第十二話 二の姫の決意と、里を出る約束
温かいふわふわの毛の中、柔らかいものにおなかをぐりぐりされて目が覚める。
「あー、幸せ。茜、だーいすき。」
耳に飛び込んできたのは真広のとろけ切った声。
ゆっくり茜が目を開けると、真っ白で大きな狐――真広のふさふさとした頭が、視界いっぱいに飛び込んできた。
「おはよ、茜。よく寝ていたねぇ。」
真広はなおも、茜の腹に鼻がしらを擦りつけ、ご機嫌で言う。
座敷を見回せばもう夜明けで、障子からは薄明かりが差し込んでいる。
布団の上に狐が四匹、思い思いの姿で寝入っており、一番隅の布団では、ちゃっかり小萩が眠っていた。
「――私……昨夜は――」
茜がぼんやりとつぶやくと、真広は遮るように彼女の顔をのぞき込む。
「大丈夫だよ。もうあいつの臭いはしないから。
それにほら、もうすぐ出てくみたいだし。」
「……真広さま、篤彦さまに、何をなさったんですか」
「何も? ちょっと威嚇したら蒼くなっただけ」
「……」
複雑な顔で黙り込んだ茜にお構いなく、真広は上機嫌のままじゃれついていた。
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「茜さぁ、女中仕事なんていいから、僕と遊んでよ。」
真広は朝餉の前には人型に戻り、膳を片づけている茜を目で追いながら、間延びした声でねだる。
「――ダメですよ。いろいろしなければならないことがありますし、
真広さまだって天狐さまのお付きのお仕事があるでしょう?」
茜があきれた声で言えば、小萩もここぞとばかりに参戦する。
「そうですよ。本日は言の葉さまとの面会があると伺っています。
あー、それに……茜って、こう見えて、働き者で、誠実で、きっちりした男が好きなんですよ?
ちゃんとお役目を果たした方が、茜の好感が上がるってもんです。」
「ぐぬぬ……、僕ちゃんとする……」
真広は渋い顔をすると背筋を伸ばした。
食事の片づけが終わると、小萩は言の葉の支度を手伝いたいと、席を辞した。
茜は天狐の部屋で待っているか、そろそろ夢喰みへの定時報告に行こうかと思っていたのだが――
空也から待ったがかかった。
「茜どのも、同席していただきたい。」
「私も、ですか?
それに天狐さま、私に『どの』は必要ありませんよ?」
茜は天狐から「どの」と呼ばれることに、居心地の悪さを感じて首をかしげたが、
空也はあいまいに笑うだけで答えなかった。
「僕の後ろにちょっと座っててくれればいいから。」
横から真広も口を挟み、茜は諦めてため息をつく。
「わかりました。でも、天狐さま、『どの』はいりませんから。」
茜がツンと言うと、空也は眉を下げてクスリと笑った。
多少の軽口が言えるほどには、茜は天狐たちになじんできていた。
天狐と言の葉の面会は、離れの客間で執り行われることになった。
書院造のその部屋は、窓から眺める裏庭の景色がすばらしい。
言の葉は小萩を従えて、一足早くやって来て、ぼんやりと庭を眺めて天狐たちを待っていた。
「この度はお時間を頂きありがとうございます。」
彼女はたおやかに微笑むと、深々と頭を下げる。
「二の姫よ、折り入っての話とは何事か。」
空也がたずねると、言の葉は顔を上げて少し悲しげに笑う。
「単刀直入に申し上げます。
わたくしを天狐さまのお嫁さま選びからお外しください。」
「……」
空也は最初からわかっていたとばかりに、表情を変えず彼女を見つめた。
言の葉も動じずに、先を続ける。
「天狐さまより頂きしこの神通力、昨今は弱まるばかりでしたが……
とうとう無いに等しいところまで落ちぶれました。もう、天狐さまのお役に立てそうにありません。」
言の葉の後ろに控えた小萩が、身を震わせ、目を見開くのが茜の位置からも見えた。
「――勘違いをしているようだが、そなたらの神通力は、我々とは無関係。
嫁選びにも、神通力は関係ない。」
空也は腕を組み、理解しかねるように眉をひそめた。
言の葉はそれでも眉根を下げて笑いながら、首を横に振った。
「そうでありましても、神通力が使えないのは事実。
もう私は、誰を導くことも、癒すこともできないのに、この里にいることは耐えられません。
京に縁故がありますので――出家して尼になろうと思います。」
「……尼とはまた極端な……」
思わず横合いから真広が口を挟むと、言の葉は俯きがちに、けれどどこかさっぱりしたような声音で答える。
「清浄な場所に身を置きとうございます。
ここは欲にまみれた家――、もうたくさんでございます。」
「――もし、その力が戻ったとしても、おまえは同じことを選ぶの?」
真広が真剣な声で尋ねると、言の葉ははっきりと深くうなづいた。
「はい。遅かれ早かれ、きっとこうしたと思います。」
それから首を巡らして、背後にいる小萩を指した。
「差し出がましいお願いではございますが――、こちらの小萩をお使いください。
そして、お気に召したのでしたら、お連れ下さい。
身寄りのない子ですので、私無き後、この屋敷に残すのは心配でございます。」
「お嬢様っ!?」
小萩が思わず声を上げ、
空也が目を見開いて、黙っていると、言の葉はくすりと笑った。
「天狐さま、御名を小萩にお教えになったのは、そういうことでございましょう?」
「……」
空也は手で目を覆うと、深いため息をつく。
指の間からちらりと見えた目元は、ほんのり朱みを帯びていた。
言の葉は小萩を残し、一人で退出していった。
「あー……そういうことですので、今後ともよろしくお願いいたします。
で、でもっ、天狐さまのお里に連れてけって言っているわけじゃあ、ありませんよ?
この里を出られるよう、協力していただけると、大変ありがたいですが――」
昨夜のうちに、すっかり狐たちとうち解けていた小萩が、冗談めかして言うと、空也は弱り切った顔で腕を組む。
「小萩どのさえよければ、今後ともよろしくお願いしたい。
茜どのが連れて行かれるのは、決定事項ゆえ、同郷の者がいた方が心強いであろう。」
「えっ! それは嬉しいですっ。この屋敷を出るのは夢でしたから――
でも、茜が連れてかれるの、決定事項なんですか?」
小萩が尋ねれば、空也は肩をすくめてため息をつく。
「――あの彼が、茜どのを離すとお思いで?」
「……ないですね。」
今度は、生暖かい視線で小萩から見つめられた茜が慌てはじめる。
「ええぇっ、もう決まってるんですかぁっ?!」
「……あたり前じゃん。僕が君を諦めるなんて、ありえないから。
それともなんだい? まさかこの屋敷に骨をうずめたいの?」
真広が口を尖らせると、茜は慌てて首を横に振る。
「いっ……嫌ですっ。それは嫌っ」
――あれ?
間髪入れずに答えて、茜は自分に違和感を抱く。
自分の心の中が、以前と確かに変わっているが――、それが何なのか、即座にはわからなかった。
「そうだろう、そうだろう?」
茜の引っ掛かりには気付かず、真広は得意げに頷き、その場は和やかな笑い声で満たされた。




