トゥシューズ
いよいよ夢のトゥシューズ
「これがいいかな」
と舞香が持ってきたトゥシューズ。
バレエショップの試着コーナーで、真理は恐る恐るその靴に足を入れた。
履き心地は良好だ。
この感覚。
子供の頃を思い出す。
懐かしくて、嬉しくて、ほろ苦い思い。
そんな過去を打ち消すように、鏡の自分をみつめる真理。
幸い、現実は今の自分に冷や汗しか出てこず、あれこれ考える余裕もなくしてくれた。
結局、舞香の薦めたトゥシューズを購入することに。
それに加えて、トゥパッドと言われている詰め物にトゥシューズに付けるリボンと脱げ防止のゴム。
諸々合わせて1万円を超えた。
普段、ネットの特売でしか靴を買わない真理にとって、トゥシューズは高価な買い物だ。
「一足でいいの?」
と舞香。
「レッスンで週に一度少しだけしか使わないから一つで十分よ」
と真理が言う。
舞香はいつも数足まとめて買っていた。
それも頻繁に。
随分な出費だ。
買い物を終えて店を出る二人。
その途端、
「隣の親子、感じ悪っ」
と舞香が言う。
トゥシューズを試し履きしていた時に、隣の椅子で同じく試していた母娘だ。
舞香とより少し年下だろうか、かなりの上級者に見えた。
そして、その母はそんな娘を全力でサポートしているのだろう。
大人が、初めてのトゥシューズを選んでいる、そんなことは邪道でしかないのだ。
そんな雰囲気がばしばしと伝わってきた。
「ママだって、前はあんな感じだったわよ」
と真理。
真理だって、同じようにマウントを取ったことがある。
その頃は、舞香が本格的にバレエの道に進むと思っていた。
だから、趣味のバレエなんて考えられなかった。
「それにしても、今でもきれいなつま先ね」
と真理が言う。
「でしょ。鍛錬のたまものよ」
と舞香が笑った。
「勿体ない」
と一人つぶやく真理。
真理から見ても、舞香の脚はバレエにはもってこいだ。
いわゆる、条件の良い身体というやつだ。
「舞香ちゃんは」
舞香に何か言いかけた真理だったが、そのまま口をつぐんでいた。
「もうバレエはやらないの」
そう聞いてみたかったのだ。
今日も楽しそうにトゥシューズを選んでいたし、この前の発表会も喜んで観に来た。
まだ、バレエが好きなのでは。
と真理は思ったのだ。
大人のバレエクラスでのトゥシューズレッスンは、通常の稽古の後にまずは30分ほど行われることになった。
希望者を募り、いずみ先生が判断をして許可を出した生徒、10数名が参加した。
真理、晴美、幸子、それから始めたばかりの美咲も含まれている。
「私は、履いてみるだけだけどね」
と美咲。
しかし、
「実はね、娘のポアント、こっそり履いてたのよ」
と真理の耳元でなんとも嬉しそうに言う美咲。
初めてのトゥシューズレッスンは、
バーに掴まり、片足ずつつま先に体重を乗せる。
その繰り返しだった。
あっという間に30分のレッスン時間が過ぎた。
足の疲れ具合は普段の倍では済まない生徒たち。
「また来週が楽しみ」
と口々には言っているが、歩き方が少しおかしい。
つま先の疲労感が半端ないのだ。
真理だって例外ではなかった。
「そろそろ、決めていただかないと、時間切れになりますよ」
天国の門、と呼ばれているこの異空間。
あの世とこの世の境目だ。
そんな天国の門で大勢の審査官に囲まれて何やら催促をされているのは、
天才バレリーナ、エリゼ・リデルだ。
事故で生死をさまよっている真っ最中。
彼女の将来性が評価されて、「誰かの夢を叶える」を条件にこの世に残れるチャンスが与えられようとしているのだが、
その夢を叶える相手、がなかなか決まらないのだ。
「私だって、頑張っているんです。
私、バレエの事しか知らないから、夢を叶えるならバレエ絡みじゃないと。
で、この前、良いところまで行ったんですよ。
その相手の身体に入り込むまでできたんだから」
とエリゼが懸命に弁解をしている。
「プロのバレリーナになりたいとばかり思っていた女の子、それが本音じゃなかったし。
その後は、パレ・ロワイヤルバレエ学校に入りたいって子をみつけて、乗り込んだんだけどちょっと無理そうで」
とエリゼの言い訳はまだ続く。
「でもね、いつまでも待ってはあげられないの。私だけじゃどうにもならないから他の審査官にもお越しいただいたのよ。
ほんと、そろそろ何とかしてちょうだい」
と語るのは、ルイーゼ。
エリゼの担当審査官だ。
「そんなこと言われたって。私だって頑張ってるのに」
とエリゼはうつむいてしまった。
そして、
「もしも、誰かの夢を叶えられなかったら、私はどうなるの?」
と小さな声で聞いた。
「叶えられなかった、その度合いにもよります。
叶えようと努力したけれど達成できなかったのと、叶える相手さえ見つかられなかったのでは、
まるで今後の対応が違ってきます」
と一番偉そうな審査官が言う。
「努力したけれど、残念ながら、そういう場合なら」
「そう言う場合なら?」
「まあ、天国には行けますよ」
と審査官。
「なんだ、死ぬんだ」
とエリゼ。
「じゃ、対象の相手も見つけられなかったら?」
「これは論外です。せっかくチャンスを与えたのに、その好意を無下にするのですから」
「厳しい結果が待っていると思いなさい」
と詰め寄るように審査官に言われるエリゼ。
すっかり怯えている。
「まあ、でもね。叶える夢をもう少し緩和してみたらどうかした。
プロのバレリーナとか超難関、パレ・ロワイヤルバレエ学校への入学とか、難易度が高すぎるわ。
もっと小さな夢を叶える、それでもいいのよ」
と一人の審査官が優しい声で言った。
「たとえばね、発表会でもいいから舞台で踊る、とか」
と審査官が続ける。
「そんなの、夢なの?
バレエをやるなら極める、世界最高を目指す、それしか知らないもの、私」
とエリゼ。
「どちらにしても、あまり時間はありません。気合をいれて、がんばって」
そう言うと、審査官たちはエリゼの元を去って行った。
「気合でなんとかなるの?これって。
この前の、マイカって子。なんでダメだったのよ。
ちょうどいい素材だったのに」
そう言いながら、鏡を見るエリゼ。
そこには、舞香の姿が映っていた。
夢を叶える対象者、からは外れたはずなのに、いまだにその姿が鏡に映る。
それを疑問にも思わず、エリゼは鏡の中の舞香を見つめていた。
応援していただけるとうれしいです。




