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天狐の嫁取り〜千四百年待った伴侶は、虐げられ侍女でした〜  作者: じょーもん


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第一話 天狐さま、御成り

「ねえねえ、天狐(てんこ)さまって、運命のお嫁様を探しにいらっしゃるんでしょ?」


「聞いた聞いた! もう千年以上も待ってらっしゃったお嫁様が、この村にいるかもって!」


 朝食後の井戸端――、下働きの少女が茶碗を洗いながら噂話に花を咲かせている。


「キャーっ、それって確かな情報?! やっぱりそれって、四姫さまの誰かってことかなぁ。」


「私は天眼(てんげん)さまだと思う。あんなすばらしい神通力を持っているのだから、天狐さまのお嫁様にぴったりよ。」


「えーっ、御座みくらさまじゃないかしら? 神降ろしができるのだし――」


 そこへ、豪奢な蒔絵の膳を抱えた少女が、得意げに割り込んだ。


「――私は、夢喰(ゆめは)みさまだと思うわ。」


「夢喰みさま……(あかね)は本当に、夢喰みさまが好きねぇ……」


「そりゃあ、そうよ。お仕えしている姫だもの。贔屓して当り前よ。」


 茜は少し得意そうに、長年仕える主に思いを馳せながら、椀を水桶に沈めた。




 ここは桧ヶ瀬村。

 文明開化の音も遠く、古から静かに時が流れる山間の村である。


 茜は、桧ヶ瀬村の農家に生まれた娘だった。

 村の者の姓は、たいてい藤村か桐谷である。茜もまた、藤村の家の娘であった。


 そんな村に一軒だけ、特別な姓を持つ家があった。


 忌部(いんべ)家……。


 古くからこの地を支配し、御一新前は名主を、明治になってからは村長を務めている。


 屋敷は、村で一番日当たりのよい、なだらかな斜面に建っている。

 黒々とした門構えと蔵の白壁は、谷底の田畑からもよく見えた。


 村の娘たちや、家を継がぬ次男三男たちの多くは、年頃になるとその屋敷へ奉公に上がる。

 茜も七つの時から忌部家に仕え、以来屋敷の女中部屋で寝起きしていた。



 そんな静かな村に激震が走ったのは、夏の暑さも一段落した今月初めのことだった。


 このあたり一帯の鎮守――大山の隠れ里に住まうという、天宇根大明神あまうねだいみょうじんさま。

 村人たちから「天狐さま」と呼ばれ、親しまれている。

 その神使より、先触れがあったのである。


 天宇根大明神さまが、桧ヶ瀬村へ嫁探しにいらっしゃる、と。


 忌部家に生まれる女は、みな不思議な力を持つという。

 今代には四人の姫があり、その四人が四人とも、異なる神通力を授かっていた。


 その力は、天宇大明神より賜ったものだと唱える者もある。

 娘たちの父であり、忌部家の当主でもある岳彦(たけひこ)は、


「我が娘こそ、神の花嫁にふさわしい。天宇根大明神さまの御方に上がる姫が出た家ともなれば、忌部家はますます栄え、その名も遠くまでとどろくであろう」


 と、すっかり浮足立っていた。



 茜が他の女中仲間と噂話に花を咲かせていると、

 年上の女中が、屋敷の中から茜を探しに来た。


「ちょっと茜、こんなところでタラタラしていないで、早く戻ってお嬢様のお支度を。

 天狐さまがまもなくご到着されるってさ。」


「あら、予定よりずいぶん早いですね。」


 彼女の主・夢喰みは、数名の決まった侍女にしか、その身に触れることを許しておらず、

 茜はその一人だった。


「そのお膳は私が片づけとくから。」


「はーい。」


 茜は明るく答えて立ち上がり、前掛けで手を拭きながらやって来た女中に場所を譲った。



 薄暗い廊下をたどって、夢喰みの部屋まで茜は急いだ。

 季節はもう夏の盛りを過ぎて、頬をなでる空気はひんやりしている。


「夢喰みさま、茜が参りました――」


 (ふすま)の外で膝をつき、声をかける。

 スッと引き開けば――


 ガシャーーーン


 瀬戸物の水差しが、茜の頬をかすって飛んで行き、背後の廊下で砕け散った。


「遅いっ! もうすぐ天狐さまが参られるというのに、貴様はまたどこで油を売っておったのか!」


 まなじりを吊り上げて、怒りに身を任せていたのは、豪奢な絹の襦袢を羽織った十四・五の少女。

 茜の主人、夢喰みだった。

 この春から彼女付きになったもう一人の侍女が、部屋の隅でおびえている。


「申し訳ございません。すぐにお召し物をご用意いたしましょう。」


 茜は全く動じない。


 夢喰みは機嫌が悪いと物に当たり散らす。

 先月などは彼女が投げた花瓶の破片が、茜の左眉に当たり二針縫う切り傷となった。

 気性が荒く気難しい彼女の侍女の入れ替わりは、四姫の中では最も激しかった。


 けれども、茜だけは十の時に夢喰み付きになってから足掛け六年、この気難しい主に仕え続けている。



 夢喰みは、悪夢を喰らう。


 茜は屋敷に奉公に上ったばかりのころ、恐ろしい悪夢を喰らってもらったことがあった。


 もうその悪夢が何だったのか、全く覚えていなかったが、

 夢喰みに対する恩義だけは消えることはない。


 多少の理不尽にも耐えるのは、ひとえにその恩義からだった。


「お嬢様、こちらのムクゲの薄紅はいかがでしょう?

 それとも、青紅葉の御気分ですか?」


 茜は二つの着物を両手に掲げて主人に見せる。

 まだ機嫌の戻らない夢喰みは、しばらく茜とその着物たちを交互ににらみつけ、

 やがて片方を指さした。


「――ムクゲがいいわ。白い薄物と合わせて。

 天女のような、儚い装いにしたいの。」


「承知いたしました。それでは帯はこちらにいたしましょう。」


 茜は選ばれなかった青紅葉の着物を置くと、用意してあった生成りの帯を取り上げた。



 白粉をはたき、紅を引き、支度がすっかり整って間もなく、先触れがあった。


 一の姫、天眼(てんげん)

 二の姫、(こと)()

 三の姫、夢喰み。

 四の姫、御座(みくら)


 それぞれが侍女を従え、大広間に次々やってくると、所定の場所へと腰を下ろす。

 茜も夢喰みのすぐ後ろへと控える。


 大広間の空気は凛と冷たく澄んで、緊張の糸が張り詰めた。


 四姫は取り澄ました無表情でまっすぐ前を見つめ、その時を待っていた。



天宇根大明神あまうねだいみょうじんさま、御成ぁり――」


 呼び出しの声に合わせて、四姫が手をつき額を畳に擦り付ける。

 侍女たちも一拍遅れて頭を下げた。


「ささ、天狐さま。こちらが我が忌部家の誇る四姫です。

 どの姫も他に類を見ない神通力を持っておりまして――、どの姫も天狐さまのお相手にふさわしいと自負しております。」


 当主で姫の父である岳彦が、揉み手をせんばかりのやに下がった作り笑顔で案内してきたのは、六尺三寸はあろうか背の高い美丈夫。

 真っ白い長髪を背中に流し、白一色の狩衣の装い。切れ長の目尻には朱が差され、その瞳は金色である。


 そして何より異様だったのは、頭から生えた大きな白い耳と、背後に白い豊かな毛並みの良いしっぽが四本生えていることだった。


 彼の後ろには、同じような耳と尾を持った、白い水干姿の従者たちが続いた。


 天狐は部屋に入るなり、じろりと四姫を一瞥すると、涼しい顔をして用意された上座に腰を下ろす。

 従者たちも後に続き、天狐の後ろに控える。


「おもてを――」


 天狐の低い声が大広間の空気を震わせる。


 衣擦れの音がして、四姫がゆっくりと顔を上げ、続いて侍女たちも頭を上げた。

 茜もそっと頭を上げて、好奇心に任せて天狐の方へと視線を移す。


 ――っ……


 射貫くような視線が、自分に向けられていることに気が付いた。


 視線の主は、天狐の後ろに控える従者の一人。

 朱を差したまなじりが大きく見開かれ、天狐と同じ金の瞳が、じっと茜を見つめていた。

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