アピールはさりげなく
久しぶりのホームグラウンドでのレッスン
少し離れた位置からでも、その視線は刺さった。
笑顔でありながら、意地悪な冷たい視線。
真理は真由子の事を見返したが、そのとこには真由子はもう自分を見てはいなかった。
「せっかく、睨み返してやったのに」
といい加減苛立ちを感じていた真理。
しかし、何事もなかったかのようにレッスンは進んで行く。
今は、発表会のリハーサルもない、ごく普通の基礎レッスンが中心だ。
こういう時にこそ、しっかりと、さりげなくアピールしなくては。
配役を勝ち取るためには、何かしらのアプローチだって必要だ。
特に、真理のように特に目立つ技術も華やかさもない、「その他大勢候補」の場合は。
とエリゼが少しばかり焦りながら思う。
まずは、独りで踊ることに躊躇がないことを示す。
そして舞台に立ったときの見栄えが、せめて「及第点」に達していること。
この二つは重要だ。
舞台の真ん中で踊るには、それなりの度胸が必要だ。
それが普段レッスンから、もじもじと「お先にどうぞ」なんてやっていてはとて「任せらない」と判断されても仕方ないだろう。
そして、見栄えの問題。
バレエは芸術だ。
見た目の美しさは、当然の重大要素だ。
バレエ学校では、スタイルについて辛辣に指摘をされる。
厳しい基準をくぐり抜けて入学した生徒たちも、想定外の成長をした場合待っているのは退学だ。
女子はいつも体重の増加、肉の付き具合を心配し、男子は身長が伸びるかどうかを気にしていた。
しかし、ここはプロ養成機関ではない、街の小さな稽古場だ。
完璧なプロポーションを持つ者などほぼいない。
それならば観客が「自分でもできる?」と思えるほどの、少々難ありでも許容されるはずだ。
エリゼは、真理の身体がもう若くはない事、無理は出来ない事、そもそもの「素材」の問題であることに気付いている。
だから、「見て嫌悪感を抱かれない」のを最低条件にボディメンテナンスをしているのだ。
エリゼの記憶ではバレエ学校においては、発表会や公演などの配役はほぼ成績順に割り振れていた。
ごくたまに、イメージによってはその限りでもないが。
エリゼが入学して2年目のこと。
バレエ団の公演に、子役が必要となった。
そこで選ばれたのがエリゼだった。
その頃、エリゼの成績は学年首席ではなかった。
まだ、9歳。
成績の順位ということをよくわかっていなかったのだ。
そんなエリゼが選ばれたことに、担任のバレエ教師が不満を訴えた。
「なぜ、学年一位ではないエリゼが選ばれるのですか」
と。
「わたしは彼女の感性がこの役に一番適していると思ったからです」
とバレエ団の芸術監督が言った。
その言葉に渋々納得するバレエ教師。
「主席ではないけれど、選ばれたからにはしっかり踊りなさい」
と事あるごとに言われた。
そのことがあってから、エリゼは成績を意識するようになり、
それからずっと卒業まで主席を維持し続けた。
配役ももちろん、主役を任されることばかりだった。
まあ、それはプロとプロにつながる世界の話。
ここのような、ごく普通の人たちが集うバレエ教室とは比べようがない。
そんな「昔の事」を思い出している間に、レッスンはセンターへと進んでいた。
真理はまようことなく、いつもの立ち位置に向かった。
前から2列目、真ん中よりすこし右側だ。
しかし、その日はいつもよりも参加者が少なく、真理の前が空いている。
「そこ、誰か入っちゃって」
といずみ先生の声がする。
その声を聞いた真理はごく自然にためらうこともなく一歩前に出た。
空いている場所へと移ったのだ。
もちろん、真由子の視線を感じていた真理。
しかし、そんなことを気に掛けることはしない。
そして、センターレッスン。
ゆっくりとした動きから始まる。
足も上がらず、背中の湾曲もごく浅いが、腕の使い方、顔のつけ方、つま先、指先、
そんな細かなことに、気を配りながら丁寧に身体を動かす真理。
回転や小さなジャンプ、細かい足さばきのステップ。
どれも、基礎となる足のポディション、腕の軌道に気をつけながら動いた。
そして、自分の順番が来た時、そして踊り終わった時、
その移動にも気を配る。
「スタジオにいるときは舞台の上にいるのと同じ」
そう言われてきた。
このスタジオ内にいる限り、
「私はバレリーナ」
なのだ。
そして、最後のクールダウン。
ゆっくりとしているけれど、優雅で美しい音楽に合わせて、使った身体を最後にもう一度静かに動かす。
その日のレッスンはそれで終了だ。
「皆さん、お疲れ様。久しぶりの人もいるようだけれど、みんなちゃんと動けていて素晴らしいわ」
といずみ先生が言う。
真理たちのようにスタジオが閉鎖の間、何処かのオープンクラスを受けた者ばかりではないのだ。
「それで、お休み長引いたお詫びのかわりなんだけど」
といずみ先生。
「この前、合同発表会に出てくれた康太先生が、特別レッスンをしてくださるそうよ。
せっかくななので、アダージオも練習してみましょう」
と続ける。
その言葉に、スタジオ内の生徒たちからどよめきと歓声が起きていた。
応援していただけるとうれしいです。




