帝都の気概、菅原宰相
麻生が中等科に入り、その目が更に凪子姫を追うようになっていた頃に、それは起こった。麻生が道端で死にかけていた黒い掌サイズの蜘蛛を保護した。
「お前だって、こんな姿で、こんな立場に生まれたくて、生まれたわけじゃないのにな」
ぼそっと呟いた麻生の声には、年齢に似合わない厭世の響きがあった。私にしがみついている明楽君の手がきゅっと強く私の腕をつかんだ。
麻生は、蜘蛛にしては大きすぎるそれを、何の躊躇いもなく、家に連れ帰って、自分の部屋に匿った。そこからは、見るも無残な光景の連続だった。麻生に元々備わっていたと思われる嗜虐性に、土蜘蛛の影響による猟奇性が加わり、麻生家の嫡男が可愛がっていたペットの猫に始まり、学校のウサギ、近所の犬など、麻生の周りで死の匂いが漂い始めた。麻生の黒い蜘蛛は、どんどん大きくなり、麻生の手を借りることなく、より大きな強い獲物を、夜な夜な一人で漁るようになるまでに成長していった。
麻生が高等科に上がった頃に、麻生伯爵から家庭教師を紹介されている場面が鏡に映った。
「あれは、高博士です!」
小野子爵が立ち上がった。
「類を持って集まるとはよく言ったものだな」
父様が心底嫌そうに言うと、小野の二の君が書類をカバンから取り出した。
「高博士の弟と当時思われた者は、博士の研究内容がメディアに露呈されて以来、高一家は誹謗中傷に毎日晒され、命の危険もあるという理由で、当時の我が国の大使館に難民申請をしてきたんだよ。それで、ご存知の通り、梨元宮が人道的理由で許可した。だけど、その数か月後に、高博士が弟に成り代わっているんじゃないかと隣国から非公式ルートで情報が入った。隣国の政府には確認をしたけど、せっかく厄介払いできた家族を戻されては困ると思ったんだろうね。高博士は大学を解雇になって半年もせずに自殺した、曙光帝国にいるのは、間違いなく弟だって書面による回答を送って来たんだよ。高博士の検死結果と一緒にね」
「うちからの問い合わせに、向こうも強気でさ、何なら、墓地を掘り返して確かめたらいいとまで言われて、なかなか大変だったんだよ」
二の君の説明に、峰守お爺様が付け加えた。当時は、まだ二の君も学生だったはずだ。
「宮様は、まだ大学を卒業して官僚試験を合格したばかりだったのに、大使なんかに抜擢されて、お気の毒だよ。私も当時見えてなかったことが見えてきたよ。宮様を推したのは、楢原と麻生だった。それで、麻生が後見で宮様と隣国に渡ったんだよ」
「若いから、いいように操れるとでも思ったんでしょう。私も若い頃、年寄りどもには、泣かされましたよ。帝都の官僚や議員の通過儀礼と言えば、そうなんでしょうが、宮様の場合は相手が悪すぎましたね。全く、帝都には老害が多すぎます」
菅原宰相が愚痴ると、最年長の峰守お爺様が「ごめんね。そう思って、早々に引退したよ」と謝った。峰守お爺様は、あざとい。小野家は、全員、こういうところがあるんだよ。
「いえいえ、小野外務大臣、そういう意味で言ったわけでは。私が思うにですね・・・」
みっちー宰相が焦って言い訳をしているけど、からかわれてるんだって。真面目な人だなぁ。西都で、絶対に苦労するタイプだよ。
「ここだけの話だけど、梨元宮は、生い立ちを楢原と麻生に利用されたところもある。かばうわけではないよ。当時の梨元宮は、今の私よりも大人だったしね。でも、本当の悪人は、善人の顔をして、人の心の隙間に入り込むのが上手いよね」
殿下が溜息をつかれた。
「梨元宮の生い立ちって、魔力があったから、家族に疎まれたってやつですか。闇の魔力だったから、お母様が特に嫌がったって仰っていました」
「そうだよ。あの彼が、そこまで不比人に言ったの?彼は、可哀そうなくらいに曙光の人間だよ。根本的なところでは、家族さえもよせつけないようなところがある。それなのに怖いね、不比人は。するすると人の心の隙間に入りこむんだね。小野も完全に手懐けられているようだし?不比人が昨日使った【帆風】は、小野の深奥の一つだよね」
てへっ、バレました?とか言いながら、小野家の三人がへらっと笑った。怖いのは、小野家だよ。全然、悪びれることなく、曙光と嘉承を両天秤にかけているからね。
「今は小野ではなく、麻生の話をしませんと」
宰相が、こほんと咳ばらいをして、軌道修正を図った。やっぱり、宰相は真面目だ。
「そうそう、麻生ね。麻生は、高英実の弟の難民申請の際に、何度も面談をしているという記録があるんですよ。彼には、宮様にどんな失敗もさせる訳にはいかないというお役目がありますから、それ自体は、当時、誰も疑いの目を向ける者はいませんでした。難民申請が認められて、その後、帰化申請も認められたんですが、その推薦人に、楢原、麻生の他に、速水伯爵の名前もあるんです。ご存知の通り、楢原と麻生は宮廷伯ですが、速水は領地を持つ伯爵家ですから、その推薦とあれば、断るわけにはいかない・・・」
「断れ!」
父様が、二の君の当時の外務省側の事情を一刀両断した。
「たとえ皇家でも公爵家の推薦でも断る気概を持って職務に望め。少しでも怪しければ、時間をとって、とことん調べつくせ。ここにいる宰相なんぞ、俺に否しか言わんぞ」
本当に、そうだよ。二の君は、当時は外務省の人間ではなくて学生だったから、とばっちりだけど、外務省が妥協しちゃうと水際対策なんて、有名無実になる。誰でも彼でも帝国に入って来ちゃうし、実際、高村愛の母と一緒に妖だって一緒に入って来ちゃってるし。喜代水のプレーリードッグの小僧さん達だって、よくよく考えたら、外来種だよ。
「珍しく、嘉承公爵閣下の言葉に同意しますわ。これは外務省に限らず、どの省庁も、ここ西都総督府でも同じことが言えますが、爵位による圧力に負けない気概を持った宰相のような人材を育てていかないと、帝国の腐敗、頽廃、ひいては滅亡にしかなりませんわ」
「いえ、私はその、自分の信じるところを愚直に実践しているだけで」
頼子叔母様の言葉に、みっちー宰相が大きな額まで真っ赤にして、口ごもった。変わり者だけど、真面目な人だよ。確かに、嘉承の四侯爵の本気の戦闘モードを前にしても怯まず、父様に怒鳴っていたよね。
「正論、ごもっともですが、そんな簡単な話ではないですよ」
珍しく、二の君が反論した。この人は、小野家の中で、一番おちゃらけた人だから、ちょっと意外だったけど、現役の外務省員は、二の君だけだもんね。強く思うところはあるのかもしれない。
「隣国から高博士の入れ替わりの噂が流れて、すぐに高を極秘にマークし続けていました。彼は曙光帝国に帰化してから、学習塾を経営していましたが、家庭教師をしていた報告はありませんでした。それも公家の子息が相手とは。彼の貴族嫌いは、隣国でも有名だったので」
二の君に代わり、小野子爵が説明を続けた。
「外務省、ちゃんと仕事してんの?穴だらけじゃないか」
西条侯爵が呆れたように言った。チーム嘉承、今日は当たりが強いな。
「マークしていたのに、報告が上がらなかったとは、どういうことだ?」
「昨日、検非違使達に憑りついていた妖が全滅して、その親玉の牛鬼まで、ふーちゃんに退治されているからね」
「動き出す連中が他にもいるんじゃないの?」
北条、東条、南条の三侯爵が小野家の三人に向かって言うと、小野子爵と二の君が立ち上がった。
「外務省にも眷属が潜りこんでいるのか」
二人が、顔を見合わせると、慌てて父様の前で跪いた。
「公爵閣下、無理を承知でお願い致します。我々を内裏に飛ばして頂けませんか」
「お前ら、風だろ。自力で【風天】で帰れや」
悪魔だ。悪魔がいるよ。妖に外務省も乗っ取られているかもしれない危機に、そんなこと言う?
「【風天】だと早くても丸一日かかるし、到着したころには魔力切れを起こすかもしれないよ。今、妖が動き出したら、内裏はどうなるの?」
「最悪、破壊されるかもな」
「そうだよ。それに死傷者だって沢山出るかもしれないよ」
「内裏のことは、皇帝の責任だろ。うちは西国しか任されていないしなぁ」
父様が、ものすごく意地悪な顔をした。父様に裏切られたような気がして、悔しくて涙が出て来た。
「鬼、悪魔、人でなし!」
「サブ子、お前の甥が酷いこと言ってすまんな」
「はあ?不比人が言っているのは、全部、兄様のことですわよ」
頼子叔母様が柳眉を逆立てて、父様に噛みついた。
「それどころじゃないんだって。すぐに、小野家の二人を帝都に送ってあげてよ。関係ない人が怪我したり、亡くなっちゃったら大変だよ」
えぐえぐと泣きながら訴えると、お父さまの手が背中をぽんぽんとしてくれた。
「兄様、ふざけるのは、いい加減にしてください。ふーちゃん、泣かなくていいから。今、帝都には誰がいる?昨日の夜から、陰陽寮でお手伝いしている人がいるよね?」
お父さまの言葉に、眼から鱗が落ちた。そうだった。お祖父さまが、お祖母さまに怒られて、昨日から側近の先代侯爵を二人連れて、陰陽寮でお手伝いをしているんだったよ。
「昨日から半月の予定で、先代嘉承公爵に、うちの父と先代の東条侯爵が付き添っているから、申し訳ないが、小野の二人よりは役に立つと思うが」
「なー君の【業火】に勝てる妖なんかいないよ、ふーちゃん。逆にうちの息子二人が内裏に戻っても、今は足を引っ張るだけだろうね」
北条侯爵が言うと、峰守お爺様も同意した。
「帝都には、悠人も遥人もいますしね」
「嘉承公爵家の直系には負けるけど、うちの祖父と父も、それなりに魔力はあるからね。心配しなくていいよ」
お父さまと殿下に頭を撫でられると、意味なく感情を爆発させてしまったことが突然恥ずかしくなった。
「父様が悪いんだもん」
「そうですわ。不比人、こんな性格の悪い男は、金輪際、相手にしてはいけませんよ」
「うるせー、サブ子。スナギツネが先に俺を裏切っただろうが」
スナギツネじゃないもん。お祖母さまに歯向かえる人間なんて、この世にいないよ。長い物には、ぐるんぐるんに巻かれておくのが私のポリシーなんだよっ。
「父様、セコイ。めちゃくちゃセコイ。そうやって、過去の細かいことに捉われてると開運しないよ」
「何だ、それは」
「今日の西都新聞の星占い。さそり座の開運ポイントに書いてあった」
私がそう言うと、隣で「ぷっ」と吹きだして笑う声が聞こえた。横を見ると、「ふーちゃん、毎日、星占い見てるの?」と言いながら、明楽君が面白そうに笑っていた。明楽君がちょっと元気になったよ。恥ずかしいけど、良かったかも。
えへへーと二人で笑っていると、バンッと机を叩く音がして二人で飛び上がった。
「何で、西都はいつもこうなんですか。事態の深刻さが分かっているのですか。やることは山積みですよ。質の悪い冗談を言っている場合でもないし、呑気に笑っている場合でもありません。それでなくとも、私は忙しいんです。毎日毎日毎日・・・」
宰相が壊れた。
「そこの小さい貴方!」
宰相が私にびしっと指をさした。
「あなたね、妖退治は、もっと綺麗にお願いしますよ。あなたの土人形の魔力が解けた後、どれくらいの土の山が内裏に残されたと思うんですか。帰る時は、お掃除してからです。父親と一緒に今後の教育方針を再考するべきです」
ぶりぶりと怒る宰相に、父様がまた意地悪な顔をした。会議室にいる大人たちも微妙な顔をしている。
「全く同感だ、みっちー。ふーの教育方針が間違っていると、曙光の頭脳、天下の宰相殿からのご指摘だぞ、彰」
「何で瑞祥公爵閣下なんです?あっ!」
お父さまの困ったお顔を見て、みっちー宰相が、カッコウの伝統に気がついたようだ。
「い・・・いやあ、不比人様は、本当に将来が楽しみで。瑞祥公爵閣下の御教育の元、素晴らしい公達に成長されることは間違いありませんね」
公爵にも否を唱える気概はどこに行った?




