48歳と還暦と
48歳はどんなお年頃?
「これ、うそよね」
「こんなことがあっていいの?」
「この身体、私にどうしろと」
一人つぶやいているのは、真理の中にいるエリゼ。
風呂上がりにやってみたストレッチ。
身体が、まったく言う事を聞かない。
こんな身体とどう付き合えばいいというのだ。
すっかり途方に暮れるエリゼ。
エリゼからすると、真理の身体、これは論外、もうどうしようもない。
「歳だって幾つだっけ?」
とエリゼは自分にインプットされている真理の情報を引き出す。
「48歳」
決して若くはない年齢だ。
そろそろ衰えが始まっても不思議ではない年齢だが、エリゼの知っているこの年代は、
「マダム・カロリーナだってもう50歳だけど、あんなんじゃない」
ーそれに、アンナ先生だってー
エリゼは自分の知っている、真理と同年代の女性たちを思い浮かべた。
パレ・ロワイヤルバレエ団で踊っていたバレリーナや、自分を指導してくれた講師、
それにバレエを趣味としているレッスンピアニスト。
皆、バレエ関係者だ。
バレエと関わりのない、50歳前後の女性、
しいて言うならエリゼの母親がそうだが、真理とは少しタイプが違う。
母は、エリゼに似た体型と容姿を持っている。
身体の自己管理にもストイックだ。
「私、バレエに関わる人しか知らないから」
とエリゼ。
自分が育った環境、
バレエ学校での、バレエだけに囲まれて、バレエの事だけを考えていた生活。
そしてそのままバレエ団へ。
厳しい校則からは解放され、少しだけ世界は広がったが、それでも友人も知人も周囲にいる人たちも、
バレエにかかわる人たちばかりだった。
「これが、現実ってことよね」
何とか、いまのこの真理の身体を受け入れようとするエリゼ。
もう後戻りはできないのだから。
「それにしても、ね」
それでも、ため息しかでなかった。
そこに、出かけていた舞香が帰ってきた。
以前、少しだけ舞香の身体にも入り込んだが、大きな違和感もなく、心地よく過ごすことが出来た。
その身体からは、バレエの香りがしたからだ。
「ねえ、舞香ちゃん、ママってさ、年相応かなあ?」
と聞く真理
ここでは、親が子に話しかけるとき、自分の事をパパとかママとか言うそうだ。
エリゼの国ではそう言う言い方はしないのだが、郷に入っては郷に従え、だ。
舞香は、少しす不思議そうな顔をしながらも、まじまじと真理を見て
「そうね、歳よりは若いんじゃない?、なんかハツラツとしているっていうの?特にバレエを始めてから
おばさんっぽくはないかもね、バレエのお陰かもね」
と笑いながら言った。
「そうなんだ」
と思わず心うちのエリゼの声が漏れる。
その反応が舞香にはかつて感じた違和感を思い出させていた。
しかし、そのことには触れず自室に戻って行った。
舞香が去った後、エリゼは考え込んでいた。
まるっきり、「バレエには適さない」身体なのに、バレエをこんなにも楽しんでいるなんて。
エリゼにはそれが不思議でならなかったのだ。
それから数日して、いずみ先生の大人のバレエクラスの日となった。
合同発表会が終わって、最初のレッスンだ。
エリゼが真理として参加する、初めての稽古でもある。
これも、エリゼの脳裏にはインプット済みだ、真理は稽古のある日は仕事を早めに切り上げていることも。
真理は「いつも通り」レッスン着などもろもろを抱えて稽古場のスタジオへと向かった。
更衣室には既に数人が先に来ていた。
皆、合同発表会の事を話している。
「真理さん、発表会お疲れ様でした」
更衣室に入って来た真理に、誰からともなく声がかかった。
着替えをしながら会話に加わる真理、真理としての記憶はきちんと把握しているが、会話には細心の注意を払った。
「真理ちゃんもそろそろお誕生日よね」
と不意に言われた。
そうだ、来月は真理の誕生日がある。
その声尾の主は幸子。
「私も来月、誕生日なのよ、いやよね、また歳とっちゃう」
と幸子。
幸子と真理、同じ月が誕生日だ。
そんな話を以前したことがあった。
「そう言えば、幸子さん」
と晴美が口を挟む。
「ですよね」
と小さな声で幸子に耳打ちした。
「そうなのよ」
と幸子は笑顔で言う。
「全然、ありがたくはないけどね」
と。
そのあたりで、周囲の数人が気付く。
幸子は今度誕生日が来れば、60歳。
還暦というやつだ。
この国では、60歳は、干支が一回りして生まれた年の暦に戻る、として各段に祝われる。
赤子に戻る、と言う意味も込めて、「赤い物」 を贈る風習があるのだ。
ひと昔まえなら、それは老いた者の証、すっかり「おばあちゃん」扱いであったのだが時代は急速に変化した。
まだまだ人生は長い、これからの人生をゆっくりと楽しむ一区切り、ととらえる人も多い。
幸子もその一人だ。
子供たちが巣立ち、自分のために使える時間も増えた。
金銭的な余裕も生まれた。
それを、「バレエ」にかける幸子。
その姿は、真理や晴美を始め少し後の世代に羨望の的となっていた。
「じゃあ、お祝いで一席設けようよ」
と晴美が言った。
周囲も賛同し、幸子と真理の誕生日を祝って「女子会」をひらくこととなった。
もちろん、メインとなるのは区切りの年齢となる幸子だ。
「じゃあ、お店の手配なんかは私が」
と田代あかり。
あかりは、こういう企画をするのが好きなのだそうだ。
エリゼの暮らす国にも節目となる年齢で、特別に祝うことはある。
60歳もその一つだ。
人生の分岐点となることも多い、この年齢。
しかしそれを祝うのは自分自身。
自らが企画しパーティーなどを開くのが通例だ。
あれよあれよという間に、来月の「お誕生日会」が企画された。
予定を手帳に書き込む者、スマホのスケジュールに登録する者、様々だったが真理は少し不安な気持ちを抱えていた。
「お酒、呑むのかな」
と。
エリゼは多少の飲酒をたしなんでいた。
しかし、酒が入るり酔いが回ると、自分を制御できるのか、これが心配だ。
「真理ちゃんはあんまりお酒のまないから、お料理がおいしいお店を選ぶね」
とあかり。
「そうか、助かった」
とエリゼは思うが、反面、この国の酒は美味しい、そんな知識を持っていたエリゼは矛盾しながらも少し残念に思った。
「みなさん、今日からご一緒させていただきます」
突然そこに声がした。
振り返るとそこには、合同発表会でともに出演した、バレエ・フローラの生徒だった真由子がいた。
稽古バッグを持ち、更衣室に入る真由子。
躊躇する様子もなく、人をかき分けて自分のロッカーを確保すると、稽古着に着替えを始めた。
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