第十三話 姫塚の女神
その日の午後中、茜は真広にねだられて、村の中を案内した。
「ご自分でも回られていたでしょうに――、
私が案内したからといって、さして新しい発見があるとも思えませんけどねぇ。」
一通り回り終えて、茜が首をかしげると、真広は満足そうに首を振る。
「そんな事ないよ。ここで“茜”が育ったんだなーって思ったら、何か愛おしい。」
「……七歳から後は、お屋敷に奉公に上ったから、村で育ったって気持ちは薄いですけどね……。」
「それでもだよ。君が僕と出会えるまで、健やかに育んだここの産土神には感謝したいね。」
「……大げさな――、あー、でも、村社へはまだ行ってませんね。
まだ時間もありますし、すぐそこですから最後に寄って行きますか?」
――って言っても、お祭りしているのは『天宇根大明神さま』……
従者の真広さまが、主のお宮にお参りするのも、なんか不思議だけど……
茜は内心複雑な気持ちになりながら、鎮守の森の入り口に立つ鳥居の方を見やる。
真広もつられてそちらを見れば、なぜか少し悲し気な、どこか痛いような表情をした。
けれど、すぐに気を取り直し、いつもの笑みを茜に向ける。
「うん、ぜひお願いするよ。」
「では――」
茜は真広の表情が少し気になりつつも、先だって鳥居の方へと歩き出した。
神社は小高い丘の上にあり、鳥居をくぐると緩やかな短い上り坂の参道が続いている。
「そういえば、お狐様といったらお稲荷さんですが、ここは違うんですよね。
天宇根大明神さまはお狐様なのに、お稲荷さんではないんですよね?」
段差の低い石段を、ひとつひとつ踏みしめながら茜がたずねる。
真広はぴょんっぴょんっと跳ねるような足取りで、ゆっくりと登りながら答えた。
「そうだね。『天宇根大明神』は宇迦之御魂神の眷属ではないし、縁故でもないねぇ。
ただ『狐』って共通点から、人間たちはそう思い込んで同一視してるけれど、まあその方が都合がいいってこともあるんだよ。」
「――都合がいい、ですか?」
一歩先を行った真広の背を見つめ、茜が立ち止まると、彼も立ち止まり振り向いた。
「うん、なんだかよくわからない神を信仰して氏子が迫害されるより、何でもいいから健やかに信仰してくれる方が、こっちとしてもありがたいんだよね。」
「そういうものなんですか?
でもここは、お稲荷さんではないですね。」
「ああ、そうだね。まあたぶん、変わる必要がなかったんじゃないかな。」
そう言うと、真広は一足先に鳥居をくぐって境内に入ってしまう。
茜も慌ててその後を追った。
屋敷に天狐――『天宇根大明神』本人が滞在しているのに、社を拝むのもどこかおかしいと思いながらも、茜はいつもの癖で柏手を打って手を合わせる。
真広は、その様子を少し手持ち無沙汰そうに眺めて待っていた。
やがて茜が祈り終えると、今度は神社の裏手の方へ真広を案内する。
「ご存じかも知れませんが、社の裏手には古い塚がありまして、“姫塚”と呼ばれてるんです。
何でも都落ちした高貴な姫君がここで最期を迎えられた、とか、敗戦の将の奥方が、ここに逃げ延びて隠れ暮らしたとか、そんな伝説があります。」
「ふーん?」
真広が意味深に相槌を打つのを、茜は居心地悪く感じながらも、塚の入り口まで歩いてゆく。
「――村にはそう伝わっているって話ですよ。
真広さまが二千年近く生きているのでしたら、本当の事も、ここに葬られた方も、ご存じなんじゃないですか?」
「うーん、予想はつくんだけど、まあ正確なところは僕も知らないんだよね。
実はここに来たのも今日が初めてだし――」
「初めて、なんですか?」
茜が驚くと、真広はこくんとうなづいた。
「うん、初めて。別に探していたわけでもなかったからね。」
塚に積まれた土は、長年の風雨によって削られて、主体部を形作る巨石が所々むき出しになっていた。
入り口は、とおの昔に何者かによって暴かれている。
その口には注連縄が掛けられ、ぽっかりと開いた黒々とした闇は、まるで黄泉への入り口のようだった。
入り口の前には、なぜか道祖神が何基か、安置されている。
それは、文字だけ彫られたものや、男女の神像が彫られたものなど、さまざまな姿をしていた。
「この奥には、“ミトノカサマ”という女神が祀られてまして、お参りすると美しくなれるとか、良縁に恵まれるとか。
村の女たちが熱心に祀っています。」
茜はそう言って軽く手を合わせると、真広は今度こそ、表情をゆがめた。
「“ミトノカサマ”ねぇ……?」
その時、背後から足音が近づいてきた。
「“美都香比売”です。」
二人が突然の声に驚いて振り向くと、書生姿の忌部吉彦がそこに立っていた。
「いきなりすみません。忌部岳彦の次男で、忌部吉彦と申します。」
吉彦は真広に向かってペコリと頭を下げる。
「吉彦さま、こちらは天狐さまの従者様です。
今、私が村内をご案内させていただいておりまして……」
茜は慌てて紹介したが、当の真広は無表情で吉彦を見つめ返すばかりだった。
けれども吉彦はそんな真広を気にせず、ニコニコと笑みを浮かべたまま今度は茜へと顔を向けた。
「やはり村の口伝では、これは“ミトノカサマ”って呼ばれているんだよね?
実はね、帝大の研究室で面白い男に会ってね。
――あー、申し遅れました。私、東京の帝大で古事を研究していまして……
ええ、こういった民俗に興味があるんですよ。」
吉彦は一人でしゃべりながら、塚の前まで進み出るとしゃがみ込んで道祖神に手を伸ばす。
「私は、ずっとこの“ミトノカサマ”に興味がありましてね。探していたんです。
どこを探しても詳しいことも分からず、他に類を見ない神名で――
でも、研究室で会った男が、知っていたんです。“ミトノカビメ”という名を。」
その名が吉彦の口から再び発されると、真広は目を見開き、全身の毛が逆立った。
けれども背を向けたままの吉彦は、気が付かず続ける。
「この女神は、夫婦神の片割れだそうでしてね、あー、だから道祖神がこうやって祀られているのかぁって、納得したんですよ。」
「……それで?」
真広がおそろしく冷たい声でたずねる。
「いえ、それだけです。道祖神は道の神や賽の神とも言われますが、どうも“ミトノカビメ”は、またそれとは別系統な気がしますね。」
吉彦は、彫られている『道祖神』の文字をもう一度撫でて、立ち上がる。
「おじゃましました。それでは失礼いたします。」
踵を返し、再び真広に向かって頭を下げると、足早に鳥居の方へと去ってゆこうとした。
「待て。お前、“それ”について知りたいか?」
すれ違いざま、真広が低く呼び止めた。
吉彦はぴたりと足を止めると、ゆっくりとふりむく。
「もちろん、知りたいです。なんでも、断片でもいいんです。」
「わかった。この塚に入っていたモノの、ゆくえを教えろ。
そしたら教えてやる。交換条件だ。」
「……」
吉彦の顔に、みるみる笑みが浮かぶ。
たっぷり真広を見つめた後、おもむろに口を開いた。
「承知いたしました。心当たりはあります。
必ずや、突き止めてみせましょう。」
そう言うと、彼はもう一度礼をして、今度こそ足早に参道を降りて行った。
「……やっぱり真広さま、知ってたんじゃないですか……。
なんだか、意気揚々と説明した私がバカみたい。」
吉彦が見えなくなった後、茜がむくれる。
「そんな事ないよ。本当に僕は知らなかったんだ。
それに、ここに案内してくれたから、色々と有益な手がかりもあったしね?」
真広はもう、すっかりいつもの顔に戻って、茜を茶目っ気たっぷりに、のぞき込んだ。




