誕生日まで
エリゼの揺れる心
「おはよう」
真理にそう声をかける舞香。
しかしその笑顔はすぐに曇った。
「ママじゃないのね」
と小さく呟く舞香。
舞香も昨夜、エリゼが天国の門の審査官との面談だったことを知っている。
あわよくば、今朝から真理はいつもの母が戻っているのかと考えていたのだ。
しかしながら、そうではないらしい。
真理の姿を見ただけでそう判断した舞香。
娘の直感だ。
「ダメだったの?」
と諦めたように舞香が言うが、すぐさま真理は遮るように、
「違うのよ。諸事情あってね、真理の誕生日まで待ってほしいの」
と叫んだ。
そして、天国の門でのいきさつを話した。
真理を戻すことはできるのだが、真理の身体と心への負担を考慮しすぐにと言うわけにはいかず、来週の真理の誕生日から、ということになぅたのだと。
それを聞き、舞香も納得したようだ。
もう幼い子なわけでもないのだから、真理の心身の事を考えてと言われては、同意しないわけにはいかない。
「そうよね、いきなり戻されてママが壊れちゃったりしたら元も子もないわ」
と。
「それで、あなたの進路の事、間に合うの?」
と真理。
「担任の先生に確認してみるけど、たぶん大丈夫。ママに相談したいというよりも、ママにガツンと言っては欲しいだけなのかもしれないしね」
と舞香が言う。
「そのために、あの大騒ぎなの?」
とエリゼは内心思ったが、口には出せない。
「じゃあ、来週までは今まで通りね。また女子トークしようよ。
ママが戻ればそうはいかなくなるでしょう?」
と舞香。
「そうね、今後の事を打ち合わせしておかないといけないしね」
今まで、真理の身体に憑依していたエリゼ。
それが、真理も同居となる。
一つの身体を二人で使うのだ。
もう若くはない真理の身体へのダメージ、心への負担、そのあたりは審査官からくれぐれも注意するようにを釘を刺された。
それに、真理が戻ることによって、エリゼの叶えたい真理の夢が歪曲されることも懸念された。
「問題山積なのよね」
とエリゼ。
しかし、以前から、真理の夢を叶え、舞台の真ん中で踊った時、真理が真理の中にいない、それでは違うのではないか、そう感じていた。
「これで、本当に真理の夢を叶えてあげられる」
とエリゼは思った。
週末にかけて、夫と息子が帰宅しており、ひと時の家族団らんを過ごしたが、また日常が戻ってきた。
娘の舞香と二人だけの、このガランとした家。
しばらくして舞香は登校して行き、真理は一人で家に残った。
自分も支度をして仕事に出かけなければ。
「すっかり慣れてきたな」
とエリゼ。
この家の日常にすっかりなじんでいる自分。
ここでの生活はなんだか穏やかで温かい。
それも、真理がこの家を切り盛りし、縁の下の力持ちとして支えているからに違いないだろう。
「私も家庭を持つならこんな感じがいいかな」
エリゼは真理たち一家が自分の理想の家族像であることに、改めて気付いていた。
「じゃ、私の国の殿方じゃだめよね」
と一人考える。
エリゼの母国では、男性も女性も自己主張が激しい。
使う言葉の違いもあるだろうが、少し意見を言い合うとまるで喧嘩をしているようだ。
真理の夫祥太は、いつもおだやかで大声を出すことも、乱暴な言葉使いをすることもない。
それは息子の和人にも引き継がれている。
それがなんとも安心できて平穏に過ごせる一因なのだ。
天国の門のメーターの調整もあり、エリゼが祥太に「恋愛感情」を持つことはないが、
いつか結婚するならこんな男性がいい、そう思うようになっていた。
もちろん、エリゼの年齢に見合った年頃であること、これは譲れないのだけれど。
しかし、そんな男性はエリゼの母国にはあまり存在しないのだ。
真理と同居となると、こんなことも考えられなくなるだろう。
エリゼの「考えていること」が真理に同期されることはないのだが、それでも今までの様にはいかないだろう。
そんなことを考えつつ、支度を済ませて仕事へと向かう真理。
会社での過ごし方も、この先少し変わるだろう。
今までのように、大西大河とバレエ談義をすることも出来なくなる。
それは。
少し、いやとても寂しい。
もちろん、大河から見た真理は今まで通りの「真理」であり、自分の母親と言ってもおかしくはない存在なのだが、エリゼからしたらいつしか気の置けないいい友達のような存在になっていた。
「真理の夢を叶える」これがエリゼに課せられたミッションだ。
そのために出来ることはすべてやる。
真理との共存、これもその一環だ。
舞香だってそれが希望なのだ。
そう思っても、なんだか心がざわつく。
自分が真理として生活をしてきて、やっと軌道に乗ったところだ。
それが少しばかりでも確実に崩れるのだ。
「そんなこと考えちゃだめだよ」
と一人つぶいた。
そして、勤務先に着いた時にもまだ首を振りながら歩いていた。
手でこめかみを押さえ、まるで頭痛でもがまんしているかのように。
「真理さん」
そんな前に声をかけたのは、その噂の職場のバレエ仲間、大西大河だ。
「大丈夫ですか?」
と大河。
「え、ええっと。何でもないわ。おはよう大西君」
と真理が慌てて言う。
「そっか、ならよかった」
と大河。
「真理さん、次のいずみ先生のレッスン、いよいよ康太さんのアダージオ体験ですね。
僕も手伝いに行くので、楽しみにしていてくださいね」
と大河が言う。
次のいずみ先生のレッスン。
それはもう翌日に迫っていた。
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