に、鹿奈媛が座り込んで何やら握りしめて、一心不乱に祈りを捧げていた。


『私の真広が――無事に辿り着きますよう――』


 鹿奈媛の心の声が、茜と真広にも届いてくる。

 やがて手を開くと、握っていた物を机の上へコトリと置いた。


 それは、先ほど鹿奈媛が茜に差し出した勾玉と同じもので、しばらく淡く光っていたが、やがて光が失せてゆく。


『――この玉に全部入れた。私の力も、願いも、幸せだった思い出も……。

 この身が滅び、心が壊れても、これは無くならない。』


 鹿奈媛はかすかに笑みを浮かべると、光を失った玉にそっと触れる。


『もし――いつになるかわからないけれど、お役目が終わったその時は――

 真広が迎えに来てくれるような、そんな気がするわ……。

 あの子、きっと長生きするもの……』


 笑みを浮かべたまま、頬に涙が一筋伝う。


『次に生まれるなら――私も狐に生まれたい。真広と同じ、白狐が良いな……』


 月が雲に隠れ、辺りが闇に包まれる。

 それきり、景色は戻らなかった。



 +++++



 ふっと意識が戻った。


 茜と真広は、固く抱き合ったまま、元の座敷の布団の上で身を横たえていた。


「真広さま……」


 茜は、呆然と呼びかける。


「茜……泣いてるの?」


 真広が心配そうに顔をのぞき込み、頬をぬぐう。


「え……? あ……あぁ、私……」


 茜は、自分が泣いているのに気づいていなかった。


 ――鹿奈媛の記憶を見ても、自分のことのようには思えないけれど……

 胸が苦しい。すごく切ない……


「やっぱり、全部記憶が無くなっても、魂は覚えているんじゃないかな。

 もし覚えていなくても――、消せないものってあると思うんだ……」


 真広は少し嬉しそうに、茜を強く抱きしめながら言う。


「でもやっぱり……私、何も覚えてないんです。

 私、本当に、あの方だったのでしょうか……?」


 茜も真広の背に回した手に力を込めながら、震える声で囁く。

 真広は少し身を起し、茜の顔を再びまじまじと見つめて、それから何度も、何度も口づける。

 頬に、額に、まぶたに、鼻先に――、そして、最後に唇へ。


「うん……君の魂は、確かにあの人と同じだよ。僕が見間違えるわけがない。

 でも――」


 口づけの合間に、真広がぽつぽつと告げる。


「覚えてなくていい。鹿奈媛も、茜も――僕が全部覚えてるから。

 理屈じゃないんだ……、僕は君の魂にしか魅かれないし――

 それに、茜は、茜として、僕が幸せにしたい。僕は君が好きなんだよ。」


「でも、私……真広さま……」


 それでも茜は戸惑う。

 けれど、その戸惑いも、真広の唇にふさがれ、吸い込まれていった。



 しばらく抱き合い、口づけを交わし、気恥ずかしげに身体を離した頃、

 真広はようやく手を縛っていた紐を外し、茜の横にごろんと寝ころんだ。


「僕さ、なんで忘れてたんだろう……」


「真広さま?」


 突然深刻な声音で話し始めた真広に、茜は彼の方に顔を向けた。


「あの、鹿奈媛が最後に差し出した勾玉。あれさ、鹿奈媛がいつも身に着けていた首飾りの玉だよ。」


「首飾り?」


「うん、昔の倭国の貴人はみんな、ああいう玉が付いた首飾りをしていたんだ。男も女もね。

 鹿奈媛も、百済の姫だけど天足の妻だったから、日本式の首飾りをしていたんだ。」


 真広は自分の首を指して言う。


「貴人たちにとって大切なものでさ、死んだときには必ず一緒に葬る。

 でも思い出してごらんよ。忌み宮から引き揚げた物の中に、勾玉も首飾りもなかっただろ?」


 茜は記憶を手繰り、首をかしげる。


「確かになかったですが――墓を暴いた人が、拾い忘れた……とか?」


「いや、ありえないね。神器の一つに勾玉が含まれるほど、呪的な品と認識されているし、今でも神社に奉納されたりする“力ある宝物”だから、見逃すはずがないんだよ。」


「そういえば……最後の記憶で、鹿奈媛は勾玉に、力も、願いも、思い出も、全部込めてましたよね?」


「うん……」


 真広はしばらく考え込み、やがて目を見開いた。


「ああ……そういうことか……。

 忌部成親だっけ?! 南北朝の墓あばき!

 あいつが、勾玉を壊したんだよ。だから、四姫に力が分け与えられたんだ。」

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