次の目標
次に向けて
のあがいずみ先生の大人のバレエクラスを去っていった。
自分の未来に向かって、希望にあふれた旅立ちだ。
他の生徒たちは、まるで彼女の保護者のように、心配をしながらも暖かくその門出に拍手を送った。
のあがいなくなったバレエのレッスン。
ちょっと寂しい、そして不安だ。
いつもみんなのお手本になっていたのあ。
そんな彼女がいなくなってしまったのだ。
特にセンターレッスンでは皆が明らかに戸惑っている。
いつも、真ん中の最前列にいたのあ。
のあの踊る姿を横目で盗み見している者も多かった。
「頼れる人がいなくなっちゃった?」
といずみ先生が笑う。
レッスンはというと、少しずつだがレベルアップしているようだ。
幾つかのステップを組み合わせる動きが、段々と複雑になっている。
覚えるのに一苦労の生徒たち。
しかし、生徒たちも徐々に上達している。
立姿も随分とサマになって来た。
そんなある日の稽古後のことだった。
いずみ先生から生徒たちを集めた。
「前回の発表会での皆さんの踊りが好評で、他の教室の大人の生徒さんと合同で発表会をやらないか、とお誘いがきています。
みなさん、ご参加の意思、どうでしょうか」
と話すいずみ先生。
それを聞いてざわつく生徒たち。
発表会、もう一度舞台に立てるのだ。
「私とあすか先生のお友達のやっている教室なんだけど、大人の生徒さんが多くて、でもそのお教室単体で発表会をやるには人数が足りなくて。
じゃ、いずみさんのところの大人生徒さん、出してくれないかしら、って話が来たの」
と経緯を説明するいずみ先生。
「前みたいに一曲だけじゃなくて、オープニングとバリエーションそれからコーダのあるくらいのものがいいわね」
と続ける。
アントレーと呼ばれるオープニングに始まり小さな小品が数曲、そして最後にコーダと言う全員でのフィナーレ。
これはバレエでよくある踊りだ。
真理は密かに心躍らせた。
また、発表会に出られる。
周囲を見ると、明らかに参加の意思を示している者もいれば、戸惑ってた表情の者もいる。
いずみ先生はそれぞれの事情を察して、希望者のみ参加ということを提案してくれた。
翌週のお稽古日までに、ほぼ全員が参加の意思をいずみ先生に伝えた。
「次回は、みなさんポアントで踊りましょう」
そういずみ先生に言われて増々テンションがある生徒たち。
大人の生徒が安易にトゥシューズで踊る、これには様々な意見があるが、
いずみ先生は寛容だ。
真理も有頂天になる。
ポアント、トゥシューズで舞台に立つ。
それは真理の夢でもあった。
バレエのせいで、家の事をないがしろにする、と言って夫から辞めさせられそうになった田代あかり。
また同じことの繰り返し、と周囲は心配したが、
「だんな、単身赴任することになりまして」
と苦笑いした。
関西に転勤となり、単身赴任するというあかりの夫。
幸い自分の出身地でもある地域への異動なので、本人も喜んでいるとか。
「自分の実家が近いから、私の出番も少なくて済みそう」
とあかり。
次の発表会は1年以上先、それが少しばかり「つまらない」と感じていた生徒たちに、
次も目標ができた。
「演目は、パキータです」
といずみ先生が皆に発表した。
「それに今回はゲストの男性ダンサーもお願いすることにしたわ」
と続けて言ういずみ先生。
男性ダンサーが加わる。
それは誰かがパートナーとして踊ると言うことだ。
パキータというのは、スペインを舞台にしたジプシーの娘パキータとフランス人将校の恋を描いた、スペイン風で華やかな古典バレエなのだが、バレエでよく上演されるのは、結婚式の場面を切り出した「グラン・パ・キータ」だ。
アントレー、いくつかのバリエーション、小品、コーダから成る「踊りの見せ場」ばかりの作品だ。
前回に比べると、それぞれの出番も格段に多い。
加えていずみ先生はそれぞれの配役も発表した。
まるで委任状のように紙に書かれている。
アントレー(オープニング)全員
バリエーション1 晴美、あかり
バリエーション2 幸子、真理、信子、裕子、留美、理子
バリエーション4 美咲、雅子、
バリエーション3 しのぶ 康太先生
コーダ 全員。
と配役表には書かれていた。
真理は6人で踊るバリエーション2だ。
咄嗟に他のバリエーションの配役を確認する真理。
自分たちは6人、他は2人ずつ。
「しのぶちゃんにはアントレーとコーダでも康太先生と踊ってもらいます。
一応、ジプシーとフランス人将校っことでね」
といずみ先生が言う。
康太先生と言うのはいずみ先生の後輩ダンサーで、プロのバレエダンサーでもあり
色々な発表会でゲストとして活躍しているのだそうだ。
「はい、がんばります」
と声がした。
しのぶちゃんと呼ばれた生徒だ。
前回の発表会のあと、この大人バレエのクラスに通うようになったしのぶ。
大学を卒業して、2年ほどたつ社会人だ。
学生時代は、チアリーディングをやっていたとかで、身体能力は素晴らしい物をもっていた。
細身の長身で、立ち姿も美しい。
「主役」を決めるとすれば、このメンバーならしのぶが一番の適任だろう。
男性ダンサーと一緒に踊っても遜色ない。
社会人としてもやっと軌道に乗って来た。
そこで以前から習いたかったバレエを始めたのだと言うしのぶ。
普段から、気が利いて心優しい女性で、他の生徒たちともすぐに打ち解けた。
「しのぶちゃん、すごい。がんばって」
と声がかかる。
「でも、私なんかそんな大役させていただきていいんですか?
ここには来たばかりなのに。以前からいらっしゃる皆さんを差し置いて。
幸子さんや真理さんなんて、また群舞なのに」
としのぶ。
最後の一言、また群舞。
その言葉を真理は、聞き流すことが出来なかった。
しのぶからしたら、大人数でのバリエーションは群舞に入るのだろう?
それにしても、自分たちを差し置いて。
また、なんだ、私は。
真理の心に黒いものが渦巻いていた。
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