第二十話 忌み宮の霊宝
「天狐さま……、従者さま……、一体この里で、何が起きているのですか?」
八束は天狐たちの方へ、にじり寄ると、窺うようにたずねる。
「言の葉さまは、突然出家され、今は京の尼寺に入ったと風の噂で聞きました。
あんなに明るく、精力的にお勤めをこなしていらっしゃった天眼さまは、人が変わったようにお部屋に引きこもっておられます。
篤彦さまはお嫁さま選びが終わらぬうちから東京へとんぼ返り。
反対に、吉彦さまはすっかり天狐さまのところへ入り浸り――
変らないのは夢喰みさまぐらいでしょう。」
「――そう……であるな。」
空也は慎重に答えると、ちらりと真広を見やり、指示を仰ぐ。
真広がうなづくと、空也は今度は自信をもって答えた。
「私がこの里を去った後、ここは大きく変わり、忌部の権勢は地に落ちるであろう。
我らは、我らの宝を、一片たりとも残してゆくつもりはない。
もしお前が我らに力を貸すというなら――我らもまた、四の姫を支えよう」
「まさか……それは――
ああ、何という……」
八束は、忌部の行く末を悟ったのだろう。青ざめ、口元を押さえた。
しかし、すぐに覚悟を決めると、頭を深々と下げる。
「承知いたしました。忌み宮への門を開きましょう。
必ず――必ずや、御座さまを、よろしくお願いいたします。」
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八束は女中を二人呼び寄せ、丸い巨大な白銅製の盆を持って来させる。
畳二枚を優に覆い隠すほどのその盆は、縁がわずかに立っており、
八束は手ずからくみ上げた清らかな井戸水を、溢れんばかりに注ぎ込んだ。
水をたたえた盆の表は、わずかな風に揺らめいて、ちらちらと光を返す。
白銅の淡い煌めきと相まって、まるで光の精が水辺に舞い遊んでいるかのようだった。
「これは、代々御座さまのお世話をいたします、乳母に伝わる秘術にございます。
御座さまの忌み宮を守るため、編み出したものでございます。」
八束は厳かに言うと、水盆へ手をかざし、聞き取れないくらい小さな声で、何やら祝詞を唱え始めた。
同じ忌部家に仕える侍女でも、茜はこの儀式を全く知らなかった。
茜は八束の低い声に耳を澄ませながら、魅入られたように水面を見つめていた。
やがて水盆は、ゆっくりと光を失い、底知れぬ闇を吐き出し始める。
いつしか、畳の上にぽっかりと穴が開いたように見えた。
すると、今まで大人しく座っていた御座が、すくっと立ち上がり、
真広を焦点の定まらない目で見つめる。
『ああや……あなや……こちに、こちへ――』
彼女は手招きすると、水盆へとまっすぐ歩いてゆく。
そして、何のためらいもなく、穴へと落ちていった。
「へぇ、ずいぶん大層な仕掛けだね。うまく入り口を隠したもんだ。」
真広は感心すると、茜へと手を差し伸べる。
「大丈夫。これくらいなら、道が閉ざされても、自力で帰れるから。
さ、行こっか。」
「天狐さま――空也さまは?」
茜が空也に振り返ると、彼は首を横に振った。
「私はここで待つ。」
すると、先ほどまで息をひそめていた吉彦が、元気よく立ち上がった。
「お……俺も行っきまーす!!」
勢いよく片手を上げると、そのまま穴へ飛び込み、たちまち姿を消した。
「あっ、吉彦さまっ!?」
顔色を変えた茜の手を、真広はぐいぐいと引く。
「じゃあ僕たちも行くよー!」
そう言うと、茜を道連れに真広も穴の中へと飛び込んだ。
穴の中は真っ暗で、底に辿り着いた時に衝撃は感じなかった。
見えない地面にふわりと降り立ったが、視界は闇に閉ざされたままだった。
不意に背後からパンバンと柏手を打つ音がして、淡い紫の明かりが無数に灯る。
「暗いでしょう――、こちらです。」
真広と茜を後ろから追い抜いて先導し始めたのは、八束だった。
ふと見れば、吉彦は少し離れた地面にへたり込んでいた。
慌てて立ち上がると、何事もなかった顔で茜の後ろへ並び、そのままついてくる。
「ここは、数百年の昔、忌部家中興の祖、忌部康親さまという方が、
神代の霊宝を納めるために作らせたと言われる、特別な宮です。」
静かに歩を進めながら、八束は誰に聞かせるでもなく語り出した。
「代々の姫君の中でも、御座に就かれる御方は、この霊宝の管理を任されてきました。
殊に“月の障り”に伴って御身の気が乱れる折には、霊宝のそばで体を休めるのが習わしとされてきましたが――」
八束はふと歩みを止め、真広へと振り返る。
「従者さまのおっしゃることが真ならば、それは間違いだったのでしょうね……」
「まあ、そうなんだろうねぇ。
しかし、なんでそんな習わしになったが、僕にも皆目見当つかないね。」
真広が肩をすくめると、八束は再び前を向き歩き出した。
ほどなくして一行は、二本の支柱に横木を二本を渡しただけの、ごく簡素な白木の鳥居へとたどり着いた。
「忌み宮はこの奥でございます。」
八束は鳥居の前で立ち止まり、礼をすると中へ入ってゆく。
真広は何もせず鳥居をくぐったが、茜と吉彦は八束に倣って軽く頭を下げた。
鳥居の中はほの明るく、一面白洲の庭に、ぽつぽつと飛び石が置かれている。
そして奥には、白木の簡素な高床の社殿が、静かにたたずんでいた。
八束は履き物を脱いで社殿の階段を上がると、音もなく扉を開け放つ。
社殿の中には、先に穴へ飛び込んだ御座が、くたりと身を横たえていた。
扉が開いた気配に気が付くと、顔だけこちらへ向けて、低い声でうなり出す。
「あの奥の祭壇に祀ってございます品々が、霊宝でございます。
どれも、他に類を見ないものでしょう?」
茜が祭壇の品々を見ようと、一歩踏み出しかけたとき、
真広はするりと彼女の手を離し、ひとり祭壇へ近づいてゆく。
「真広さま――」
茜が慌てて後を追おうとすると、真広は振り返りもせず、片手を上げて制した。
「茜は来ない方が良い。そこで待ってて。
吉彦、おまえは来い。」
「はいはい、今行きますよ~」
吉彦は揉み手で茜の脇をすり抜けてゆく。
やがて祭壇の前に立つと、まずは吉彦が目を輝かせて唸り声を上げた。
「これは――、まさかこんなものが、姫塚に納められていたって言うんですか?
これ、日本のものではないです。百済のものでもない。
中国の古代王朝の玉器です。」
「へぇ、そうなんだ?」
「ええ。この中央に丸い穴の開いた円盤が『璧』。
こちらの、外は四角く、中に丸い穴の通った筒が『琮』ですね。
どちらも、日本でまずお目にかかれるものじゃない」
それから吉彦は祭壇の上をくまなく見渡す。
「銅鏡が三枚――これも大陸の型式です。
こっちの四耳壺は骨壺かな? これは日本製――古瀬戸だな。たぶん、墓を暴いた成親が用意したものだろう。」
「この玉器はすごいね……。僕には来歴は判らないけれど、神気がここまでビリビリ感じられるよ。
まさか、こんなもの、持っていたとはなぁ……」
真広も感心して、一瞬玉器に手を伸ばすが、すぐにひっこめた。
「やはり、これは、姫塚の被葬者――鹿奈媛の持ち物だったのでしょうか?」
吉彦がたずねると、真広は大きくうなづいた。
「だと思うよ? 鹿奈媛を生贄にした連中が、こんなものを用意できるはずがない。
なら、もともと鹿奈媛が持っていたんだろうね。僕も知らなかったけれど、百済でも特別な姫巫女だったんだろう。
本当にバカだよね。こんなすごい姫巫女を、生贄にしちゃうなんてさ。
まあ、だからこそ、封印が千四百年も保ったんだろうけど……」
そう言うと、真広は懐から榊を一枝取り出し、葉を一枚むしった。
それを両手に包んでゆっくり揉み、床へ放る。するとたちまち、そこに大きなつづらが現れた。
「よし、吉彦。そのつづらに、ここにあるものを全部詰めちゃって。
中には綿も入ってるから、品物同士がぶつかって傷つかないよう、しっかり包んでくれよ?」
「え、俺が詰めるんですか? 触るの怖いんですけど――」
「大丈夫。おまえの信心の浅さなら、無問題だよ」
「どういう意味ですか、それ」
「荷運びにもってこいってこと。じゃなきゃおまえなんか連れてこないさ。」
真広は両手を頭の後ろで組み、さっさと祭壇から離れた。
「酷いなぁ」
吉彦はむくれながらも、恐る恐る玉器に手を伸ばした。




