第十七話 カナヒメの名と、ちゃんとこわい夜
「えー、どうしようかなぁ。
確かに有用な情報だけど――、まだ核心じゃないし、肝心のブツも手に入ってないしなぁ……」
真広がいじわるく渋ると、吉彦は揉み手をして食い下がる。
「そんなぁ、ちょっとだけでも教えてくださいよぉ……」
「うーん……」
真広はわざとらしく考え込んで、吉彦をじらし、ちょいと片目を開けてから勿体ぶって口を開いた。
「じゃあ、手掛かりだけ教えよう。もしその奥宮とやらに、あの塚から出た物が残っていたら、全部教えるのもやぶさかではない。」
「それでもいいです! それに俺、これからも調べるつもりですから。」
吉彦が目をキラキラさせながら乗り出すと、真広は大仰にうなづいて見せた。
「よかろう……。その“ミトノカサマ”と呼ばれている神は、確かにこの前おまえが言った“美都香比売”と同一の神だ。」
「なるほど! やっぱり!
…………それで?」
「……ここまでだ。もっと知りたければ――」
「そんなぁ、もう一声! もう一声お願いしますよ。
あの史料だって、見つけるの、大変だったんですから……」
吉彦は情けない声を上げて、畳に身を臥し、こいねがう。
真広は大げさにため息をついて、口を開いた。
「では――、“美都香比売”と姫塚に葬られた女は、全く別モノ。
だが、無関係ではない。お前たち忌部一族が禁忌を犯して縁を結んだ――罪の証だ。」
「……罪? それは、一体……」
呆然と見上げた吉彦を、真広はいつしか、憎悪とわずかな悲しみを含んだ目で見下ろしていた。
「ここまでだ。後は自分で辿り着くんだな。
まあ、塚の中身が見つかれば、答え合わせに付き合ってやってもいい。」
真広の目を見返した吉彦は、ごくりとつばを飲み込んだ。
のどぼとけが上下して、瞳には凶暴な知的欲求の炎が宿っている。
「分かりました。必ずや突き止めてみせましょう。
奥宮へも、俺をお連れ下さい。きっとお役に立ちます。」
吉彦がいそいそと退出していった後、茜は開け放っていた障子を再び閉めながら何気なく真広に声をかけた。
「ずいぶん吉彦さまを焚きつけておりましたけれど、そんなすぐに答えがわかるものなのですか?」
真広はだらしなく、ごろりと畳に転がって、伸びをする。
「さぁねぇ。ま、探して見つからないこともなくはない――かなぁ……」
「姫塚に葬られていた人が、“ミトノカサマ”ではなかったのは、ちょっとびっくりしました。
村の伝承では、あの塚には“ミトノカサマ”の化身が祀られてるって。
あれ? でも真広さま、『姫塚に葬られている人が、正確なところは知らない』っておっしゃっていましたよね? 吉彦さまと答え合わせ、できるんですか?」
真広はすぐには答えず、ごろごろと茜の足元まで転がってゆき、彼女の足に抱きつくと頬ずりをする。
「できるよー。姫塚の中にあった物を見つければ、僕も答え合わせできる。
まあ、『正確なところは知らない』とは言ったけど、見当はついてるんだよねぇ。」
「……見当が……ついてるんですね?
もしや、姫塚の主は――、真広さまにとって、大切な方だったりします?」
茜は注意深く尋ねる。
真広はなおも茜の脚に頬ずりしながら答えた。
「うん。まあ、ここまでの僕の発言で、察していると思うけど――
十中八九、僕にとって、大切だった人だね。」
茜は、深呼吸をして注意深く、しかし、何でもないことのようにたずねた。
「その方は、『カナヒメ』さまという、お名前ではありませんか?」
真広の動きがピタリと止まった。
たっぷり一拍置いた後、ゆっくりと視線が茜の顔を向く。
「――思い……出した……の?」
真広の瞳が、悲しみの混じった期待に揺れた。
茜は静かに首を横に振る。
「いいえ。ただ、真広さまがおやすみ中に、寝言でおっしゃっていたものですから……」
「寝言……そう……。寝言かぁ……」
真広はあからさまに落胆して、茜から離れると、またごろりと仰向けに、畳へと転がった。
自由を取り戻した茜は、そんな彼の傍らに、座り込む。
「――その……私の失った記憶は、『カナヒメ』さまに関するものなのでしょうか?」
「んぁ―――えー、まあ……そうなりますヨネェ……」
真広は、カタコトで言うと、ますます挙動不審になる。
茜がそんな彼を、黙って見据えていると、真広はとうとう観念した。
「茜、この件も、塚の中身が見つかれば、全部答え合わせができると思うよ!」
「……」
「うん、そうに違いない。焦っても良いことないと思うしさ!」
「……わかりました。」
茜はため息をついて肩の力を抜く。
もう一度、改めて心の中を探ったが、やはり何も思い出せない。
――真広さまの、大切な方の名……
心にちくりと微かな痛みが走った。
+++++
「それでねぇ、天狐さまは私とお食事してくださって――」
夢喰みの居室――今夜は上機嫌のこの部屋の主が、うっとりと夢見心地で言った。
茜は当たり障りのない笑みを浮かべながら、彼女の話を傾聴する。
――茜が嫌なら、もう行かなくていい。
真広は、夢喰みに対して恐怖心を抱いた茜にそう言った。
しかし、それでも茜はまだ夢喰みを断ち切ることはできなかった。
「言の葉のとこの小萩が、天狐さま付きになったって聞いた時は、はらわたが煮えくり返るようだったけど――、やっぱり、侍女は侍女よねぇ。
天狐さまは、私が最有力候補だっておっしゃっていたでしょう?」
夢喰みは花瓶から花を一輪抜くと、その花びらをむしりながらたずねる。
茜は微笑んでうなづいた。
「はい。小萩は従者の方に見初められたのです。
天狐さまは、霊験あらたかな夢喰みさまこそが、お嫁さまにふさわしいと、常々おっしゃっております。」
嘘はよどみなく口からこぼれる。
小萩は従者に見初められた、ということにする。
そう口裏を合わせることは、あらかじめ天狐の部屋で決めていたことだった。
以前だったら、仕える主を謀るなど、畏れ多くてできなかっただろう。
しかし、今は良心の呵責はない。
胸もチクリとも痛まない。
それよりも、小萩が。
空也の恋が。
そして、茜自身の安全の方が、大切になっていた。
「ふふふ、やっぱり私が一番よねぇ。
天眼は全く部屋から出てこないし、言の葉は家出しちゃった。
御座はぼんやりした人形みたいなもんだし――、もう私しかいないじゃない。」
軸だけになった花を、ぽんと放り投げて、仰向けに布団へと倒れ込む。
彼女の手の届く範囲に、固いものや重いものはない。
茜はそれを確かめると、小さくほっと息を吐く。
やはり、物を投げられるのは恐ろしかった。
「で――あんたはどうなのよ?
いとしの従者さまを、ちゃんとつなぎとめてるのでしょうね?」
「はい――、真広さまは私を気に入ってくださっています。」
茜がシレッと報告すれば、夢喰みはますますニヤニヤと笑う。
「ふふ、これならお前も、一生私の侍女として仕えられるわね。」
――それはもう、勘弁願いたいけれど……
反射的に心の中で呟いてから、
その呟きに自分が一番びっくりする。
しかし、その驚きも取り繕って、おくびにも出さない。
深々と頭を下げると、やがて茜は退室した。
天狐の座敷を目指しながら、バクバクと早鐘を打つ胸をぎゅっと押さえる。
今夜も、夢喰みを崇敬する気持ちは戻らず、恐怖心と、理不尽さだけを感じていた。
――私、戻ってない……、ちゃんとこわい……
高揚感が湧き上がり、思わず笑みがこぼれた。




