第二話 従者の微笑
「天狐さま、左から長女の天眼、次女の言の葉、三女の夢喰み、四女の御座でございます。
名は体を表し――各々の能力を示しております。」
岳彦に名を呼ばれる度に、姫たちは次々に頭を下げる。
天狐は目を細めたまま、一人一人を射抜くように見つめてゆく。
最初に呼ばれた天眼の顔色が悪い。
頭を上げた直後から、指先が、その肩が、小刻みに震え、その髪に刺した簪の金飾りが、シャラシャラとかすかな音をたてた。
「当主よ――姫たちの真名は?
まさか、その奇妙な名が真の名ではあるまい。」
口端に微笑を湛えたまま、天狐の視線が岳彦へ向き、その目が糸のように細められる。
「忌部の姫の真名は、例え天狐さまと言えど、明かすことはできません。
その名を知る者は尊属に限り、告げる者は伴侶のみです。」
岳彦も深い笑みを湛えたまま、一歩も引かない。
天狐はしばらく黙って岳彦と姫を見比べていたが、やがて表情を崩した。
「皆も既に知っているとは思うが――私が伴侶を待ち続け、既に千四百年の月日が流れている。
別たれて幾星霜、一日足りとも伴侶を思わない日はなかった。」
虚空を見つめ、沈黙が落ちる。
静まり返った広間に、天眼の簪の音だけが、妙に響いた。
「世が改められ、暦が変わり――伴侶が再びこの世に生を受けたのを知り十余年……
ようやくその在り処を突き止めた。が――、あまりに長い年月はその残り香を薄めるには十分すぎるほど。
しかも、伴侶の力を受け継ぎし者が四人もおる……」
「我が忌部家は、京に都が置かれるよりはるか前より続く由緒正しき血筋でございます。
天狐さまの求める伴侶さまの御力が、我が娘に宿っているのでしたら、伴侶さまはこの中のいずれかでしょう。
当家といたしましては、伴侶さまが定まるまで、いくらでもご滞在いただいて構いません。」
岳彦は、更に笑みを深める。
天狐が我が家に滞在する――万が一娘たちから伴侶が出なくても、鎮守を接待した家として箔が付く。
その利を瞬時に計算しつくし、瞳の奥に欲を隠そうともしない。
「ああ、そうだな。礼は十分出そう。しばらく滞在し、じっくりと見極めたい。」
天狐はそう言うと、自分の背後に控えた従者の方へと視線を移し、手で指した。
「我が従者の中にも、伴侶を探している者がいる。
当主よ、我が従者が自由に家人や村人と交流することを許してもらいたいが――」
「もちろんでございます。 天狐さまの従者様ともなれば、立派な神の眷属――
その伴侶が当村から出たとなれば、この上なきほまれ。
その者は、天狐さまが伴侶さまを選ばれた暁には、姫の侍女としてお付けいたしましょう。」
岳彦は自分があさましく揉み手をしていることにすら気が付かないまま、上機嫌で返答した。
夢喰みの後ろで目を伏せていた茜は、再びそっと視線を上げる。
自分に注がれる強烈な視線に、嫌でもぶつかった。
天狐のすぐ後ろにいる従者が、やっぱり微笑みながら、じっと茜を注視していた。
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「茜、おまえ、天狐さまの従者に見つめられていたわね。見初められたんじゃない?」
大広間から自室に下がり、普段着へと着換えさせられながら、夢喰みはあざ笑うように言った。
茜は畳へとたぐまった単を拾い上げながら、微笑を崩さない。
「そうでしょうか? 夢喰みさまの美しさに心を奪われていたのではないでしょうか?」
「……私が従者の伴侶だって言いたいわけ?」
「いいえ、滅相もない。天狐さまのご伴侶さまにふさわしいお方だと、感服なさっていたのでしょう。」
何事もなかったかのように、衣桁の方へと歩いてゆく茜の背をじっと見つめて、夢喰みは口を尖らせる。
「でもちょうどいいわ。私はきっと天狐さまの伴侶に選ばれる。
そうなったら、使い勝手の良いおまえを連れて行けるなら、それに越したことはないわ。」
「ええ、ええ、そうなればよろしいですねぇ。」
茜がシワを伸ばしながら生返事をすると、夢喰みは目を吊り上げて、手近な机上にあった文箱を取り上げ、横ざまに投げつけた。
文箱はきれいに横回転しながら飛ぶと、茜の背に鈍い音を立ててぶつかり落ちる。
「私が天狐さまに選ばれないって言うの!?」
歯をむき出して唾を飛ばし、眉間に深い皺を寄せた夢喰みを、茜は一瞥すると、何事もなかったかのように文箱を拾い上げる。
幸い蓋は開かず、箱が割れることもなかった。
「そうは申しておりません。
夢喰みさまが選ばれるとおっしゃるならば、私は疑いようもございません。」
茜はぶつかった背がじぐじぐと疼き始めたのを無視して、文箱をもとの卓の上へと戻しながら笑った。
「ただ、わたくしのような凡人は、従者様にでも見初められなければ、お嬢様のお嫁入に付いてゆくことは難しいのであろうな、と。
天狐さまが住まうのは、仙境とも、幽世とも呼ばれる場所――
そのような場所に、凡人は参れませぬから。」
夢喰みはまだ目を細めて睨んでいたが、やがて鼻を鳴らすと茜が差し出した淡黄蘗の単に袖を通す。
「わかればいいの。わかれば――
よし、決めたわ。」
夢喰みはくるりと振り返ると、頭一つ背の高い茜を見上げて、にやりと笑う。
「あの従者を落としなさい。どんな手を使っても、伴侶に選ばれるのよ。
そのためだったら、持ち場を離れても不問とするわ。」
「――従者様を篭絡するなど畏れ多い……」
茜が困って眉根を下げれば、夢喰みは容赦なく手を上げ、頬を叩く。
夢喰みは、小柄だが力は強い。
彼女の癇癪に日ごろ慣れている茜も、思わずたたらを踏んで畳へとしゃがみ込み、ぶたれた頬に手を当てた。
「口答えするな。私が命じたのだから、おまえはその通りにすればいいのよ。」
「……はい、申し訳ございません。」
茜は主人のつま先を見つめながら、ため息交じりに起き上がった。
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「天狐さま、こちらのお部屋をご自由にお使いください。
何かございましたら、控えの者にお申し付けください。」
岳彦が満面の笑みを残して去ってゆく。
その足音が完全に消えるのを見計らって、天狐はスッと指を二本立てて横に切った。
その途端、キンと澄んだ高い音がして、部屋全体に結界が張られる。
「……やれやれ、これで一息つける……」
大きく伸びをして、座敷の上座にどっかりと腰を下ろしたのは、先ほどまで天狐の後ろに控えていた年若い従者だった。
先ほどまで天狐として敬われていた者は彼の前へと膝まづいて深々と頭を下げる。
「真広さま、主命とはいえ、我が主にあのような態度、誠に遺憾でございます。」
「空也は真面目だなぁ。僕が良いって言ったんだから、気にしないでちゃんと天狐のフリ、してればいいんだよ。」
真広は、生真面目な従者の白い耳が、ヒクヒクと動くのを眺めながらにやりと笑った。
「そうは申しましても――、もう伴侶さまの見当も付いてらっしゃるのでしょう?
なら、早々に伴侶さまをさらって、こんな不快な村、さっさと出て行きましょうよ。」
空也の吐き捨てるような言葉に、真広は笑ったまま首を横に振った。
「そうはいかない。
僕の伴侶は、再び生まれ落ちたとはいえ、完全なる開放はまだ遠い――。
その能力はまたあの血の中に囚われ、封印もまだ健在。
僕は、伴侶の一片たりとも、ここに残すつもりはないから。」
「……承知いたしました。この空也、真広さまのご宿願、理解しているつもりでございます。
そのためなら、多少の不義理も耐えましょう。」
再び深く頭を下げた空也の耳を見ながら、真広はふっと笑みを消す。
「――幸い、あの憎き馬鹿どもは、自分たちの業も、力の意味も、すっかり忘れているとみえる。
ならば好都合――、引き続き、おまえはあの馬鹿どもの注意を引き、僕は全てを手中におさめる。
くれぐれも、気取られぬように、な。」
「――御意」
空也の言葉に、真広はうなづくと、ふと遠くを見つめた。




