舞香、バレエに復帰する
舞香もバレエを再開することに。
「このひと(ママ)は」
笑顔を作りながらも舞香はそっと真理を見ていた。
「エリゼだ」
と思いながら。
かつて自分のなかにやってきた、エリゼ・リデル。
自分が生き延びるには、「誰かの夢を叶える」ことが必要な、生死をさまよっている天才バレリーナ。
そんなエリゼが巡り巡って、いま母の中にいるのだ。
「ファンタジーワールドへようこそ、ってことよね」
と舞香。
そして、にやりとほほ笑んだ。
「舞香ちゃん、どうしたの?」
と隣で楓が声をかけてきた。
「なんだか、うれしそうよ」
と。
「ああ、そうね。すごく楽しかったから、なんだかうれしくて」
と舞香が答える。
これは正直な気持ちだ。
「あなたは、久しぶりのお稽古みたいね?」
そこに、カレンも会話に加わった。
さすがに、分かる人にはわかるのだ。
「一度バレエを辞めたけど、やっぱり踊りたい、そんなとこかしら」
とカレンがそっと舞香にささやく。
思わずカレンを見つめる舞香。
その言葉があまりにも今の心情に重なったからだ。
「自分が楽しんで踊るバレエ、それもありだと思うよ」
とカレンが続けた。
その言葉はどこか舞香の心を軽くした。
バレエは好き、だった。
そう、過去形。
そのはずだった。
しかし、「好き」でありながらいつも何かに追われている気がしていた。
バレエ教室ではいつも一番上手でいたい。
それは出来た。
でも、コンクールに行くと、その自信はすぐに揺らいだ。
自分より「上手い」人たちだらけだ。
いつしかバレエの技術の優劣ばかり、を見比べている自分。
踊るのが楽しいはずなのに、何かが違う。
それに、母の期待。
バレエ教室での発表会で、同年代の中で一番いい役をもらった時、母の方が嬉しそうだった。
それが、コンクールでかろうじて本選に進んでも、入賞することもなく終わった時の、落胆を押し隠して作っている笑顔。
母の期待に応えられない。
それが一番つらかった。
それなら、もう辞めてしまえ。
高校生になって出来た友人たちと行った、お好み焼き屋さんで鉄板にへらをたてながら、
その決意はもう揺るがなかった。
この先も、そう思っていた。
「じゃあ、舞香ちゃんもいずみ先生のクラスにくればいいじゃない」
と真由子に言われて、思わず我に返る舞香。
「でも、母と一緒じゃあ」
と咄嗟に答えた。
「そうか、そうよね。お互いに気になっちゃうわよね」
と真由子が慌てて言う。
「じゃあ、康太先生のクラスはどう?僕も時々受けているんだけど」
と大河。
この前の合同発表会にゲストとして出演してくれた、康太先生。
大河にとっても、頼れるバレエの先輩だ。
その提案に周囲も賛同し、とんとん拍子で舞香のバレエ復帰が決まった。
「でも、あすか先生になんて言えばいいのかなあ」
と舞香がポツリと言った。
自分をここまで指導してくれたあすか先生。
バレエを始めた当初、バレエ講師として駆け出しだったあすか先生。
試行錯誤しながらも、舞香たちにバレエの楽しさ、厳しさを教えてくれた。
舞台に立つ喜びも、感動もあすか先生がいたから経験できたことなのだ。
「黙って他の先生のところには通いたくないな」
と舞香。
「あすか先生のクラスに復帰は出来ないの?」
と真由子が聞く。
「あのクラスは、コンクールや海外留学を目指すような、本気の子たちばかりだから」
と舞香がポツリと言った。
「じゃあ、あすか先生にちゃんとお話をして、それからにしましょう」
と真理。
真理が舞香がバレエを辞めることをあすか先生に話しに行った際、その帰り際に、
「舞香ちゃんがいつかどこかで、楽しんで踊れる日が来るのをまっています」
と言ってくれたのを覚えている。
あすか先生も、舞香がバレエを再開することを喜んでくれるはずだ。
例え、自分の「生徒」ではないとしても。
その真理の言葉で周囲は納得したように頷いた。
舞香は、真理の事を周囲深く見つめる。
あの言葉、あれはたしかに母だ。
「ママとエリゼが同居してるってわけ?」
と心で思う舞香。
もう舞香の中では、天才バレリーナ、エリゼ・リデルが、母の中に憑依していることは紛れもない事実。
そう思っている。
「じゃあ、私は次のクラスを受けるから」
と楓。
しばらく談笑していた、真理たちだったが、そろそろ次のクラスの受講者たちが集まり始めている。
次は、カレン・オオヌキが講師を務める「上級クラス」だ。
周囲は今まで以上に、プロフェッショナルな空気が漂い始めていた。
「私も、準備しないと」
とカレン。
「今日はお話できてよかったわ。またここにも受けに来てね」
とそう言うと、カレンは手を振りながら一旦スタジオを離れた。
「楓ちゃん、このまま上級クラス?」
と舞香。
「そのつもり」
そう言う楓は、周囲のプロダンサー風の受講者に囲まれても、まったく引けを取らない。
「私はわたし」
そんな楓の後姿を見ながら、舞香は思う。
楓のバレエに対する思い、それは舞香とはもう全く異次元のものだ。
それでも、舞香の心には喪失感はなかった。
「さあ、あとはママよね」
と舞香。
舞香は正直迷っていた。
母の中に、エリゼがいる。
これはもう確定的だ。
それをママ(エリゼ)に伝えるかどうか。
応援していただけるとうれしいです。




