第十五話 月明かりの告白と、狐団子の夜
茜が落ち着きを取り戻し、けれどもまだ部屋には帰りたくない気分で――
二人は井戸端に腰かけて、月明かりの下、肩を寄せていた。
「これは、僕が謝らなくちゃいけないんだけど――、
実は遅かれ早かれ茜がこうなるって、予測していたんだよね。」
真広は少しだけ気まずそうに切り出した。
「え?」
茜が何のことかわからず、思わず彼を見ると、真広はぐっと彼女を抱き寄せる。
「三の姫に、君が恐怖心を抱くようになるってこと。」
「……どういうことですか?」
茜が慎重に尋ねれば、真広は彼女の髪に鼻をうずめた。
「僕と初めて言葉を交わしたときの事、覚えてる?
丁度ここで、君は侍女仲間に傷を診てもらっていたよね?
頬が腫れてたし、背中はひどい打撲だった。だけど、君は平気そうに笑ってたのを……」
真広はそっと彼女の頬に指を這わせる。
「あの時、僕、気が付いちゃったんだ。
君に、強力な暗示――いや、あそこまで行っていたら、一種の呪いと言った方がいいのかな……。
とにかく、かなり厳ついものが、べったりとかかっていたんだよ。」
「つまり、それって……どういう?」
茜は、まだわかりたくないとでも言うように、わざと要領を得ないように聞き返す。
「今までさ、茜は、あの姫に何されても平気だったでしょ?
ものを投げつけられようが、暴言を浴びせられようが、無理難題を押し付けられようが、あの姫への忠誠心は揺らがなかった。
だけど、その忠誠心は、君の心から自然に発生したものじゃないってことだよ。」
「――でも、夢喰みさまには、そんなお力は無いはずでは――」
「――昼間のさ、二の姫の事、覚えてる?」
真広が真剣な目で茜をのぞき込む。
「え……ええ……、言の葉さま、ですよね。
能力を徐々に失って、今はほとんどないとか――」
「その“言の葉の力”って、本来どんなものだかわかる?」
茜は首を横に振った。
「彼女の力はね……文字どおり、言葉に力を持たせることなんだ。
一種の暗示とでもいうのかな。言葉をかけた相手に強い暗示をかけて、本来持っている力を発揮させる――
三の姫は二の姫からその力を奪って、君に悪用したんだ。」
「夢喰みさまが、言の葉さまのお力を、奪った?!」
信じられないとばかりに茜が目を見張ると、真広は真剣な表情で彼女を見つめて、その手を包み込む。
「思い出してごらん。今の彼女の施術を――。
“夢喰い”の能力だけでは説明しきれない部分があると思えないかい?」
「……」
考え込んだ茜の表情が曇った。
真広は諭すように続ける。
「彼女は夢を喰らう。夢と共に、他のものも喰らう。
少しずつ、少しずつ、言の葉の力も喰らって、自分の物にしていったんだろうね――」
「言の葉さまのお力を喰らった?」
「うん、でさ、話を戻すけど――
僕さ、茜にこっそり、守りの呪をかけたんだよね。これ以上君が暗示を受けないように。
いや、ごめん。断り入れないで勝手にかけて、ごめんっ」
「……」
茜がじっと真広を見返すと、真広はますます慌て始める。
「いや、本当にごめんってば。だけどさ、心を縛ってるものをほどくため必要だったんだって!
だって『君の忠誠心は主からの暗示で出来てます―』なんて、いきなり言ったって信じないだろ?
今日、『こわい、理不尽だ』って自分で思って、初めてこれはおかしいって気づけたんじゃないか?」
「……真広さまは、暗示をかけたり解いたりは、できないんですか?」
茜がまだ表情を緩めずに、慎重に問うと、真広はこくりとうなづいた。
「うん、僕には他人の心を好きにできるような力は無いよ。
きっかけを置くことはできるけど、自分から気づけなきゃ、変わらない。
だから、君が三の姫の所に行ったら酷い目に遭うのは分かってたけど、止めなかった。ごめん。」
「……そう、ですか……。」
茜は言い淀むと視線を外して、虚空を見つめ思案に沈む。
そんな彼女を、真広はそわそわと見つめていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「あのさ――、茜さ、暗示だけじゃないんだ。
記憶を――、魂の記憶まで、あいつに奪われてると思う。」
「――魂の記憶、ですか?」
茜は再び真広の方を見やって、首をかしげる。
「うん。だから、たぶん、暗示にもすごくかかりやすかったのかもしれない。」
「それは――……取り戻した方が良いのでしょうか……」
茜は首を傾げたまま続ける。
彼女の心に浮かんでいたのは、夢喰みを崇拝するようになったきっかけのあの事――
幼い日に、彼女に悪夢を喰らってもらったことだった。
――どんな夢だったかは覚えていないけれど、感じた恐怖はぼんやりと覚えている。
あれほどの恐怖を覚える記憶を、もう一度思い出すべきなのかしら……
「……分かんない。記憶がなくたって、君は君のままだし。
記憶がない今の茜も、僕は大好きだから、記憶があるかないかなんて、大きなことじゃないのかもしれない。」
伏し目がちに答えた真広に、茜は考えるよりも早く、言葉が漏れる。
「――真広さまは、私を昔から、ご存じなのですか?」
その問いに真広はピクリと肩を震わせ、ゆっくりと茜へ視線を上げた。
「うん……知ってる。ずっとずっと昔から、ね。」
「真広さまは――、その記憶を、取り戻してほしい、ですか?」
茜が慎重に問い直すと、真広は首を横に振った。
「分からない。それが良いことなのか、どんどんわからなくなる。」
そう言った彼の顔は、今にも泣きだしそうだった。
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天狐の座敷に戻ると、狐たちと小萩は既に寝入っていた。
小萩のそばには空也が狐の姿で陣取って、他の狐たちも彼女の周りに丸まっている。
「……これは、どういう状況ですかね……。」
音を立てないようにそっと入って来た茜は、思わず真広に耳打ちした。
「夜は冷えるからねぇ……みんなで団子になって寝ることもよくあるよ?
あー、でも、僕は茜を他の狐と共有しようなんて思わないから――茜は僕とだけ、くっついて寝てね?」
そう言うと、真広はくるりとまわって大きな狐の姿に戻って寝転び、尻尾をパタパタさせて茜を誘う。
茜は素直にその誘いに乗り、彼に寄りかかった。
「つまりそれって、空也さまが――
天狐さまが、小萩をお選びになったということで――かなりまずいのでは?」
茜が、自らの苛烈な主を思い浮かべながら囁くと、真広もヒソヒソ声で返す。
「うん、そうだね。空也はあの女中が気に入ったみたい。
まあでも、うまくやると思うよ。うまくやって、囲い込んで、里に連れ帰るだろうね。」
尻尾に囲い込まれながら、茜はふと疑問を抱いた。
「真広さまは、空也さまの従者なのですよね?
それにしてはずいぶん気安いですが――、もしかして、お狐さまの世界では、上下関係はあまりないのでしょうか?」
「――んぁ……」
真広は思わず、押しつぶされたような妙な声を上げて、明後日の方向へ顔を向けた。
それから、ブルルと毛を逆立てて頭を振ると、鼻先を茜に擦り付ける。
「そ……そんなことはない、かな?
ただまあ、ほら、尾の数が一緒だから、他の連中よりは近しい間柄ではある、みたいな?」
「――そうなのですか? まあ、天狐さまが叱らないなら、それで良いんでしょうかね?」
茜が彼の頭を撫でながら言うと、彼は気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らした。
「そうそう、外では、人間向けにかしこまってるだけだけど、それで良いんだよ。うんうん。」
真広は、もっと撫でてと頭を擦り付ける。
――大きな犬か、猫みたい。
そんなことを内心思いながら、茜は彼を撫で続け、
やがて眠りに落ちていった。




