初中級クラスのレッスン
レッスンは進んでゆき
「そんなに私の側がいい?」
と舞香が楓に言う。
そして、二人で笑いだしてしまった。
「なんかのコンクールでもあったよね」
と楓。
かつて、一緒に出場していたコンクールで、
審査員をしていた有名ダンサーからレッスンを受けられる機会があった。
舞台の上にスタンドバーを出し、出場者たちがそこでレッスンを受けたのだ。
舞香は、たまたま客席に近い位置についたのだが、それを他の出場者にあっさりと「横入り」
されたことがある。
舞香のいた場所は有名ダンサーからよく見てもらえる、「一番いい場所」だったのだ。
その時、自分の隣に来るように、手招きをしてくれたのが楓だった。
「そんなこともあったよね」
と笑う舞香。
あの時の子は今頃どうしているのだろうか。
ここからなら、母の姿がよく見える。
舞香にとっては、この立ち位置変更はかえって都合他良かったのだ。
「さあ、みなさん。レッスンを始めましょう」
とスタジオ前方で講師が言った。
それまでのざわめきがすーっと引き、スタジオ内が静寂に包まれる。
そこに、ピアニストが静かに演奏を始めた。
受講者が一斉に講師とピアニストにむかってレヴァランスをする。
レッスン開始の挨拶だ。
バレエのレッスンは、バーにつかまってひざを曲げるプリエからゆっくりと始まる。
これはプロのダンサーでも欠かさず行う身体を整える大切な稽古だ。
プリエは足の屈伸運動だが、それに手や顔、そして上半身を使っての動きが付く。
講師が、手の軌道の指示をする。
「やっぱり」
と舞香が視線の先にいる真理を見ながらつぶやいた。
手の動きそのものは、講師の指示通りだが、そこまでの起動がロシアンスタイルとは違う、あれはロワイヤルスタイルだ。
それに、あの首筋、顔、とても「初心者」ではない。
真理の両隣にいるのは、舞香も顔を知っているバレエ団のダンサーだ。
そんなプロに囲まれながら、引けを取らない優雅な動きをしている真理。
「やるじゃん」
思わず感心してしまう舞香。
レッスンは進んでゆく。
バーを持ったまま、足を前、横、後ろへと高く上げる練習。
周囲はごく当たり前に90度以上、足を上げている。
そして、上げた脚をぐるりと180度前から後ろへと回転させる。
さすがに、真理の動きは周囲と比べると少々ぎこちなくなってきた。
股関節の柔軟さと、足の筋力、そして背中の強さがまるで足りていないのだ。
それでも、つま先、手の指先まで気を使い、綺麗に伸ばしている。
その動きはどこか優雅だ。
「真由子さんとは違うわね」
と舞香。
明らかに、その「見た目」が違う真理と真由子。
真由子の方が背も高く、細身で身体のラインは整っているのだが動きはぎこちなく、初心者であることが一目でわかる。
真由子が母に「張り合っている」と感じていた舞香。
真理の違和感を探ることをすっかり忘れて、真由子とのバレエの上手さの差を感じて安心してしまっていた。
「もう少し、ここ、伸ばして」
とそんなことを考えていた舞香の足に軽く触れる講師。
鏡を見ると、膝が曲がったままだ。
「私も、相当にリハビリしないとだわね」
と心で思う舞香。
前回、カトレア・クラブのオープンクラスでは、基礎中の基礎の動きしかしていない。
その時は気付かなかった、身体の衰え。
いくらまだ若いとはいえ、ほぼ毎日バレエのレッスンをしていた頃に比べたら、今では学校のダンスの授業で身体を動かす程度だ。
足は上がらず、バランスもとれない。
楓とはずいぶんと差が付いたものだ。
わかったはいたが、それが悔しくもあり、空しい。
それでも、このバーレッスンでさえ、楽しくてたまらない。
学校でのダンスの授業とはまるで違う、バレエならではのこの身体の使い方。
それがなんとも心地よい。
自分の思っている半分も身体は動いていないというのに。
母の敷いたレールに乗って始めたバレエ、そして自分から辞めたバレエ。
それでも、
「私はバレエが好きなんだ」
と心から痛感していた。
レッスンは進み、バーレッスンからセンターレッスンへと移った。
広いスタジオだが、大勢が受講しており全員一度にスタジオに並ぶことが出来ず、
二組に分けて順番で踊る。
真理は当然、後の組だ。
こういう場合、「上手い順」になることは暗黙の了解だから。
楓は先の組になり、舞香は残った。
「あと一人、ここ入って」
と講師が言った。
見れば一人分のスペースが空いている。
後の組に残っているのは、その大半が本来なら基礎クラスを受ける予定だった受講者だ。
講師の言葉に探り合うようにお互いを見つめる受講者たち。
なかなかその「一人」になる者が現れない。
「じゃあ」
と人影が動いた。
真由子だ。
と、ほぼ同じタイミングで、
「じゃあ、あなた入って」
と講師が声をかけた、
声をかけられたのは舞香だ。
舞香は黙って真由子の前を通り、空いているスペースに立った。
センターレッスンの最初は、ゆっくりとした音楽に合わせて全身を使って踊る「アダージオ」だ。
まずは講師が、軽く見本を見せながら振りを伝えた。
真理たちが知らないステップこそないものの、
「無理だわ、これ」
とエリゼの心の声が叫んだ。
上がらない脚、反らない背中、この真理の身体でどうしろと。
そこに、真由子が耳元でぽつりとつぶやいた。
「なんだ、もって難しいと思ってたのにね。私が後半の組になったら、みんなに見られるでしょ?
だから先にやっちゃおうと思ったのよ」
と。
レッスンで、指示された振りに自信がない場合、一緒にに踊っている「自分よりうまい人」をチラ見するものだ。
後半の組のメンツを見た真由子。
自分は「お手本」にされる側だと自信満々に言い放つ。
しかし、真理は自分がいかにこの振りをこなすか、そのことで頭がいっぱいになっていた。
適当に真由子に返事をする真理に、
「真理ちゃん、自信ないなら私の後ろにいるよいいわよ」
と真由子が言う言葉もきこえてはいなかった。
その時、
「あれ、真理さん?今日このクラスを受けてたんですね」
と後ろで声がした。
若い男性の声だった。
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