記憶の中のバレリーナ
エリゼを知る人がここにも
スタジオ・アーツインのオープンクラス。
レベル、初中級。
さすがに、難易度は高く、周囲はプロ並みに上手なダンサーばかりだった。
しかし、そこは「オープンクラス」基本、誰でも受けることの出来るレッスンだ。
受講者たちもそれを理解している。
レッスンが終わり、スタジオ内は未だに熱気がこもっている。
まだかなりの受講者が、スタジオに留まっており、振りをさらって練習していたり、使った筋肉を丁寧にほぐしたりしている。
「なんだかプロのバレエダンサーに囲まれてるって感じね」
と真由子が言う。
確かに、スタジオ内で踊っている者、ストレッチをしている者、その姿はまるで舞台の一コマでも見ているようだ。
真理たちは、立ち止まって談笑を続けていた。
「前受けた時は、すぐに更衣室に戻っちゃって。こういうところを見られるのもここの良いところよね」
と真由子が続けた。
「ここに来るの、初めてじゃないんだ」
と大河が言うと、
「前に一度。その時もご一緒でしたよ」
と真由子。
そう言う真由子だったが、大河にはまったく見覚えがない。
しかたなく苦笑いでごまかしている大河。
そこに、
「あ、あなた」
と声がした。
グランワルツの時、真理に歩き方が優雅ね、と声をかけた女性だ。
真理の方に歩み寄るその女性。
背が高く、足も手も首の長く、そう、どう見てもバレリーナだ。
「あの人、カレンさんよ」
と楓が言う。
「カレン・オオヌキさんですよね」
と楓が恐る恐る声をかけた。
「あら、私の事、ご存じなのね」
と笑顔で言うカレン。
「お久しぶりです」
と大河。
「大河君、お稽古再開してくれて本当にうれしいわ」
とカレン。
カレン・オオヌキ。
ここ、スタジオ・アーツインの初代主宰者である、大貫久美子の孫にあたる人物だ。
長く外国のバレエ団で活躍し、帰国したばかりだという。
かつて、大河が留学した外国のバレエ学校はカレンの所属していたバレエ団の付属校だったのだ。
「で、真理さんともお知り合いなの?」
とカレンに聞く大河。
「あ、いえ、さっきのグランワルツの時の姿がとてもきれいで、そしてなんだか懐かしくてついお話したくなったのよ」
とカレンが言う。
その独特な話し方はいかにも芸術家だ。
「懐かしい?相変わらず文学的な話し方だね」
と大河。
「そう、なんだかとても懐かしいの。思い出したのよ、小さい頃のことを」
と、カレンが話し始めた。
まだ小さかった頃、ここスタジオ・アーツインで祖母が講師をしているのを窓から見るのが好きだった。
そんな自分は、まだバレエを初めてほんの数年。
当時からレベルの高かったこのスタジオでは受けられるクラスがなかったのだ。
そんな時、パレ・ロワイヤルバレエ学校の生徒が祖母のレッスンを受けに来ると聞いた。
パレ・ロワイヤルバレエ学校、その公演も観に行った。
これがまだプロではない「生徒」だなんて、とても信じられないほどのクオリティだった。
カレンは祖母に頼み込んで、一緒にレッスンを受けさせてもらう。
もちろん、邪魔にならないようにスタジオの片隅で。
鏡越しに見えている、バレエ学校の生徒たちのすべてを目に焼き付けた。
美し肢体はもちろん、腕の使い方、足の動かし方、その動き全てを。
そのレッスンで、短いステップの練習をした時、バレエ学校の生徒たちと同じ組になった。
すぐ前にいる、憧れの存在。
カレンはまだそのステップを習ったばかりで、スムーズには動けなかったが懸命にがんばった。
バレエ学校の生徒たちと並び、スタジオを斜めに進む。
優雅な動きを目の当たりにしながら、まるで夢の中のような気分だった。
そして、カレンの目の前を小走り駆け抜ける姿に目が釘付けになった。
つま先立ちをしながら、まるで水の上を走っているかのような、透明感のある優雅な動き。
たくさんのダンサーたちの稽古を目の前で見た来たカレンだったが、こんなに美し姿は初めてだ。
「その走り方にそっくりでね。思い出しちゃったのよ」
とカレンが真理に言った。
「わあ、そうなんですね。その生徒さんバレエ団員にはなれたんですか?」
と楓が聞く。
パレ・ロワイヤルバレエ学校を卒業しても、そのまま、パレ・ロワイヤルバレエ団に入れるとは限らないからだ。
「そうね、たしか主席で入団したはずよ。
えっと、名前はね」
とカレンが少し考え込む。
「そう、エリゼ、エリゼ・リデルよ」
とカレン。
「あなたの歩き方、あの時のエリゼにそっくりだったのよ」
とカレンが言う。
そう言われた真理の中のエリゼ。
エリゼもこのカレンの事を思い出していた。
このスタジオ、当時は木製の床で、滑り止めの「松脂」を使っていた。
それに鏡だったこれほど大きくはなかった。
そして、自分を見上げていたキラキラした目をした女の子、そうあれはこのカレンだ。
自分に向かって何か言ってきたが、その時はカレンの言葉を理解できなかった。
「私ね、そのエリゼに向かって、大きくなったら貴女みたいなバレリーナになるわ」
って言ったのよ。でも言葉は通じなかったみたいだけどね」
とカレンが言う。
カレンはエリゼに宣言した通り、世界で活躍するバレリーナになった。
「今の私があるのはエリゼのお陰よ。彼女に言ったこと、実現させないとッて思っていたから」
とカレン。
そんなカレンの言葉を聞いて、ほほ笑む真理。
カレンの話に感動したように、少し目を潤ませている。
しかし、心の中では、エリゼが、
「意外と私を知っている人が多いわね。あの歩き方だけで私を思い出すなんて」
と焦っていた。
「エリゼ、そう、エリゼ・リデル。私の心にもやってきたわよね、
なに、あなたなの、ママの中にいるのは」
そんなやり取りをずっと傍で聞いていた舞香。
真理の中にいる「誰か」がいる、そんな疑問は、「ママの中にエリゼがいる」という確信に変わっていた。
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