賢ちゃんと和泉と恋の始まり4
「和泉」
と賢が言ったので、顔を上げて横を見るとすぐ側に賢の顔があった。賢の顔が近づいてたので、選択は二つ。逃げるか、目をつぶるか、だ。
目をつぶるって事は受け入れるって意味で……キスを受け入れるってことは……やっぱり、その先に進むよね。バージンでわけでもなく、そんなにぶりっこ女でもないけど、ちょっと緊張する。さあ、和泉、どっち?
和泉は目をつぶった。どきどきする。誰かと触れあうこと自体久しぶりすぎて、緊張する。
だが、一向に賢の唇が和泉のそれに重なる事はなかった。
「ん?」
薄く目を開けると、賢の顔はすでによそを向いていた。
「ちょ、ちょっと……」
「くっそ~、肝心な時にいつもこれだ!」
と賢が言い、和泉の肩から手を離した。
「?」
賢は立ち上がり、窓辺に寄っていって分厚いカーテンの隙間から外を見た。
「どうしたの?」
「和泉はここにいろ」
「賢ちゃん」
風呂上がりの賢はTシャツとアディダスのジャージ姿だったのだが、そのまま大広間を出て行った。和泉はカーテンの隙間から賢が覗いていた方を見た。
激しい風で雪が渦を巻いてる。外灯がほのかに庭を照らしているが、真っ白に積もった雪以外は何も見えない。庭の樹木も乗ってきた車もすでに雪に埋もれてしまっている。
半袖姿のままで賢が玄関から庭に出て来た。すぐに雪か降りかかり、賢の姿はたちまち真っ白になった。
「さ、寒くないのかしら、賢ちゃん」
賢を見ていると、右手を上げてまっすぐ前に伸ばした。左手は印をきって胸の前にある。
賢が何か叫んだ瞬間に、ぱあっと辺りが酷くまぶしく光った。
「え、何?」
すぐに元の闇に戻った。賢ちゃんは体の雪を振り払いながら、玄関の方に歩いて行った。
たぶん、察するところ、また悪霊でも来たんじゃないだろうか……。
賢はタオルで頭をこすりながら、広間の中に入ってきた。ずぶ濡れになったTシャツを脱いで右手に持っているが、履いているジャージも濡れて色が変わっている。ぽたぽたと床に水滴が落ちる。
「何だったの?」
賢は暖炉の前に座って濡れた髪を乾かして始めた。
「霊魂は水に溶ける。だからよほどの執念がないと海辺には霊が集まらない。実際には霊ってやつは人の多い所に集まりやすいんだ。人の多い場所は欲望や恨み妬みの念がわんさか漂ってるから。それは邪悪な霊の栄養になる」
「へえ」
「水に溶けるってことは氷になるってことでもある」
「え? 霊が凍るの?!
よっぽど驚いた声で和泉が聞いたのだろう、賢は笑った。
「文字通り怨念が凍りつくのかもしれないな。こういう雪の深い場所には氷漬けになった霊がよくいる。霊能者に気がつくと、氷の中から出してくれ、と騒ぐ」
「へえ、そうなんだ。それで、出してやったわけ?」
「ああ、二度と凍らないように灼熱の地獄まで吹き飛ばしてやった。いいとこで邪魔しやがって。なあ、和泉」
と賢が言ってこちらへ手を伸ばした。
氷漬けの霊のせいで和泉はほんの少し理性を取り戻していた。もう一度ラブシーンをするには気力が削がれた、と思っているとラグの上に放り出してある賢の携帯電話が鳴った。 表示されている名前は朝子だった。
「で、電話鳴ってるけど」
「いいさ」
「よ、よくないんじゃない? 朝子さんからだよ?」
「後でかけ直す」
和泉は迫ってくる賢の体を押しのけた。
「駄目、あたし、こういうの気になって駄目。出て」
「ちぇ」
と賢が舌打ちをしてから、鳴り続ける電話を取った。
「もしもし? ああ……え? 仁が? それで状態は? 陸とお父さんが……そう、分かった。すぐに戻る……けど、今からそっちに向かっても着くのは朝だな。ああ」
と言って電話を切った。
「仁君、どうしたの?」
賢ははぁ~~と深いため息をついて、頭を垂れた。
「ど、どうしたの?」
「俺の代わりに行ってた祈祷場で仁がやられたらしい。ずいぶんとでかい悪霊らしくて」
「え、だ、大丈夫なの?」
「命に別状はない」
「そう、それですぐに戻らなくちゃならないの?」
「ああ、親父と陸でそいつを押さえてるらしいけど、祓うまでは無理みたいだ。俺が行かないと……」
「じゃあ、すぐに出発しないと! 帰るのに時間がかかるわね」
暖炉の上の時計の針は午前三時を指していた。
「うん……そうなんだけどさ……」
がっくりとうなだれている賢をおいといて、和泉は自分の着てきた服に着替えた。和泉の荷物は財布と携帯なんかが入った通勤バッグだけだ。
「賢ちゃん、早く!」
「ああ……そう、そうなんだけどね、もうちょっとだったのに……」




