水蛇の悲しい恋
賢の首にじわっと血がにじんだ。
それには構わず、賢は和泉の胸元にもキスをした。
和泉の傷を吸い取っているのだから、キスというのは語弊があるかもしれない。
胸元の傷がなくなると和泉の息が少し楽そうになった。
その代わりに賢の胸元に細く長い傷が入った。首の傷よりは深く、そこからも血が流れ出た。
賢が身体を起こして振り返ると、背の低い小男が包帯を手にして立っていた。
「茶蜘蛛か」
「へい、手当させていただきやす」
と茶蜘蛛が言い、賢の首と胸元の傷に軟膏を塗った。
「ちょっとばかし染みるかもしれませんが、こいつは我ら一族に伝わる軟膏で、よく効くんでさ」
傷の上にガーゼを貼って、包帯を巻く。
「ワカ、モウコノクライニシテオイタホウガイイデショウ。コレイジョウハ……」
と赤狼が止めたが、賢はそれには答えずまた和泉の方へ向き直った。
和泉の左手首を持って、その手首の傷にもキスをした。
その賢の表情がとても彼女の事が大切だと語っているようで、赤狼も黙ってしまった。
だが賢が痛みに顔を少しだけしかめた瞬間に、我慢できない者がいた。
「もう、やめるにょん! 若様の身体は和泉のせいで傷だらけだにょん! あの時だって、和泉の傷を治してやって死にかけたにょん! 若様はいつか和泉のせいで死んでしまうにょん! それなのに、和泉はちっとも若様の気持ちなんか分かってないにょん!」
天井から泣きそうな悲しい声が響いてきた。
「水蛇、玄武神に戻れ」
と賢が言った。
「どうしてそこまでしてやるにょん!」
「女の子なんだから、身体に傷が残ったら可哀相だろ」
と賢が答えたが、何となく照れくさそうに言ったので、誰かがくすっと笑った。
「ミズキはん、戻りなはれ、若が怪我すると能力が格段に低下するんは承知やろ。今こそ四神が若の守護を堅めなあかんねんて」
と紫亀の声が響いてきた。
「そんな事分かってるにょん……」
茶蜘蛛が賢の左手首の手当を終えると、賢は和泉の足下の方の布団をめくった。
右足の太ももに巻いてある包帯にはかなりの血がにじんできており、傷口の周囲の皮膚は熱を持っている。
丁寧に和泉の太ももにキスをして傷を吸い取る賢の表情が険しくなる。
太ももの傷は深く、かなりな痛みと熱を持っていた。
賢の太ももに亀裂が入り、どろっとした血が流れ出てきた。
和泉の寝息が軽くなり、すやすやと眠り出した。
賢は床にどさっと座り込んだ。茶蜘蛛の手当が終わると、よろよろと立ち上がる。
「和泉には言うなよ」
と言ってから片足を引き摺りながら部屋を出て行った。
はっと目が覚めたから、和泉はしばらく動かずにじっとしていた。
頭の中で大急ぎで考える。
布団の中に自分がいるのは分かっている。
今日は何曜日だ? 仕事は? でもここは自分の部屋じゃない。ぐるりと目玉だけを回して辺りの様子をうかがう。
「ああ、そうか、別荘に来てたんだ」
そろりそろりと身体を起こす、
「わ、なんで裸なの」
しばらく毛布を抱えて思い出そうとする。
「賢ちゃんと喧嘩したんだっけ? その後、どうなった?」
頭が重くて、身体がだるい。
入り口付近で寝そべっていた赤狼が耳をぴくっと動かしてから、顔を上げた。
「赤狼君、あたしどうして寝てたのかしら?」
だが赤狼はぷいっと横を向いた。
「あら」
ベッドから下りようとして、足下に血のついた包帯とガーゼが散らばっているのに気がついた。
和泉は自分の身体を見下ろした。別にどこも怪我をしていない。
パンツ一枚の姿である以外はどこも異常はない。
ベッドの横に自分の旅行用カートとバッグがあった。
バッグから携帯電話を取り出すと、午後四時だった。
「え? 何でもう夕方? 昨日の夜中に着いてすぐに賢ちゃんと喧嘩したよね? で、何で夕方なんだろう?」
思い頭を抱えて、部屋についてる洗面所に入る。
寝ていたわりには顔色は最悪で、肌もかさかさだ。
シャワーの暖かい湯を浴びると少しほっとした。頭と身体を洗って、すっきりする。
新しい服に着替えてから部屋を出た。後から赤狼がついてくる。
「賢ちゃん、どこにいるの?」
赤狼はぷいっと横をむく。
「教えてくれてもいいじゃん。やっぱりあたしが嘘をついてると思ってるの?」
やはり赤狼は無言である。
「いいよ、勝手に探すから」
この別荘へは何度か来たことがある。
二階にはいくつもゲストルームがあるが、賢が好んで使っていた部屋も知っている。
一番南側の部屋だ。その部屋のベランダのすぐ側に、伝って外へ出られる樹木があって、子供達は深夜にそっと抜け出しては夜の雪山で遊んだりしたものだ。
和泉はコンコンと部屋をノックした。
「和泉だけど」
「今、忙しい、後にしてくれ」
と冷たい声が返ってきた。
「あ、うん」
和泉はしょぼんとした顔であきらめて、階下へ降りた。
暖炉の前には誰もいない。
和泉はキッチンへ入ろうとして、赤狼にセーターの裾を引っ張られた。
「何?」
まるで入るなと言っているようだ。
「何か飲みたいんだけど。お腹もすいたし」
そう言いながら、キッチンへ入り込む。
「え、これ、何?」
庭へ面した大きなドアガラスが割れている。それを横倒しになったテーブルが塞いでいた。
「これ……」
と和泉が壊れたガラスを見ながら考えている。
何かが頭をよぎった。
無意識に和泉の手が首筋や胸元を触っている。
そして左手首を見てから首をかしげた。
「あたし……」
と言って赤狼を見たが赤狼は気まずそうに横を向いた。
「あんたがやったにょん!」
と声がして、いつのまにか水色の髪の毛の娘が和泉の前に立っていた。
「あたし?」
「そうにょん、あんたが身体を乗っ取られたばっかりに。いつもあんたのとばっちりは若様が受けるんだ! あんたが死ねばよかったのに!」
と和泉に言い放つ水色の娘の瞳には憎しみがこもっていた。
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