レッスンからの帰り道
帰り道の会話は?
「え、真由子さん?」
驚いた真理が叫ぶ。
目立たないように、更衣室を出てきたつもりだったのに、真由子が追いかけてくるとは思わなかった。
「さっきまで」
と真理。
そう、つい今しがたまでお喋りしながら、ゆっくりと着替えをしていたではないか。
「着替えるの、早いでしょ」
そう言って笑う真由子。
早いというよりも、ブラウスのボタンがはめられていたなかったり、襟がクシャっとなっていたりして慌てて着替えたのがよくわかる。
髪も、お団子あたまそのままだ。
いつもなら、真由子は結った髪をおろしてから帰るのだ。
まあ、わあかるやすく真理を追いかけてきたのだろう。
真理とは同じ方向の電車で途中まで一緒だ。
あすかバレエスタジオの出口で、まだ立ち話をしていたいずみ先生と康太先生たちに挨拶をして、
そのまま駅に向かう真理。
その時、いずみ先生が、真由子に何やらつぶやいたのだが、
「今日は帰るわね。かなり疲れたし」
と小さな声で答えていた。
駅までの道で、
「飲みにでも誘われたの?」
と真理が聞いてみた。
さきほどのいずみ先生とのヒソヒソ話の事だ。
「そうよ。でも今日はパス。明日も仕事だしね」
と真由子。
真由子が稽古の後、時折いずみ先生と食事に行くことは誰もが知っていた。
もちろんお酒を飲みながらの夕食だ。
いずみ先生と真由子はプライベートでも交流がある。
お互いに似たところがある、とかで話が合うのだそうだ。
真由子にしても、自分だけ「先生」から誘われるだなんて、まるで特別扱い。
悪い気はしない。
いつも、酒を片手にバレエのこと私生活の事を楽しく語り合っていた。
そんないずみ先生からの誘いをその日は断った。
これはどういうことだろうか。
真理は内心考え込んでいた。
「行かなくていいの?」
ともう一度真由子に言う真理。
それでも、真由子の返事は同じだった。
「今日は、真理ちゃんと帰りたいの」
あっさりとそう言う真由子。
それから駅までは他愛もない話をしながら歩いた。
真由子が住んでいる、小さなアパートが狭くて引っ越したいこと、
休みの日には無理にでも予定を入れないと一日中寝てしまう事、
仕事は順調だけれど、頑張ると昇進してしまうので有難迷惑な事。
真由子の話はどれも真理がやりたくても出来ない事ばかりだった。
面白おかしくテンポよく話す真由子。
ひき込まれそうな真由子の話術だが、真理は楽しいと同時に、空しい気持ちにさせられていた。
真理には安定した家庭があり家族がいるが、それは自分だけの自由もきままも、そして社会的なキャリアアップも縁がない世界なのだから。
「お嬢さんから、何か聞いてない?」
と急に舞香の話を始めた真由子。
どうやら、次の発表会のことで舞香が知っていることを探っているのだ。
「特に、何も知らないわよ、発表会の出るのかどうかも聞いてないし」
と真理が言う。
「そうなんだ、舞香ちゃん、トロワの候補みたいよ」
と真由子。
「あなたの方が詳しいじゃないの」
と内心思う真理。
トロワ、パドトロワ、「白鳥の湖」の一幕で、王子の友人たちが披露する踊りだ。
女性ダンサーが二人、男性ダンサーが一人の三人で踊る。
華やかで、踊りがいもありとても人気のあるは配役だ。
エリゼもパレ・ロワイヤルバレエ団で踊ったことがある。
「そうなんだ。まあ無難なところね」
と真理。
舞香なら立派に踊ることが出来るだろう。
「でね、もう一人の女性を悩んでいるんだって」
と真由子が言う。
「私さ、舞香やんとは背に高さも同じくらいじゃない?」
と続ける真由子。
そう言えば、そうだ。
真由子と舞香、背格好はよく似ている。
母である真理よりも。
どうやら、真由子は舞香とパドトロワをやりたいと思っているのだ。
それを真理に話すということは。
「真由子を推薦しろって?」
と真理が心でつぶやく。
「配役は先生たち、悩むところよね」
と真理ははぐらかすように言う。
「先生が最適な配役をするわよ」
と真理はそう言うだけだった。
真由子としても、自分の希望を真理に伝えた。
それで、その日は満足だった。
「それから、バレコンはやるみたいよ」
と真由子。
やはりかなりの情報を知っている。
バレコン、バレエコンサート。
幕物と違って、人気のある踊りや見せ場を集めて上演する。
発表会などでは、生徒の希望を取り入れてもらえることも多い。
「それでね、私たちから選抜して、眠りの妖精はどうかって」
と真由子。
眠りの森の美女にでてくる6人の妖精の踊りだ。
プロローグ、それぞれの踊り、コーダという構成で、なかなか見どころがあり、発表会で踊られることも多い。
「私、リラがやりたいな」
と真由子が言う。
リラの精、この踊りの中心的な存在だ。
まあ、主役といっとところだろう。
「リラのバリエーション、ほんとに素敵。私、どうしても踊ってみたいの」
と真由子は夢見心地で言う。
真理としては、内心混乱状態だ。
このひと(真由子)は何が言いたいのだろうか。
パドトロワがやりたい、と言ったと思えば今度はリラの精。
あわよくば両方狙っているかのようだ。
さすがに、無理だろうが。
真理は真由子が期待するような、極秘情報を持っていないのは明らかだ、
トロワのネゴも期待薄。
「真由子さん、飲み会断った意味なかったんじゃないの」
と真理はいささか心苦しい。
それでも、真理の中でエリゼが敏感に反応していた。
「リラの精という言葉にだ。
「あのさ、私、リラ、嫌いなのよね」
と思わず口に出る。
それはエリゼの本心だった。
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