第十八話 神代の禁忌と、答え合わせ
「ふふ、はははは、本当にツいていますよ!
これも、“ミトノカサマ”のお導きやもしれません。」
吉彦が再び天狐の部屋に転がり込んできたのは、あれから一週間ほど後のことだった。
今度は一人の青年と、新たな古文書を一抱えほど携えてであった。
「こちら、帝大の民俗・民間伝承研究室で一緒になった、斎部清七郎君。
“美都香比売”の伝承を教えてくれた御仁で、
東京に電報を送ったら、丁度我妻郡の郷里に戻る用事のついでに、急遽こちらへ足を延ばしてくれたんです。」
――我妻郡といったら、隣の郡とはいえ、ずいぶん離れているわ……
それをわざわざ来てくださるなんて……
横で聞いていた茜は、頭の中で近隣の地図を広げて、舌を巻く。
紹介された清七郎は、仕立ての良い背広を着込んだ青年で、胡坐のままぺこりと頭を下げる。
「はじめまして、斎部清七郎です。
本業は薬学を学んでおりますが――、実家の伝承から色々と興味がわきまして、民俗の研究室にも出入りさせてもらっています。」
真広は胡散臭そうに目を細めて、清七郎と吉彦をかわるがわる見つめると、少し面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「なるほど、まさかあちらの関係者まで連れてくるとは、恐れ入ったね。
ちょっとズルな気もするけど……」
「なんとでも。従者さまは、方法まではお示しになりませんでしたから。
俺は最善を尽くしたまでです。それに、俺のまた聞きより、本人に話してもらった方がずっといい。」
吉彦が言うと、清七郎も深くうなづく。
「私としても、我が家の伝承を多角的に検証できる貴重な機会に恵まれたと、大変興奮しております。
こちらこそ、ぜひとも、お話をお聞かせ願えれば、と思います。」
そう言うと、彼は抱えてきた鞄から、一冊のノートを取り出した。
「まずはこちらを見ていただきたい。
残念ながら、我が斎部家にも、南北朝以前の記録は確かなものが残っていなかったのですがね――
実は、明治の初年に、陸軍内に異能特務局が発足するにあたって、全国の異能や神通力、神威に連なる名家の悉皆調査が行われたんです。
その中で偶然、我が斎部家が神威を得るに至った経緯が、いくらか紐解かれました。」
そう言うと、清七郎はノートに書かれた“禍津戸神名神”と、“美都香比売”という神名を指し示した。
「我が斎部家が主祭神として祀る、二神一柱の夫婦神です。
明治初年まで、妻神の行方は知れず、夫神のみが斎部家に封印されておりました。
しかし今は和合が成され、私の長兄とその妻が、今代の依り代として異能特務局に出仕しております。」
――“ミトノカサマ”には、正当なる夫神がいたというの?
しかも、もう二人は再会して、夫婦として祀られてる?
茜は思わず首をひねるが、清七郎は構わず、ノートをまくって話を続ける。
「吉彦くんから、“ミトノカサマ”について聞いた時、真っ先に考えたのは、この行方知れずの妻神が、桧ヶ瀬村の忌部家によって封印されていたのではないか――という事でした。忌部と斎部は、平安時代に分かれた元は同族ですから。
しかし、そうではなかった。美都香比売は日立国、箸渡口神社に祀られていた神だったのだから……」
「では一体、桧ヶ瀬村の“ミトノカサマ”は、なぜ姫塚に祀られてるのでしょうか?」
思わず茜の口から、疑問がついて出てしまう。
女の自分が割って入るなど、清七郎の気を悪くさせるのではないかと、慌てて口をつぐんだ。
しかし、清七郎は茜に振り向くと、「そこなんだよ!」と嬉しげに口端を上げる。
彼はまたノートを数枚めくると、びっしりと書き写された文章を指し示した。
「これはですねぇ、非常に貴重な古文書で、さすがに原本は借り出せなかったのですが……
式内社の荒積神宮に古くから伝わる“ツヅウラ神語文書”という、神代文字でつづられた禁書がありましてね……それを特別に書き写させてもらったものです。」
「禁書を……ねぇ? よく書き写させてもらえたねぇ……」
真広が薄ら笑いを浮かべると、清七郎はますます得意げになった。
「ええ、これも長兄の口添えのおかげなんです。
それでですね、ここなんですが――、気になる一節があったのです。
神代の終わり、忌部天足という祈祷師が、ここ神津毛国にて、
妻を“美都香比売”に立て、夫神“禍津戸神名神”を封じ込めた、と。
私はこの“立て”ってとこが、どうにも引っかかるんです。なんだか、仕立て上げた、みたいな含みを持っている気がして……」
真広の目がスッと細められたが、喋ることに夢中になっている清七郎は気が付かず、さらに先を続ける。
「この天足の妻についても、少し触れられております。えーっと、ここですね。
“百済国の漢城が陥落した際に、大和へと亡命した王の庶子で、神通力を持つ巫女であった。
名を――鹿奈媛という”と――
これが本当なら、すごいことです。百済の漢城陥落といえば、五世紀後半――今から千四百年も前のことになる。」
「鹿奈媛ですって!?」
茜は思わず、悲鳴のような声を漏らした。
まさかここで再び、あの名が出るとは思っていなかった。
「そう、私はこの鹿奈媛の来歴にも引っかかったんです。
こんな海の向こうの姫巫女が、東国の土着神の妻だったとは考えづらい。
さらに別の史料から、“忌部氏は東国進出にあたり、夫婦神を引き裂いて、手中に収めた”という記録も出てきた……。
こうなると、鹿奈媛は、夫婦神を引き裂く楔にされたのではないか……そう考えるに至りました。」
清七郎が真広をじっと見つめると、吉彦も横合いから口を挟む。
「従者さまは、この前、姫塚の主を『忌部一族が禁忌を犯して縁を結んだ――罪の証』だと言いましたよね?
清七郎くんの推察は、それとも合致していると思いますが?」
真広はしばらく吉彦と清七郎の間の空間を睨んでいたが、
やがてため息をついて、パチパチと手を叩き始めた。
「――ご明察。まあ、おおよそ正解だ。
君たち人間の記録を甘く見ていたよ。」
賞賛の言葉とは裏腹に、その声音には悔しさが滲んでいた。
「清七郎とやら、一応確認するけど――、分かたれていた夫婦神は、確かに再び和合したんだよね?」
「はい。今から十七年ほど前に、斎部家に妻神の依り代が嫁ぎ、夫神の封印が解かれ、和合が成りました。」
「そう。やっぱり、解放は、十七年前、だったんだね。」
噛みしめるように言う真広の言葉に、茜は再び戦慄を覚える。
十七年前と言えば、茜が母の胎に宿った時期だった。
――真広さまは『塚の中身が確かめられれば、答え合わせができる』と言っていたけど……
もう、ほとんど確定ではないだろうか。
茜は再度、自分の心の中を探ってみる。
……何もない。
“鹿奈媛”という名にも、微塵の懐かしさもない。
自分の心の中には、桧ヶ瀬村に生まれ落ち、忌部の屋敷へ奉公に上って、女中として侍女として仕えた記憶しかなかった。
恐ろしくなって、思わず真広の顔を見ると、彼も気が付いてこちらを向いた。
振り向いた彼は、にこりと笑う。
――心配することはないよ。
そう言っているようだった。
清七郎は、実家で外せない用事があるとのことで、
奥宮の探索まで待たず、その日のうちに忌部屋敷を発った。
「これで、俺も奥宮へ連れてってくれますよねぇ? 結果はぜひ、清七郎くんにも伝えたいので!」
吉彦は目をキラキラさせて真広に言い募る。
「あー、もちろんだよ。別に答えに辿り着かなくたって、おまえは荷物持ちに連れてくつもりだったしな!」
「時期は追って告げる」と言って、うっとおしそうに吉彦を追い払ってから、
真広は茜のひざを枕に寝転んだ。
「茜、何度も言うけどさ……
茜は、茜のままでいいんだからね。
僕は、今の茜が、ちゃんと好きなんだから。」
「はい……」
そう返事して、真広の髪を無意識になでる。
けれども、茜の表情は、ついに晴れることはなかった。




