賢ちゃんと和泉と恋の始まり3
和泉の前に子供の賢がいた。仁も陸もいる。みんな子供で、酷く傷だらけだった。仁は顔に傷がいっぱいで、陸を庇うように立っていた。賢は……賢は膝をついて、胸を押さえていた。小さな手で押さえている傷からどくどくと血が流れているのが見える。
和泉は……和泉は笑っていた。きゃははははと笑っている自分と、嫌だ嫌だ、賢ちゃん、死なないでと泣いている自分がいた。
賢は苦しそうに「和泉」と和泉の名前を呼んだ。
「戻れ、和泉、負けるな!」
と賢が言った。でも和泉は膝をついて苦しそうな賢の体を蹴飛ばし、甲高い声で笑った。 横倒しになった賢の胸の傷を和泉の足が踏みにじった。苦しそうに賢がもがいた。
『やめて、やめて死んじゃう! ぎゃはははは! 土御門の末裔め! みんな喰らうてやるわ!』
和泉の声と太く濁った声の両方が和泉の口から出た。和泉の意識は賢ちゃんを心配しているのだが、体は思いと違う行動をする。和泉の体は悪霊に乗っ取られ、賢ちゃんを殺そうとしていた。だが、賢ちゃんは和泉を攻撃できないのだ。
「やめて……やめて……賢ちゃんが……死んじゃう……」
「和泉! 和泉!」
体を揺さぶられて、はっと気がついた。和泉は暖炉の前でうたた寝をしていたようだ。
体を起こすと涙がぽとりと落ちた。
「賢ちゃん……」
「大丈夫か、うなされてた」
「……夢を見てた。私が賢ちゃんを殺そうとしてた。でも、あれは夢じゃない。本当にあった事よね? 私の体に悪霊が入り込み、賢ちゃんを襲ったんだわ。私が悪霊だった」
賢は和泉の横に座ってグラスにワインを注いでぐいっと一息で飲んだ。
「あれは事故だった。ガキばっかりで山の中まで入ってしまって、夜の悪霊に偶然出会っただけだ。和泉がそいつに憑かれたのは運が悪かった。俺もガキだったし、力も未熟でそれを防げなかった。怖い思いをさせて悪かったな」
「ううん、違う。違う。私が、私が悪かったの。むやみに山の中へ入ってしまったのは私だった。賢ちゃん達は私を探しに来てくれたのに、そんな事に巻き込んだのは私だった」
全て思い出してみれば本家の大伯母達が怒るのも無理はない事だった。あの時の傷は賢のような子供には重傷だったし、仁も陸も大怪我だった。
ショックで何もかも忘れた和泉とその後も変わらずにつきあいを変えなかった本家に感謝しなければならないくらいだ。
「ごめん……なさい」
「もっと早く……」
と賢が言った。
「え?」
和泉が顔を上げると、
「もっと早く、好きだと言えばよかった」
暖炉の火がぱちぱちっと弾けて音をたてた。
「和泉がその事を思い出す前に告白するべきだったな」
と賢が言って笑った。
「賢ちゃん」
「俺は臆病な子供だったよ。本家の長男に生まれて、物心ついた時から当主とはどうあるべきか、なんて事を言い聞かされて育った。弟が二人も生まれても、何一つ許される事はなかった。霊能力の高さが跡取りを決めるなんて馬鹿げた風習でも、俺はそれに従うしかなかった。霊能力なんていらないんだけどな。人より余分についてるその能力もうまく使いこなせない。人より臆病で、霊魂や怪談が人一倍嫌いなんだ。親父に連れられて祈祷場に行くのが嫌で嫌でしょうがなかった。仁や陸みたいな子供らしさもない、親に甘える事も出来ない。きちんとしなくちゃいけない、長男だから、次期当主だから、と思い詰めていた。ガキの頃から悪霊を祓うしか能がない俺に他に生きる道なんかなく、いつか悪霊と戦って死ぬんだろうな、と思ってたよ。願わくば早めにってな」
「そんな風に思ってたの?」
「ああ。いつ死んでもよかったんだ。今度生まれ変わったら、貧乏でもいいから普通の家に生まれたいな、とずっと思ってた。五才やそこらでそんな事考えるんだぜ。でも和泉と一緒に遊ぶようになってからかな、俺、ちょっと強くなった。和泉も小さい頃から見鬼でよく霊が見えて怯えてたよな。それを祓ってやると和泉が喜ぶんだ。すげえ、尊敬した目で俺を見るんだ。俺、それが嬉しかった。自分の存在意義を見つけたような気がした」
「賢ちゃん……」
そうだっけ?
賢ちゃんにはいじめられていたような記憶しかないんだけどと思ったが、それは口には出さなかった。確かによく追いかけてくる霊を祓ってもらったのは事実だ。
「だから、俺が怪我をしたとか死にかけたとかは和泉のせいじゃないんだ。俺が自分の存在をかけてやってるだけだから」
賢はまたワインをぐいぐいと飲んだ。飲み干してはまた注いで、また飲み干した。
「……ガキの頃から和泉の事が好きだった。でも、恩に着せるつもりはないし、守ってやってるなんて思ってもない。ただ……俺が和泉の側にいたいだけだ」
そう言った時の賢ちゃんは和泉が初めて見る照れくさそうな顔だった。
和泉は言葉を探したが、何と言っていいのか分からなかった。
彼が待っているのはイエス、なのか、ノーなのか。
賢の事は好きだけど、恋愛的に言うと違う。でも、ノーと言ったら、もう会えないような気がする。それも嫌だ。
悪霊から守って欲しい、という意味じゃない。賢は今までずっと近くにいたから、家族みたいな気がしている。
どうしよう、どうしよう。時間が過ぎていく。何か言わないと。
「いいよ、無理しなくて」
と賢が言った。
「え、違う。無理とかじゃない。あの、あのね。でも急だったからびっくりした。だってね、昔から親がよく言ってた。賢ちゃんは家を継ぐ身分だから、格式のある家のお嬢さんとお見合いして、結婚するだろうって。だから、賢ちゃんはそういうもんだと思ってたから、子供の頃からお兄さんみたいなもんだったから」
「そっか」
ちょっとがっかりしたしたような賢の声、
「でも、でもね。賢ちゃんに永遠に会えないって言われたらきっとつらくてつらくて大泣きしてしまうくらいは好きなの」
そう言った瞬間にはもう涙声になっている自分に驚いた。
暖炉とワインと雪のせいかな。
でも、こういうのも悪くないかも。