悲劇2
ギプスが外れるまではそれなりに、退屈したり、漫画を読んだり、DVDを見たり、とゆっくりと時間が過ぎていった。二十四時間交代で付添う看護師も丁寧に和泉を扱ったし、母親も日中は和泉の側にいる。
賢は毎日見舞いにやってくるし、和泉が退屈しないような見舞い品をいつも持ってきてくれる。DVDプレーヤーもパソコンも賢が和泉の為に用意した物だ。
和泉はギプスさえ外れたら、また歩き出せると信じていた。
賢も母親もそう言った。
なのにギプスが外れてもなぜだか左足に感覚が無かった。
右足は動く。やけに重く力がいるが、動かそうと思えば動く。
血行が悪いのか、むくんで痺れたような感じもあるが、足の指まで何とか動く。
だが、左足はぴくりともしない。
膝くらいまでは触ると感触がある。だがその下、すねも足首も甲も指もが少しも動かない。麻酔がかかっているように、触っても感じないし、動かそうとしても動かない。
「お母さん、左足が動かないんだけど」
と和泉が言った。
「ギプスが外れたのに動かないのよ、変じゃない?」
和泉の問いに母親は作り笑顔で和泉を見た。
「二ヶ月も固定されていたんだもの、急には無理でしょ。その為にリハビリするんじゃない」
「そうなの? でも、おかしくない? 何の感覚もないなんて……お母さん、あたしの足、本当に動くようになるの?」
「え、ええ、もちろんよ。お母さんがマッサージしてあげるわ」
と言って、母親は和泉の足を揉み始めた。
両方の足ともに筋肉は痩せて、すっかり細くなっていた。
看護師に朝晩、マッサージしてもらい、右足は徐々に感覚を取り戻した。
膝を立てたり、足首も動く、足の指も五本全て動く。
だが、左足は膝を持ち上げる事も出来ない。
膝から下は触っても、叩いても何も感じないのだ。
マッサージされても触られている事すら、分からない。
母親には何度聞いても、「もうすぐよ」としか言わない。
毎日見舞いに来る賢に聞いても、「大丈夫だ」としか言わない。
ベッドの上から床に下りようりして、まず右足で床にそろっと下りみた。
恐る恐る力を入れて踏ん張ってみる。
思ったより力がなく、くにゃっとそのまま床に沈み込んで行きそうになる。
思わず左足を出したが、もちろん何の助けにもならずに、和泉はそのまま床に倒れてしまった。
「痛たたたた」
ベッドの横のソファに手をついて起き上がろうとしたが、すっかり弱った体には身体を持ち上げる為に踏ん張る力がない。
その時、丁度ドアをノックする音がした。
ふと棚の時計見ると、午後七時。仕事が忙しくなければ賢が来る時間だった。
「和泉!」
ドアが開いて賢が入ってきたが、床の上の和泉を見て慌てた。
「ベッドから落ちたのか?」
「ううん、下りて立ってみようと思って……こけたの」
賢が和泉の身体をひょいと抱き上げて、ベッドに戻した。
「看護師は? いないのか?」
「今、下の売店に買い物に行ってもらってる」
「誰もいない時に無茶するな」
「うん、だって、右足だけでも立てるかなと思って。でも、ちょっと力が入らなくて、こけちゃった」
「まだ無理だろ」
賢は和泉の右足のふくらはぎをぎゅっぎゅっと揉んだ。
「賢ちゃん、あたしの左足って本当はもう動かないんじゃないの?」
「そのうちに……」
「本当の事を言って。二ヶ月もたってるのに、何の感覚もないなんておかしいでしょ?」
「……」
「賢ちゃん!」
賢の顔はとてもつらそうだった。普段はポーカーフェイスで喜怒哀楽をあまり顔に出さないのだが、この瞬間は泣きそうな顔をしていた。
「動かないのね?」
「左足は……ずっと麻痺したままだ」
「治らないの?」
「ああ」
「手術しても? もう駄目なの? 治す手立てがないって事? 一生?」
「そうだ」
「……」
「右足は大丈夫だ。筋肉がつけば前のように動くようになる。杖を使えば自分で歩く事も可能だ」
「左足を引き摺りながら?」
「……」
「そう……なんだ。じゃあ、車椅子買わないと……」
ぽつんと涙がベッドのシーツへ落ちた。
「和泉……和泉!」
和泉の身体は固まってしまい、賢は和泉の手をとってぎゅっと握った。
「大丈夫だ。生活にたいした支障はない。立ち上がる事も出来るし、杖を使えば自力でも歩ける。だから……泣くな」
「……」
賢の声が聞こえているのか、和泉はかすかにうなずいた。
だが視線は宙をさまよっている。
さまよう瞳から涙だけが溢れてくる。
「和泉……泣くな。お前が泣くのは……辛いんだ……大丈夫、大丈夫だ、俺がずっと和泉の側にいるから。俺がどこへでも連れ行くから……だから、泣くな」
と賢が言った。
しばらくして、
「うん……大丈夫…だよ。でも、もう……だね」
と和泉が言い、腕で涙をぬぐった。
「え?」
「ううん、何でもない。佐藤さん、遅いね、アイス買ってきてって頼んだんだけど」
「ケーキなら」
と、賢が見舞いに持ってきたケーキの箱を差し出した。
「ケーキかぁ」
「昨日、ケーキ買ってこいって言っただろ」
「今日はケーキの気分じゃないのよね」
「何だよ、じゃあ、食わないのか」
「食うけどさ」
と言って和泉が笑った。
その夜、和泉を心配していつまでも帰らない賢を無理に帰して、そして朝まで勤務のはずの看護師も無理矢理に帰ってもらった。
そしてようやく一人になれた和泉はその夜、いつまでも泣いていた。




