賢VSママンVS和泉
「じゃあ、仕事に行ってくる」
と和泉が部屋を出て行ってから、和泉の母親は掃除を始めた。
狭いワンルームで、和泉の荷物もそうないので、おもちゃのような掃除機をかけたらすぐに終わる。
洗濯機を回していると、ピンポンとドアフォンが鳴った。
用心の為に覗き穴から覗くと、スーツ姿の賢が立っていた。
「賢さん」
ドアを開ける。
「どうも」
「和泉は仕事に行きましたけど……」
「話があります」
真剣な顔ではさすがに威厳がある。今まで本家に反抗したことがなく、従順だった和泉の母親では視線を合わせるのにも勇気がいる。夕べ、雄一や朝子の前で言った言葉も今考えると、ずいぶんな事を言ったとも思う。だがやはり、和泉と賢の事には反対だ。
「どうぞ」
母親は賢を部屋の中に招き入れた。
和泉の部屋にはお茶をいれる急須がなかった。
コーヒーメーカーらしき物があったが、豆がどこにあるのか分からない。
母親は変な柄のマグカップにペットボトルの麦茶を注いで賢に出した。
「お話って和泉の事でしょうか」
「そうです」
「賢さんなら、いくらでもお嫁さんになりたい娘さんが親族のうちにたくさんいらっしゃるでしょう? 和泉は土御門の事は何も知らないし、朝子さんのようにご立派に御当主の奥様は務まりません。霊能力があると言っても、皆様のように修行もしてないし。今更」
と母親は申し訳なさそうに言ったのだが、
「土御門の為に和泉と結婚するわけじゃありません」
と、賢が答えた。
「そうはおっしゃいますけど……加寿子様と靜香様の事はどうなんです? 皆様がお知りになったら、和泉は随分と肩身の狭い思いをします。雄一様だって朝子さんだって、本当は反対かもしれません。和泉のせいでお母様がお亡くなりになったんですから」
「それは違います。和泉のせいじゃない。祖母が迷ってしまって、和泉は巻き込まれただけです。決着は俺がつけました。責められるべきは俺です。うちの両親もそれは分かってますし、他の親族には何も言わせません」
丸いテーブルを挟んで話していたが、賢は少し後ろに下がって、床に手をついた。
「お願いします。絶対に幸せにしますから、和泉との結婚を許してください」
と頭を下げた。
「ま、賢さん!」
次代様、御嫡男様、と言われて土御門で一番大事にされている賢に頭を下げられ、和泉の母親はびっくり仰天した。
このような場面を親族の者に見られたら、自分が粛清されてしまうではないか。
「手を上げてください。そんな事されたら、困ります……どうしてそこまでして……和泉のどこがそんなに?」
と母親が言うと賢は顔を上げて、
「そ、それは……」
と言ってから真っ赤になった。
「ただいま」
と和泉が部屋へ入って来た。
夕方七時過ぎである。
「お母さん? いないの? いるじゃん」
部屋は真っ暗で、母親は丸テーブル前で座っている。
「電気もつけないで、どうしたの?」
和泉が壁のスイッチを入れると部屋がぱっと明るくなった。
「寒い部屋で何やってんの? あれ? 晩ご飯作ってくれるって言ってなかった? 何も買ってきてないよ。お腹すいた~」
和泉はコートを脱いで、ハンガーにかけた。
「今日ね……」
「うん?」
「賢さんが来たの」
「ええ? 賢ちゃんが?」
和泉はキッチンの小さな冷蔵庫から牛乳を出してマグカップに入れて飲んだ。
「ええ、和泉との結婚を許してくださいって、手をついて頭を下げられたの」
「え~賢ちゃんが?」
「そう、お母さん、びっくりしちゃって」
「それで、何て答えたの? 賢ちゃんとの結婚に賛成してくれるの?」
と言ってから、直接プロポーズされてない、という事に和泉は気がついた。
私の返事はいらないのか、と思ったが、ややこしくなるので黙っておく。
「結婚はともかく、つきあうのには賛成してくれるの?」
「駄目よ」
と母親は言った。
「え、駄目なの? それに、賢ちゃんに頭下げさせたなんて、そんな事が本家に知れたほうがまずいんじゃないの?」
自分が告白された時には、下僕になりますとか言わせた事はすでに忘れているらしい。
「そうね。一応……お父さんとも相談しますとお返事したけどね……でも……」
母親はうつむいたまま、言葉の歯切れが悪い。
「どうしたの?」
「和泉、お母さんね……賢さんが怖いわ」
「ええ? 怖いって、賢ちゃんが?」
「そう」
「どこが?」
「あなたに対する執着がよ。八歳から二十年間、ずっと好きだったって言ってたわよ?」
「ま、まあそれは……」
(そんな事まで言わなきゃいいのに、賢ちゃんたら)
「まあ、年収はいいみたいだけど」
「はあ? 反対してるくせにそういう事はチェックしたの?」
「ち、違うわよ。賢さんが年収はいくらで、貯金はこれくらいでって言うから」
「賢ちゃん、そんな事まで言ったの」
「ええ、無口な人だと思ってたから、今まではそんなに変わった人とは知らなかったわ。和泉には優しいとは思ってたけど、二十年片思いって……」
「まあ、そこは大げさに言ってるだけよ」
「そうなの? もしかして、女の子とつきあった事もないんじゃないの?」
「そ、そんな事知らないわ」
「それに……加寿子様が……あんな事になって、賢さん少しも悪びれてないじゃない。普通の神経なら……」
「お母さんはその場にいなかったからよ、ずっと加寿子伯母様とも会ってなかったじゃない。どんなにあの人が酷い事をしたか、知らないじゃない」
和泉はむっとして言い返した。
「だからって、おばあさまよ? あの人にとって、実のおばあさまを……悪霊を祓うのとはわけが違うわ」
「だったら、あたしが死んでもよかったの?」
「そうは言ってないわ」
「そういう事よ。あたしは加寿子伯母様に殺されるところだったのよ? それを賢ちゃんが命がけで助けてくれたわ。賢ちゃんだって、死ぬとこだった。それに賢ちゃんの式神が犠牲になった。みんな、あたしを助けてくれたのよ? それを……」
「でも、何も加寿子様が死ぬ事はなかったでしょう? 賢さんが和泉をあきらめてくれたらよかった話でしょう? 加寿子様も二人の事に反対だったんでしょう?」
「伯母様はあたしを憎んでたわ。賢ちゃんの事以前にあたしが憎かったのよ。だからあたしを殺そうとしたのよ。昔、おじいちゃんに振られた恨みですって」
「その話は聞いたわ。でも、賢さんが和泉をあきらめたら、加寿子様もそこまでしなかったんじゃないかしら。賢さんは実のおばあさまを手にかけたのよ? 和泉の為によ? あなたを手に入れる為になら実のおばあさまでも手にかけられるのよ? そんな人と結婚だなんて、あなた恐ろしくないの? 本家に入ったら苦労するというのは本当よ……でも、そんな事よりもお母さんは賢さんが怖いわ。やっぱり結婚は反対よ」
「お母さん! 加寿子伯母様はもう人間じゃなかった。あの人こそが悪霊だった。あたし達がどんな目にあわされたと思ってるの? 賢ちゃんは悪霊を祓っただけよ! 賢ちゃんを人殺しみたいに言わないで! 賢ちゃんはいつだってあたしを守ってくれてるだけよ!」
和泉はバッグを持って部屋を飛び出した。
「和泉!」
階段をカンカンカンと駆け下りる。
大きな通りに向かって走っていたが、涙が出てきて前がよく見えなかった。
通りの四つ角にはコンビニがある。
そこまで行こうとしていた。
四つ角からコンビニの駐車場へ左折しながら入ってきた車は急いでいたのか、スピードを緩めずに侵入してきた。
和泉は目をこすりながら、そしてバッグの中から携帯電話を取り出そうとしていた。
「キキッ」とどこかで聞いたような声がした、と思った瞬間、和泉の身体が車にはねられて、二、三メートルほど飛んで地面に落ちた。
「キーーーーーーーキキッ」
と緑鼬が鳴いた。




